空虚の瞳

深雪 了

空虚の瞳

その集落には、いつも荒んだ風が吹いていた。


そこの一帯にはとある部族が住んでいた。

名前をヌタ族といい、冬でも薄汚れたボロ布の服を纏い、隙間風が入り込む粗末な家に住んでいた。

はっきりとした時期を覚えている者はいなかったが、数十年前からその辺りの地域ではヌタ族のみが迫害されるようになっていた。

作物が育ちづらい不毛の土地であったせいか、村民達ができる限りの税を納め、足りない時は労働を申し出るなどの努力をしても見返りはほとんど無く、ヌタ族であるというだけで無条件で侮蔑の対象となった。それが更にその村を貧困化させることとなった。

 

そのヌタ族が住む村の付近を、一人の少年が歩いていた。

名前をユウトといい、ヌタ族の村を含むその辺り一帯を治める家の一人息子であった。自分の家でもある屋敷での五時間にわたる授業が終わったところで、気晴らしに散歩をしていたところだった。

屋敷から歩いて二時間以上はかかるため、普段はこの辺りまでは来ないのだが、たまには違う道を歩いてみようという思いつきからだった。


うっそうとした林の中を雑草を踏みしめながら歩いていると、一人の少女を発見した。

その少女は、ボロボロの服を纏い、何やら足を押さえながらその場に座り込んでいた。

(ヌタ族だな・・・)

そう思いはしたものの、気付けばユウトは少女に駆け寄っていた。

「君、大丈夫?」

声をかけると、少女ははっとしたように振り向いた。


年の頃は十七歳のユウトより少し下に見えた。小柄で、顔も小さい。肩くらいまである茶色い髪を後ろでひとつにちょこんと括って、服や顔は薄汚れていた。


少女は明らかにユウトを警戒していた。睨みつけこそはしていなかったが、整った形の瞳は真っ直ぐにユウトを見据えていて、険しい顔をしていた。

「・・・あの、僕、ユウトっていうんだけど、どうしてそんなところに座り込んでいるの?」

少女の警戒を解くため、彼はまず自分が名乗ってから状況を尋ねた。

少しの沈黙があったが、少女は口を開いた。

「・・・ここ」

彼女が差し出した左脚には傷があり、少量だが血が流れていた。それを見たユウトは、

「・・・雑菌でも入ったら大変だ。僕が手当するよ。必要なものを用意してくるから、少し待っててくれる?」

と言った。すると少女は半信半疑な面持ちで彼を見つめた。それに対しユウトは必ず待っててね、と言い残すと街の方まで走り出した。


そこから一番近い街まで走り続け、彼は雑貨屋で包帯と消毒に使えそうな薬液を購入した。

(まだ居てくれるだろうか・・・)

不安に思いながら急ぎ駆け戻ると、少女はまだその場に座ったままだった。

少し安心したユウトは、少女にお待たせ、と声を掛けると、少し我慢してね、と言いその場に屈み込むと消毒を始めた。


作業をする彼を、少女は観察するように見つめていた。ユウトのことをまだ敵か味方か判断しかねている様子だった。差別を受けている一族だからか、他所者への警戒心が強いのかもしれないとユウトは思った。


