第14話 ︎︎魅惑の谷間

 軋む階段を上がり、3番の札がかかっている教室の扉に手をかける。押し開くと、さっきの教室と変わらない景色があった。違うのは机の数。下の教室はずらりと並んでいたけど、ここはたった2列だけだ。後ろの方はがらんとしている。


 そこには緑のキノコ頭に眼鏡をかけた少年が既にいて、俺に視線を向けてきた。まだ10代半ばかな。フィードよりは年上に見える。


 その子は冷めた目で俺を見ると、興味も無いのかすぐに手元に視線を落とした。


 あんな子さっきいたっけ?


 なんか人付き合い下手そうだし、寄ってこなかったのかもな。


 広い教室を見渡しても、ここにいるのは俺とその子だけ。やっぱり魔術士って人気ないのか?


 廊下を振り返っても、この教室に入ろうとする人はいない。他の教室はそこそこ人が集まってるのに。


 また室内に視線を戻しても、寡黙な少年が何やら薄い冊子を読んでいるだけだ。周りの雑音も取り残されたように、ここには届かない。


 ちょっと入りにくいけど、突っ立ててもしょうがないので少年から距離を取りつつ席に座った。


 魔術についてはイルベル達にも聞いてみた。でも、あまり詳しくないらしく詳細は分からずじまい。キーナはあの通りだし、聞ける訳も無く想像する他なかった。


 イルベル達から聞けたのは生活魔法のようなものは無く、魔術は魔術士だけの技能らしいという事。『青猫』を立ち上げる前にいた他のカンパニーにも魔術士はいたみたいだけど、あの少年のように話しかけずらい雰囲気だったって。


 教会の連中とはまた違った独特の世界を持っているのだろう。俺も魔術士といって想像するのは偏屈なじーさんだもんな。長い白髭にくねくね曲がった杖を持って、三角帽子を被ったような。


 魔術も魔法とは違ってお硬いイメージだ。魔法がラノベだとすると魔術は古典文学か。やっぱ指輪を思い浮かべる。あとはあの島の戦記だね。


 俺は昔、魔法と魔術の違いって奴を調べた事がある。厨二とか言うなよ? ︎︎


 魔法は不思議な現象を起こす術、魔術はそれを学問として体系付けた科学的な術だ。この2つは似て非なるものと言える。


 それを思えば若干の緊張が走った。別に勉強は嫌いじゃない。それでも術を習得するのに時間がかかってしまったら、イルベル達に迷惑がかかってしまう。俺は後衛アタッカーを担わなければならないんだ。いつまでも待たせる訳にはいかない。


 そう分かっていても、ただ待つ時間は何もすることが無く、手持ち無沙汰でソワソワしてしまう。


 そしてようやく午後第1の鐘が鳴った。


 自然と背筋が伸びる。


 少し待つと扉が開き、人影が足を踏み入れた。


 その姿を見た瞬間、俺は机の下でガッツポーズを決めた。


 そこにいたのは長く波打つ黒檀の艷めく髪をなびかせ、際どいスリットの入った黒のドレスに身を包んだグラマラスな女性だった。胸元は大きく開き、豊満な谷間と滑らかな肩が惜しげもなく晒されている。頭上には黒い三角帽子に赤い薔薇が一輪。足元も赤いハイヒールだ。


 なんとも色っぽい魔女の登場で、俺のやる気は一気に限界突破した。こんな美女が教官だなんて、それだけで勝ち組じゃない!?


 ちらりと横を見ると、キノコ少年も仏頂面を装っているけど顔が真っ赤だ。


 美魔女は教壇に立つと俺達を交互に見て、赤い唇を緩める。


「あら、今日は2人もいるのね。嬉しいわ」


 そういう声も美しく、耳に心地良い。

 でも、2人でも多い方なのか。できれば個人授業をお願いしたい所だけど、さすがにそれは欲張りすぎかな。


 誰もいない教室でいつしか2人は……。


 なんて、そんなよこしまな事を考えている間にも美魔女の言葉は続く。


「私の名はリズ・ハーナイ。魔術の研修を受け持っているわ。よろしくね」


 リズさんか~。

 なんとかお近付きになりたいな。


 出会いも無い生活を送っていたアラサーDTの脳内は途端にピンク色に染まっていく。


 うへへ、とヨダレを流さんばかりにだらしなく顔が垂れた、が。


 ん?

 待てよ。


「ハーナイって、もしかして……」


 俺がぽつりと零すと、リズさんはぽっと頬を染めた。


「ええ、統一研修を受け持ったゲイデは私の夫よ」


 マジかよ……。

 メイムといい、ゲイデといい、この世界はスキンヘッドがモテるのか!?


