第17話 ︎︎いざ開かん魔術の扉

 応接室での話の後、俺はヒューアに連れられて岩山にやってきていた。ここは採石場らしく、平らな広場の奥で、ねじり鉢巻の男達が汗水垂らして働いている。四角く石を切り出すためにくさびを打ち込む音がここまで響いてきた。


 何も無い砂利だけの広場を見回す。

 なんか爆発させたくなってくる風景だ。特撮ヒーローを観て育った男の子なら誰でも抱く感想だろう。


 でも、そっか。それももう観る事は叶わないんだ。読みかけだった漫画や、封も切っていないゲームも、そして冷蔵庫で眠るビール達も。


 あれらはどうなっているんだろうか。天使は俺の帰る場所は無いと言っていた。


 もしかして俺は死んだ事になってるのか?


 じゃあ、最悪捨てられてたり、親父の腹に収まってたり?


 あの親父の事だ。俺が死んで悲しむなんて絶対無い。逆に通帳を見て喜んでいる様が思い浮かぶよ。


 ブラック企業で休まず働いていたから、金の使い道はそう多くない。家賃や光熱費、食費とたまに買うゲーム代くらいのものだった。安い給料でも塵も積もれば山となる。必死に働いた10年間で、そこそこの貯金はあった。


 遊んで暮らせる程では無いけど、親父にとっちゃ棚からぼたもちなんじゃないかな。女への貢物に変わるのが想像できるぜ。


 どうせならお袋に使ってもらいたいけど、親父が渡さないだろうな。浮気ばかりして、お荷物でしかない親父と、お袋は何故か離婚しなかった。惚れた弱みなのかなんなのか。俺には分からない。実家にいた学生時代に離婚を勧めた事も何度かある。それでもお袋はただ笑うだけだ。


 親父はそんなお袋に、愛人の世話までさせていた。実家は一戸建ての持ち家だったけどそう広い訳でもない。4LDKの普通の家だ。そこに1等お気に入りの愛人が一緒に住んでいた。


 20代半ばのその女は、確かに綺麗だった。長い黒髪、ほっそりとしているのに大きな胸、目元のホクロ。自分の美しさを理解している性格ブスだ。


 俺はその女が大嫌いだった。親父の愛人のくせに俺にまで色目を使ってきて、気持ち悪いったらない。妻がいる男の家に堂々と住んでる時点で、その醜悪さは分かるだろ?


 俺はそんな女ゴメンだ。

 そして、お袋みたいな女も。


 夫婦は対等であるべきだと俺は思っている。旦那が外で稼ぐから嫁さんは生活できるし、嫁さんが家の事をしてくれるから旦那は仕事に集中できる。


 よく「誰のお陰で飯が食えると思ってるんだ」みたいなの聞くけどさ、嫁さんのお陰だよね。ただ稼ぐだけで飯が出てくんの?


 嫁さんが食材を買いに行って、料理にしてくれるから食えるんじゃん。食材って重いんだよ?


 服だってそう。嫁さんが洗濯してくれるから着るものに困らないんでしょうに。


 だからって嫁さんが偉いって言ってるんじゃない。嫁さんだって旦那が働くから生きていけるんだ。


 共働きなら男だって家事をやるべき。金を稼ぐっていう自分の仕事を手伝わせてるんだから。


 上も下も無い。お互いを思いやる心が大事じゃないのか?


 な~んて。相手もいない俺が論じても説得力皆無だっての。結局は理想論。相手も意思のある人間だからこそ、拗れる関係もあるんだ。それが四六時中一緒にいる夫婦なら余計に。


 確か30までDTだったら魔法使いになれるんだっけ。それがマジモンの魔術士って笑える。


 俺を慰めてくれるのは自分自身の手だけ。グッズはあまり好みじゃない。おかずはもっぱらグラビアだった。エロ本は露骨すぎて逆に萎える。


 あ~、ヤッてみてぇなぁ。


 高校の頃はそんな話も友達とよくしてた。誰が誰とヤッただの、何組の誰が巨乳だの。今思えば馬鹿ばっか。それでも楽しかったんだ。


 でも、就職してからはそんな余裕は無い。隣のデスクの奴ですらうろ覚えだ。たぶん男だった。そいつと私語をした記憶も無い。


 ほんと、この10年はなんだったんだろう。神の奴もさ、もっと早く呼んでくれれば良かったんだよ。そうすりゃ結果も違っていた可能性はある。


 はぁ~……。


 重い溜息を吐きながら、ちらりと視界の端を見た。


 なんで俺がこんな取り留めもない事を考えているのか。その理由。


 ここまで来るのにヒューアがバテたから!