包帯を巻き終わると、はい、できたよ、と言ってユウトは少女の手を取った。彼女が少しびくりとしたのが伝わった。

「まだ痛みはひどい?立てそう?」

手を取ったままユウトが尋ねると、少女は無言で立ち上がった。それを見て、うん、とりあえずは大丈夫そうだね、と少女に笑いかけた。

「・・・どうして」

立ち上がった少女が初めて口を開いた。

「どうして、手当なんかしたんだ?・・・私がどこの者だかわからないのか?」

淡々とした話し方だった。声は大きくはないが、どこか意思の強さを感じる喋り方だった。

「・・・えっと、ヌタ族の子、・・・だよね?」

ユウトが確認するように聞くと、少女はこくりと頷いた。

「ヌタ族なんかと関わったなんておまえの周りに知れたら、おまえが侮辱されることになるぞ」

少女の言うことはもっともだった。ましてや自分はその地を治める家の息子、侮蔑どころか父親から大目玉を食らうことは目に見えていた。

——でも。

「でも、せっかくこうして会ったんだしさ、君の名前くらいは教えてよ。僕友達が少なくて、さみしい思いをしてるんだ」

彼が言うと、少女はまたその知的な瞳でユウトを観察した。やがて、躊躇ったように口を開いた。

「私はサエだ。おまえは・・・どこに住んでいるんだ?」

「僕はここから東にしばらく行ったところだよ」

本当は西の方面の街だった。しかしサエに素性を知られる訳にはいかなかった。

「また来るから、次は名前で呼んでくれると嬉しいな。じゃあ、足をお大事にね」

そしてサエに背を向けた。サエからのとまどいを含んだ視線を感じながら、ユウトは自分が咎められるようなことをしでかした興奮と、新しい友人ができるかもしれない嬉しさとをかみしめて帰路についていた。


 その二日後、ユウトはまたサエと出会った林に向かった。会える保証はなかったが、同じ時間帯に行けば会えるかもしれないという算段はあった。


しばらく林を進んでいくと、かがんで何かをしているサエを見つけた。今度は怪我をしているわけではなく、何か雑草をむしっていた。

「やあ」

声を掛けると、サエは振り返った。最初に会った時のように警戒はしていないが、にこりともしていなかった。

「また来たのか」

「それ、何採ってるの?」

彼女の手にある雑草を指すと、サエはそれに目を落とした。

「これか?・・・今夜の食糧だが」

え、とユウトは漏らした。裕福な家庭で育った彼に、普通の野菜を食べる習慣はあれど、そのあたりの林に生えている雑草を食べる習慣はなかったからだ。

「食べられるの?」

「ああ、とても美味いというわけではないけど、火を通せば普通に食べられる」

「そうなんだ・・・」

そこでサエはユウトをじっと見た。

「おまえは食にあまり不自由していないんだな。・・・私たちヌタ族は、こんなものでも食べないと生きていけないんだ。ヌタ族じゃなくても、雑草を食べるような地域はそれなりにある」

へえ・・・とユウトはしどろもどろな相槌を打った。自分の家が治める地域が、そんなに貧しいとは知らなかった。家族や使用人からは、一般教養としての知識を教わることはあっても、まつりごとに関する話はほとんど聞かされていなかった。

「ところで、怪我はもう大丈夫?」

何となく話題を変えたくて、また本当に気がかりでもあったので、ユウトは聞いた。

「・・・ああ、もう大したことはない。その節は、世話になったな」

サエは足をさすりながら言った。確かに二日前に比べると傷は薄くなっていたが、それでも傷がむきだしなのはよくないと思ったので、

「うん、少し良くなってるね。でもまだ包帯は巻いていた方がいいよ」

と何の疑問も持たずに言った。しかしサエは、

「うちには包帯は無いんだ」

と伏し目がちに言った。

「おそらくうちだけじゃなくて、集落のどこの家にも無いと思う。そんなものは。」

再び、え、と声を漏らした。包帯は高級品でも何でもなく、一般家庭にそれなりにあるだろうし、無くても店で買えるはずだった。

「・・・うちの民族は、衣食住をまかなっていくだけでやっとなんだ。そんなものには手を出せない。それでも、服はこんなにボロボロだし、雑草を食べることなんて当たり前だ。生きていくだけで、必死なんだよ」

サエの語った事実はユウトの想像を超えていた。ヌタ族の差別も知っていたし、貧しいこともわかっていたが、ここまでとは思っていなかった。ヌタ族の人間と実際に接することによって、改めて自分が世間知らずなことを思い知らされた。

「・・・大変なんだね」

絞り出した言葉は、それだけだった。それに対してサエはうつむいたまま、ああ、と答えた。

「・・・やっぱり、作物が十分に取れないと生活も苦しいよね。何か対策が出来ればいいんだけど・・・」

考え込むユウトを、サエはまたじっと見つめた。

「ヌタ族が貧しいのはそれだけのせいじゃない」

「え?」

「・・・確かに最初は、作物が取れないことが理由だった。でもそんな地域は他にだってある。それでもヌタ族が最下層とされ、虐げられているのは、領主がそうと決めたからだ」