 ならいっそ……いや、ふさふさな内は勇気が出ない。薄くなってきたら考えんでもないけどね。そこまでしてモテたいかっていうと、そうでもないんだよな。やっぱ運命の人に巡り会いたいっていう願望は強い。


 思春期乙女みたいな夢を見るおっさんなんて、気持ち悪いとか言うなよ。これでも真剣なんだから。


 脳内でアホな葛藤していると、不意にリズさんの雰囲気が変わった。


「ここに来たという事は、あなた達は魔術士を希望している。間違いないわね?」


 その顔は柔和に微笑んでいる。なのに、薄ら寒い気配が背中を這いずった。


 これが、本物の魔術士。


 固まる俺達をリズさんは恍惚とした表情で見遣り、唇を開く。


「魔術士とは、この世のシステムに介入し、その深淵を覗く者。この世界には魔晶マナと呼ばれる魔力のもとが大気に満ちている。それはかつて神が地上にいた頃の残滓。この魔晶マナを拠り所にして私達は魔術を発動させる。魔晶マナシステムをこじ開けるための鍵を創る素材。呪文コードはその鍵を構築させる術。魔術書にはこの呪文コードが記されているの。太古から脈絡と続く知の結晶よ」


 俺は知らず、ゴクリと喉を鳴らす。


 なんだ?


 何かやばい気がする。

 これは聞いてもいい事なのか?


 この世のシステム


 それってまるで……。


「この呪文コードは複雑で解読が難しいの。最初は基礎的な物から覚えてもらうわ。そして、もうひとつ。忘れてはいけない事。魔晶マナは神がこの地を去った今でも絶えず補充されている。魔物によってね」


 魔物が魔晶マナを生んでる?

 どういう事だ?


 魔物は危険な生き物で、討伐対象じゃないのか?


 それが魔晶マナを生んでるって事は、魔術士は魔物がいないと術を使えないって事になる。


「統一研修でも聞いたでしょう? ︎︎魔物を無闇に狩りすぎてはいけないって。これもその理由のひとつ。そして魔晶マナは人の生命維持にも必要不可欠なの。私達の体は魔晶マナを取り込む事で動いているわ。だから魔物の絶滅は人の絶滅を意味するって事よ」


 リズさんは表情を変えずに淡々と語る。キノコ頭を見れば、俺と同じように驚いていた。つまりこれって一般的な情報じゃ無いって事だよな。


 俺はおそるおそる問いかける。


「あの……これって俺達みたいなひよっこが聞いてもいい事なんですか? ︎︎この世のシステムなんて、そんな大それた事」


 リズさんは俺の問に首を傾げて答えた。


「あら、あなた達はもう魔術士なのでしょう? ︎︎これは基礎中の基礎よ。魔晶マナについては他のジョブ研修でも教える事だわ。一般の人にはあまり浸透していないけれど、魔物の必要性は知ってる。まぁ、それも生活に必要かどうかって所の方が重要みたいだけどね」


 魔術士……そうか、ここに来た時点で俺達は魔術士とみなされている。もう冒険者登録も済んでいるし、統一研修も受けた。


 その重みがやっと分かった気がする。


 リズさんは息を呑む俺達に更に追い打ちをかける。


「そうそう。魔術士の叡智、魔杯の塔が魔王の誕生を感知したわ。この情報は既に世界中の国やギルドに報告されてる。魔王の存在は魔物と人の均衡を崩すものよ。魔物は人の生活に必要な存在だけれど、魔王が誕生するとその力の影響を受けて危険度が増すの。中には計り知れない進化をするものもいるわ。でもそれは勇者の降臨を示すものでもある。冒険者はこれから勇者に協力する事になるわ。いい時に冒険者になったわね」


 リズさんはにっこり笑って言い放つ。


 嘘だろ。

 あの天使の誘いを断った所で、勇者とは離れられないのかよ。ギルドにも伝わってるって事は、イルベル達もすぐ知るはずだ。どう動くのが正解なのかまだ分からない。帰ったら相談するべきか。


 迷っている俺を他所にリズさんは手を叩く。


「さ、そういう訳だから。あなた達にも早く前線に立ってもらわなきゃいけないの。魔術の基礎を教えるから修練場へ行きましょう。大丈夫、これを覚えればあとは応用よ。あなた達がどんな魔術士になるのか。楽しみだわ」


 その声に追い立てられて、俺とキノコくんは修練場へと向かった。

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