 連れてきたのは奴だというのに、肝心の教師がバテてたら意味ねぇじゃん。そのヒューアは木陰で汗を拭っている。まだ息は荒くキツそうだ。


 それにヒューアは250歳。不死ではあっても不老では無いらしく、老体に鞭打ってここまで歩いてきた。町から5キロってとこかな。俺だってそう体力がある方じゃないから気持ちは分かる。だからひとり思案にふけっている訳だ。


 ヒューアは次元収納から竹筒を取り出すと一気にあおる。それを見て俺も携帯していた事を思い出し喉を潤した。


 便利だな次元収納。

 昨夜、イルベル達に基本知識を習った時、一緒に携帯しておいた方がいい物も教えてもらった。


 まず第一に水。

 これが無いと生きていけない。


 次に食料。

 ほとんどが干した物だけど中々美味い。


 次元収納は便利だけどラノベでよく見る保存機能が付いていない。生き物も入れられないし、容量もトラック1台分って所かな。


 上位互換の亜空間収納ってのがあるらしいけど、そっちは容量無限、保存機能も付いている。それだけに貴重なスキルだそうな。それこそ勇者の特権だろう。


 それに比べて次元収納は誰でも持っている物で、商人はその容量を雇用という形で買っている。荷物をそのまま馬車に乗せれば何台も必要になるけど、人に持たせるなら1台で済むって寸法だ。もし、盗賊に襲われても逃げ切る事さえできれば荷物も失わない。


 だから盗賊が襲うのは金持ちの家だ。盗賊っていうより窃盗団だな。金はさすがに次元収納には入れない。俺達みたいな一般庶民ならいざ知らず、豪商ともなれば莫大な資産だ。この世界には紙幣が無いからコインだけで膨大な量になる。人を雇うにしても持ち逃げされる危険性の方が大きい。


 ならば必要になってくるのは金庫。それも銀行にあるような巨大なやつだ。もちろん警備は硬い。それでも狙う奴は多いみたいだね。手が出せない次元収納よりも現物の金って事かな。


 なんで俺がそんな事を知っているかというと、その盗賊を捕らえる依頼もあるから。『青猫』はまだ小さなカンパニーで縁遠い話だけど、その内受ける日が来るかもしれない。盗賊退治はそれなりに評価も高いそうだ。


 商人は町の活性化にも必要不可欠な存在だし、その役に立つ事はカンパニーにとっても重要なんだろう。


 温い水を流し込みながらカンパニーの行く末を考えていると、ヒューアがやっと腰を上げた。小さく伸びをして体を緩めている。


「やぁ、待たせてしまって悪かったね。では始めようか」


 竹筒をしまって空を見上げると、既に空は赤みを帯びていた。


「今から……ですか? ︎︎もう陽が沈みますよ。明日にしません?」


 これから初めていては、町に帰る頃には夜になってしまう。夜の山道は危険だ。そう言ってもヒューアは首を振る。


「いや、今日でなければいけないんだ。私は塔から飛んできたからね。帰りのMP魔力の事も考えると余裕が無い。仕事を抜け出してきたから明日には帰らないと怒られてしまうよ」


 飛んできた?


 塔ってこの近くじゃないのか?


 そう聞けばヒューアは照れくさそうにはにかむ。


「塔はこの大陸の裏側だよ。時空跳躍クリッピングの魔術で空間を飛び越えて飛んだんだ。君にもできるようになるよ」


 裏側!?


 それを飛ぶって……魔術はそんな事もできるのか。俺が思っていた以上に魔術って汎用性が高いのかもな。


 ん?

 ちょっと待てよ。

 ならなんでここまで歩いてきたんだ?


「そんな事ができるなら、ここにも飛んでくれば良かったんじゃ……」


 そうすればヒューアも疲れなかったはずだ。

 しかし、その問いに返ってきたのは至極当たり前の事。


「え、そしたら君がここに来れないじゃない。練習で通うでしょ? ︎︎時空跳躍クリッピングはMPの消費量も多いからね。まだ君には無理だよ」


 あ……そうか。

 俺に道順を教えるためか。


 って。

 いやいやいや。


「練習ならギルドでいいでしょう!? ︎︎なんでこんな所で……」


 唾を飛ばして抗議するも、ヒューアは首をコテンと傾げる。


 枯れたじじぃがやっても可愛くねぇよ!


「ギルドじゃ人の目があるから、落とし子だってバレるかもしれないよ? ︎︎いいの?」


 ぐぅっ!

 それがあったか……!


 って事は、魔術をものにできるまでここまで歩くの?

 往復10キロだぞ!


 ヒューアは肩を落とす俺を楽しそうに眺めて手を叩く。


「さ、時間がない。これから君に基礎を叩き込むからね。できれば短縮魔術マクロまで覚えてほしい。スパルタでいくよ」


 ヒューアは柔和な表情を暗く染め、俺に手を伸ばす。


 そうして、山に俺の絶叫が轟くのだった。

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