「決めた・・・って?」

そこでサエは憂鬱そうに溜息をついた。

「数十年前、今の領主の前代の頃、税の高さへの不満から、暴動を起こした貧しい地域があった。最初は一つの村の暴動だったけど、それに焚き付けられた他の貧しい地域の村民も加わって、そこそこ大きな騒動になったんだ。それで、当時の領主はそれを収めるために、その時争いに加わっていなかったこの村を最下層と決めつけ、他の地域への就職も事実上の不可能としたんだ。その分、他の貧しい地域の人達に多少は仕事が回ることになる。それで暴動を起こした人達を納得させようとしたんだよ」

「・・・税が減ったわけでもないのに、そんなにうまくいく?」

サエはうん、と頷いた。

「一番大きかったのは仕事に就ける人が増えたことだと思うけど、貧しい村の人達は、ヌタ族という、自分たちより下の立場の人間がいるっていう心理的な優位感を持つことで、貧しさから来る自分達のみじめさを払拭してたんだよ。少数の民族を下とすることで、その他大勢を納得させたんだ。・・・本当に汚い手口だよ」

そしてサエは目を伏せた。その目元に長いまつ毛が翳っていた。

「・・・それは、ひどい話だね・・・・・・」

ユウトはそう返事をするのがやっとだった。前代というと、ユウトの祖父にあたる人物だ。ユウトが生まれる前に亡くなっていたので会ったことはないが、そんなにひどい政治をおこなっていたとは知らなかった。しかもそれを父が知らないはずがない。それを承知の上で、同じまつりごとを続けているのだ。ユウトは途方に暮れた。

「・・・ごめん、もう遅いから、そろそろ帰らなきゃ。また来るよ。きみも暗くなる前に帰った方がいい」

「ああ。じゃあな」

サエは不思議な顔もせず返事をした。自分のした話の重さが部外者にショックを与えたと思ったのだろう。現にそうだったが、ユウトは部外者ではなかったし、それを自分の家族がやってきたと思うと、怒りと悲しさが混じり合ったような気持ちになった。

 

 屋敷に帰り、家族と夕食を摂っている間、ユウトは沈鬱な面持ちでひたすら食事をかきこんでいた。彼は人並みに朗らかな性格であるため、家族は不思議に思ったようだった。具合が悪いの?と母が尋ねてきたので、そうかもしれないとユウトは答えた。今日は早く休みなさいと父が言ってきたが、先程サエから聞いた話が頭から離れなかったので、顔を見ることもできなかった。ユウトは卵と葉物のスープを流し込むと、ごちそうさま、と言って、逃げるようにして自室にかけこんだ。


 自室のベッドにうつ伏せに倒れ込んだユウトは、またサエから聞いた話を反芻していた。きっとサエはこんなベッドでは寝れず、薄い敷物をひいた固い地面で寝ているのだろう。時期的にもうすぐユウトの部屋の暖炉には火がつけられるが、そんなものも無いはずだ。・・・・・・自分は、このままサエと会ってもいいのだろうか。


会った時からその躊躇いはあったが、サエの話を聞いてますます罪悪感が増した。いくらサエが自分の正体を知らないとはいえ、一体どのような顔をしてサエと会えばいいというのか。自分はサエと会う資格は無いかもしれない。

・・・でも、サエの為に何かできることはないだろうか。

前向きな彼にはそんな気持ちも沸き始めていた。

何と言っても彼の家はこの地の統治者である。サエの村の状況を変えられるとしたらこの家だけだ。それには、もっとサエの村の現状を知る必要がある。そこから、何か手立てを考えるのだ。

よし。

ユウトは一人で頷いた。今までには感じたことのないエネルギーが漲ってくる感覚がした。

 

