これは溺愛ですか?

ながる

第1話 悪魔のアイスブルー

 レフィは悪魔だ。

 突然我が家にやってきて、父様と母様に取り入った。

 初めて彼に会った日は、わたしだってそりゃあ騙されたわよ。癖のないダークブロンドに長いまつ毛。赤く薄い唇には微笑をたたえていて、優雅な物腰は、やんちゃで乱暴な従兄弟たちとは大違いだったもの。空よりも薄いアイスブルーの双眸が、見つめていたら溶けてしまいそうで……


 ま、まあ、そうね。見た目がいいことだけは認めざるを得ないわね。見た目はね。

 でも、ほら、言うじゃない。悪魔は天使の顔をして微笑むって。

 それ! まさにそれよ!

 よわい十三の誕生日に、私は悪魔に売り飛ばされたんだわ!


「お嬢様。また、どちらに行ってらっしゃるのです。月ですか? 妖精の国ですか?」


 目の前に白い手袋がひらりと揺れて、そっと顎を掬い上げられる。

 書き取りをしている体でうつむいていた顔が上向いて、ガラスレンズの向こうのアイスブルーの瞳に覗き込まれた。

 とたんに心臓がうるさくなって、頬が熱くなる。

 これは、魅了眼のなせる業! 悪魔の能力のひとつなのだわ。じっと見つめていては相手の思う壺。わたしはぷるると首を振ってその手から逃げ出した。


「ど……どこに行っているというの。わたしはここにいるじゃないの! レフィこそ、机に腰掛けるなんてお行儀が悪いっ」

「おや。今日は気付いて注意できましたね。よろしい。お勉強以外のことを考えていたことは不問に処しましょう。では、歴代国王の名の書き取りを速やかに続けてください」

「そろそろお茶の時間じゃなかったかしら?」

「書き取りが終わりましたら、お茶の予定でしたが……終わらなければ次の予定になりますね」

「えっ! ひどい!」

「時間は有限ですので」


 つんと冷ややかに細められた瞳をより冷たく見せる細い銀縁の眼鏡を押し上げて、レフィは白い指先をノートに押し付けた。

 ああ、もう! 嫌い! あの眼鏡をかけている時のレフィは悪魔度が倍になる。本性が出ていると言ってもいい。冷たい瞳、冷たい態度、微笑みさえも悪魔そのものだ。

 いや違う。あの眼鏡こそが悪魔の本体なのかも?!

 綺麗にセットされた髪を崩さないように撫でつけて、彼は懐中時計をチェックする。しばし思案すると、嫌々続きを書いている私の机に次の教科書かだいを積み上げた。


「まだ時間じゃないでしょ!?」

「その速度では間に合いません」

「きぃぃぃぃぃ!! オニ!! 悪魔!!」


 手元から目を離せなくなるけれど、わたしは知っている。こういう時、レフィはとても楽しそうに笑っているのだ。


 *


 レフィが我が家に来て二年。彼が天使の仮面を被っていたのはほんの数週間だった。早朝の体操から始まって、徐々にスケジュールは過密になっていった。体操の後のマラソンは週に三回、三キロを走る。さっと汗を流して朝食を食べた後はお勉強。悔しいことに、計算から音楽までレフィは何でもこなす。軽い昼食を食べたら礼儀作法の時間で、眠気がさしてうとうとしようものなら、眠気覚ましにと乗馬に駆り出される。

 優雅に駆けてくるだけならいい。念のため、と森の奥で護身術まで教えてくれる徹底ぶり。おかげで夜のぐっすり眠れることと言ったら!


 それが普通の令嬢の教育から外れていることは、お茶会の席で気が付いた。

 普通のは、周辺国との微妙な関係や小難しい関数なんて覚えないし、腹筋が割れたりもしないらしい。恥ずかしくないだけの読み書き計算と、刺繍や読書、芸術鑑賞が主だというのだから、私は何をさせられているのだろうと訝しむのは当然だ。

 必要のない勉強ではないか、と次の日抗議したわたしに、レフィは完璧なる笑顔を見せた。


「必要のないことなど、何一つないのですよ。マイ・リトルレディ。お茶会で困ったことが一つでもありましたか?」


 恐ろしいことになかったのである。会話にも作法にも困ることはなかった。うちが商家上がりの成り上がりと陰で言われているのも知っている(そんなことまでレフィは教えてくれる)が、失敗した時のおさらい地獄が嫌で完璧にこなしてやったつもりだ。母にも主催の伯爵令嬢に劣らなかったと褒められた。……

 納得がいかない。頑張ったのはわたしなのに。

 反論を失って、むっと黙り込むわたしを見て、レフィはふと表情を引っ込めた。作り笑顔の執事兼家庭教師は、冷たい悪魔の顔になる。開いているドアをちらりと横目で見て優雅に近づくと、優雅とは程遠くぞんざいに蹴りつけた。


 あ、やばい。


 閉まっていくドアを確認しながら眼鏡を外し、レフィは意地悪な笑顔で振り返る。

 反射的に逃げようとしたわたしの腕を掴み、そのまま腰に腕を回されて拘束された。


「何がご不満なのです? リラお嬢様。わたくしはこんなに貴女を愛しているというのに。大人のご褒美はまだあげられませんが……もう一年くらい待てるでしょう?」


 まるでダンスのように半回転してわたしの上半身を倒して支え、綺麗な長い指が首筋から髪を愛撫するようにゆっくりと後頭部に回される。こうなると、わたしはもう動けない。溶けてしまいそうな甘いアイスブルーから目が離せなくなって、あろうことか、その先を期待する。


「素敵でしたよ。リラ」


 悪魔の囁きとともに、額に柔らかく押し当てられる唇。すぐ傍に感じる体温に彼の匂い。彼を独り占めしてご褒美をもらう、その幸福感にくらりと浸ってしまいそうになる。

 すべての理不尽がどうでもいい気になっていく。


 悪魔は、眼鏡をかけていない時の方が、たちが悪いのだ。

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