第26話 ︎︎知るという事

 そっぽを向くキーナに、笑いを堪えて手を合わせる。


「ごめんて。なんか可愛くて、つい。俺みたいなおっさんに頭撫でられてもキモイよな。機嫌直して、お願い」


 何度も頭を下げ、拝み倒すとようやく、キーナの視線がこちらを向いた。そして、呆れたように零す。


「貴方って変な人ね。あれだけ嫌味な態度を取った相手に頭を下げるなんて」


 キーナは寒さを堪えるように肩を擦り、若干気味悪がっているような素振りを見せた。その反応はちょっと酷いんじゃない?


 俺も口を尖らせ、肩をすくめる。


「ま、あっちでも似たり寄ったりだったからな。毎日上司にこき使われてたよ。飯食う暇があるなら仕事しろ。帰る暇があるなら仕事しろ。寝る暇があるなら仕事しろ。ってね。それに比べればキーナは優しいくらいだ。こうして話してくれるんだから。頭下げるくらいどうって事ないよ」


 それを聞いて、キーナは眉を垂れた。目に哀れみの色を浮かべて。


「え……何、それ。そんな所が神の園なの……? ︎︎スラムの仕事だってそこまでないわよ。まるで奴隷じゃない」


 俺は苦笑いを浮かべ、肯定した。


「ああ、まさに奴隷だよ。俺の世界では社畜って言ってな、会社の家畜だ。それで心や身体を病んでも、自主退職にはしてくれない。クビだよ。そうすれば退職金も払わなくて済むからな。給料も難癖付けて減額しやがる。俺の同僚も、それで何人辞めさせられた事か」


 あー……、思い出すと視界が滲んでくる。同僚の中でも、特に仲のいい林田って奴がいた。新卒で入社して以来の、数少ない友人だ。そいつが正にそれだった。


 連日の泊まり込み、貫徹は当たり前。いつも目の下にクマを作っていたっけな。そいつが仕事中に倒れて病院に運ばれた時、上司はそのせいで契約が破棄されたと言い放ったんだ。そんな事実、ありはしないのに。上役もそれに乗っかり、懲戒免職でクビにした。


 回復すればまた働けるのに、入院中の有給を使わせたくなかったんだろう。あっさり見限りやがった。


 先輩にもそういう人がいた。その人は心を病んで、職場では手が震え、過呼吸になってしまい仕事が手につかずクビだ。組合や顧問弁護士も名前だけ。相談しようとしても、その前に手が回る。


 落とし子も嫌われている現状はあるけど、すぐ死に直結する訳じゃない。でも、仕事をクビになれば転職も難しく、金銭的な余裕も無くなり病状も悪化しやすい。


 林田も実家に帰らざるを得なくなり、今はどうしているのか。


 俺はある意味、助けられたのかもな。この世界に来て、最初に出会ったのがイルベル達だったのは不幸中の幸いだ。キーナはキツい態度だったけど、こうして話し合いに応じてくれた。


「だからさ、ありがとうな。キーナ。お前、神殿に俺の事言ってないだろう?」


 そう言うと、キーナは面白いくらいに飛び跳ねた。そして忙しなく視線を彷徨わせる。


「そ、それは、あの、ディアに迷惑がかかると思って……べ、別に貴方のためじゃないわよ!」


 またツンとそっぽを向くキーナ。でも、その頬は薄く染まっている。さっきとは違い、チラチラと俺を窺って、もじもじと髪をいじっていた。


 それが幼く見えて、俺は思わず吹き出す。


「なんだ、お前ほんと可愛いのな。俺、勘違いしてたわ。ギルドで見た神殿の連中も、なんか自分の意思ってものが感じられなくて。お前もそうかと思ってたけど全然違う。なぁ、お前が神殿に入った理由。聞いてもいいか? ︎︎嫌なら無理にとは言わないけど」


 俺がそう言うと、キーナは息を詰まらせる。聞いちゃいけなかったかと口を開きかけた時、ひとつ大きく息を吸い、こちらに向き直った。


「貴方の事だけ知っているのは対等じゃないわ。面白い話でもないけど、聞いてくれる?」


 そうして、紡がれるキーナの過去。それは酷く心に刺さる。


「……どこにでも、自分勝手な奴はいるもんだな。ほんと、ごめん。俺、知りもしないで酷い事言った。お前は神に救われたんだ。怒るのも無理は無い」


 俺は再度、頭を下げて詫びた。


 しかし、キーナは薄く笑って首を振る。


「いいえ。それは私も同じよ。貴方がどうやってこの世界に来たのか、知ろうともしないであんな事……。落とし子の事は、もっと調べなきゃいけないかもね。勇者の行方も。明日からはまた依頼を受けるから、その後にでも動くわ。貴方も気を付けて」


 俺を案じるキーナの目には、もう敵愾心てきがいしんは無かった。

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