次の日も同じ時間に林に向かった。やはり今日もサエは居て、食材を物色しているようだった。

「やあ」

ユウトが声を掛けると、サエは振り返った。その顔は無表情で、彼女が何を考えているかは読み取れない。

「もう、来ないかと思った」

無表情のまま彼女は告げた。それに対しユウトは何故、と返した。

「私の話を聞いて引いてたじゃないか」

またサエは視線を落とした。

「いや、引いてはいないよ。確かに少し・・・衝撃的だったけど、昨日は本当に帰らなきゃいけなかったんだ」

へえ、と言ってサエは雑草をむしり始めた。ユウトの言葉を信じても疑ってもいない様子だった。

「それで・・・もし良かったらなんだけど、今日はきみの住んでいる村を見せてくれないか」

「私の?」

「うん。昨日のきみの話を聞いて、もっとヌタ族の様子を知りたいと思ったんだ」

「・・・構わないが、そんな良い身なりをしている奴が来たら、村の人間達は歓迎するとは限らないよ。それでも良ければ」

「僕は大丈夫だよ」

答えると、サエは分かった、と言って立ち上がった。

「夕食の調達はもう大丈夫なの?」

「ああ。必要な量は手に入れたから、もう村に向かおう」

そして歩き出したサエに続いて、ユウトも後を追った。サエの横に並ぶと、その背の低さが一層際立った。もともとの体格もあるのかもしれないが、栄養不足で背が十分に伸びないのかもしれない、とユウトは思った。

「ところで、サエって何歳なの?僕は十七だけど、僕より少し下かな?」

「私か?私も十七だ」

え、とユウトはこぼした。思わず目を見張った。

「同い年だったの?・・・その、背が低いから、もう少し下かと思っていたよ」

ユウトの慌てぶりを見て、サエは珍しくクスッと笑った。

「よく言われることだよ」

失礼な事を言ったかもしれないと焦ったユウトは思わずフォローを入れた。

「でも、中身は僕より全然大人だよね。落ち着いてるし」

それを聞いたサエはちらっとユウトを一瞥した。

「おそらくおまえよりは苦労してきてるからな」

「そっか、そうだよね」

サエの言葉にユウトは苦笑した。そろそろ着くぞ、とサエが言ったのでその話はそこで自然と終わりになった。


林からしばらく行ったところに、サエの住むエゾ村はあった。特別入口のようなものはなく、なんとなくこの辺からエゾ村、というかんじのようだった。


想像はしていたが、緑はほとんど無く、全体的に茶色く薄汚れた印象だった。家にしても、ユウトの住む家のようなレンガや石造りではなく、数本の骨組みに大きな布を被せただけの、なんとも質素な造りだった。途中何人か村民と出くわしたが、ユウトが危惧していたほど敵意は無さそうで、しかしなぜ他所者がここに居るのかという疑問と、少しの警戒心は感じ取ることができた。

「私の家はここだ」

辺りを見回していると、一つの家の前でサエが足を止めた。その家もやはり他の家と同じように簡素な造りだった。

入口は無く、布を捲って家に入る形だった。蠟燭はあるようで、それで灯りをとっていた。床に絨毯などはなく、地面の上に藁を敷いてあるだけだった。サエをはじめとするヌタ族の衣服が薄汚れているのはこのせいかもしれないと思った。

家の中は狭く、ユウトの自室ほどの広さもなかった。人が寝起きする場所と、火おこしをするような所が一つあるだけだった。

「母さん、ただいま」

家の中に居た、四十代くらいの女性にサエは声を掛けた。女性は黒くて長い髪を一つに括り、美しく優しい印象だったが、皮膚に張りは無く、痩せていて見るからに不健康そうだった。何かの針仕事をしていた。また、家の中にはもう一人十歳くらいの男の子が居た。

「母と、弟だ」

サエがユウトに紹介した。ユウトは頭を下げて、

「すみません、お邪魔します」

と挨拶をした。するとサエの母親は弱々しく微笑んだ。

「いらっしゃい。見ての有様で何もお構いはできませんけど、村の外からお友達が来てくれるなんて嬉しいわ」

「この人は、この前傷の手当をしてくれた人だ。ユウトっていうんだ」

「まあその節は、大変お世話になりました。包帯まで巻いていただいてしまって」

再び頭を下げる母親に対して、ユウトはいえ、と手を振った。

「あのくらい全然大丈夫です。今日もご迷惑にならないように、夕食前には帰りますので」

弟は人見知りなのか無口なのか、大きな目で不思議そうにユウトを見つめはしたものの、話しかけてくることはなかった。

「汚くてすまないが、その辺に座ってくれ」

サエが指した一角に、ユウトは座った。藁の感触は冷たかった。

上を見上げると、この家もやはり骨組みに布を被せてあるだけだった。水を持ってきてユウトに差し出したサエに、

「この家、布で出来てるみたいだけど、雨の日とか大丈夫なの?」

と聞いてみた。サエに差し出されたコップは自分で作ったのか、土を固めて焼いたようないびつな形だった。

「天井の方をよく見てみてくれ」

ユウトの隣に腰掛けたサエが答えた。もう一度天井を見ると、骨組みをクロスさせた上に、鳥の巣のように藁が敷きつめてあるのが見えた。

「家の中に雨が入ってきても、あそこでいくらかは吸ってくれる。・・・でも、あまりにも大雨だと駄目だね」

「じゃあ、どうするの?」

「布を被ってひたすら耐えるよ。あと風が強い日なんかも吹き込んでくる」

「そうなんだ・・・」

丈夫な家に住み、寒ければ暖炉にあたれる生活を送ってきたユウトにしてみたら、信じられない話だった。掛ける言葉が見つけられないでいると、先ほどサエが水を汲んできた樽が目に入った。

「あの水はどうしてるの?」

「飲み水はさすがにその辺のを飲むわけにいかないから、毎日領主の住んでる街から運ばれてくるよ。・・・それが無かったら、うちの村もとっくに暴動を起こしてるかもしれないな」

まさか自分の住む街からヌタ族に水が供給されているとは知らなかった。改めて自分が無知なことを思い知らされた。

「じゃあ、水は全部それでまかなってるの?」

「いや、水は貴重だから、風呂は外の川に入ってくるんだ。冬なんか、冷たくてかなわないよ」

え、とユウトは驚いた。確かに冷たさの問題はあるが、外で入浴するなんて危険ではないのか。

「それって・・・大丈夫なの?ほら、特にサエは女の子だしさ・・・色々・・・」

ユウトは小声になった。サエの母親は少し離れたところで針仕事をしていたが、普通の声量で話をすれば内容が聞こえてしまうかもしれなかった。

ユウトの疑問に、サエはああ、と気づいたような声をあげた。

「暗くなってから入るし、暗黙のルールでこの辺りは女性用、この辺りは男性用って決まっているよ。それに大抵は複数で行く。私は母さんといつも行ってるよ。留守にしたって、取られるようなものは何も無いしね」

「それでも、危険なような気はするけど・・・」

サエはふふっと笑った。

「もし何か野蛮なことをする奴がいたら、それこそそいつは村八分にされるよ。こんな底辺の村でも、一応最低限のルールやモラルは持って生きてるんだよ」

ひとしきり話したところで、サエの弟がサエに呼びかけた。

「ねーね、今日は葉っぱ取ってこなかったの?」

「取ってきたよ。後で茹でてあげるから」

「最近いつもあの葉っぱじゃん。飽きたよ」

「わがまま言わないの」

サエが弟をたしなめると、母親がくすりと笑って話に交じった。

「この子ね、あなたに会えるかもしれないと思ってここのところ毎日あの林に行ってたのよ。村の人以外のお友達ができたのが嬉しかったみたい」

「母さん、余計なこと言わないでよ」

サエが焦った様子で母親を制した。どうやらサエは自分が思っているよりはユウトを受け入れてくれているらしい。それだけでも少し嬉しかった。

「さて、そろそろ夕飯にするみたいだし、僕もあんまり遅くなれないから、もう帰るよ。招待してくれてありがとう」

ユウトが立ち上がると、そうか、と言ってサエが近付いてきた。

「村の入口まで送ろう」

「ありがとう。・・・じゃあ、お邪魔しました」

そう言ってサエの母親に頭を下げると、またいらしてくださいね、と母親の方も会釈をした。

サエの家を出ると辺りはもう薄暗くなっていた。並んで歩く間、サエは口を開かなかった。

「ヌタ族の人達の生活、思ったより大変そうだね・・・」

ユウトが声を掛けると、うん、とサエは頷いた。

「何か僕にできることがあったら言ってね」

できることも何も、自分の家がサエ達にこの生活を強いているのだが、ユウトはそう言うことしかできなかった。

「ありがとう。・・・じゃあ」

村の入口付近にたどり着いたので、そう言って二人は別れた。自分には何ができるだろう、そんなことを考えながら、ユウトは荒れた土地を家路に向かって歩き始めた。


 屋敷にたどり着くと、ちょうど家の前には父親が居た。どこからか一人で帰ってきたところのようだった。ユウトが父上、と声を掛けると、頭に白いものの混じった四十半ばの男は振り返った。

「出かけていたのか。近頃、夕刻よく出かけているようだが」

大して興味も無さそうな調子で父は言った。そのまま屋敷の扉を開けようとする。

「父上、ちょっといいですか」

良い機会だと思い、ユウトは父を呼び止めた。少し億劫そうに父親は振り返った。

「ヌタ族のことなんですけど」

そう言うと、父はかすかに顔をしかめた。

「彼らのこと、最近詳しく知ったんですけど、ちょっとあの扱いはあんまりじゃないんですか・・・。もう少し他の村と同じようにするとか、・・・せめて、あの差別はやめませんか」

おそるおそる、しかし強い意志をもって父に申し立てたが、父親は苦々しい顔をしただけだった。

「お前が口を挟むことではない」

そう言って屋敷の中に入ろうとしたので、ユウトは更に引き止めた。

「彼らだって、僕達と同じ人間なんですよ・・・!」

ユウトの叫びに、父親は眉間に皺を寄せて振り返った。

「政治というのはな、全てが上手くいくというのは無理だ。とりわけここの一帯は貧しい。この仕組みで何十年もどうにかやってきたのだ。今更変えるつもりなどない」

早口でまくしたてると、父親は大きな音を立てて屋敷の中に入ってしまった。残されたユウトは、途方に暮れて立ちつくすことしかできなかった。


 次の日も林に向かったが、その日はサエの姿はそこには無かった。三十分ほど待ってみたが、やはり現れなかった。いつもなら、このくらいの時間には居るはずだった。何か用事があるのだろうか。確かに毎日同じ時間に同じ場所に来るのは難しいかもしれない。そう思ったユウトはあまり気にはとめず、その日は自分の屋敷に戻った。


次の日も来てみると、今日はサエの姿があった。また夕食の材料を採っているようだ。ユウトは安心すると、サエに駆け寄った。

「やあ、昨日はここには来なかったんだね」

ユウトが呼び掛けると、サエは振り返った。

「・・・ああ、昨日は弟が熱を出してね。看病しなくてはいけなかったんだ」

再び草をむしりながらサエは答えた。

「・・・そうなんだ。もう大丈夫なの?」

「ああ。ほとんど落ち着いているよ」

そっか、とユウトが相槌を打つと、サエはしばらく草をむしり続けていたが、ふと顔を上げた。

「私はこの後もう少し移動して食糧を探すつもりだけど、おまえはどうする?」

「じゃあ僕もつきあうよ」

二日ぶりに話せるのが嬉しかったので、そのままサエに同行することにした。


そこからしばらく歩くと、林はなくなり小高い丘に行き当たった。結構な高さがある丘で、道幅は狭くはないものの、うっかり足を滑らせれば命を落としかねない危険があった。しかしサエはそこに平然と腰掛けると、少し休憩しよう、と言った。

ユウトは躊躇したが、男子の自分がここで怖気づいたりしたら格好がつかないと思ったので、勇気を出してサエの横に座った。

「こういう危ない道はよく通るの?」

サエの横顔を見ると、彼女は頷いた。

「汚い、寒い、危ないは貧しい人間にとっては当たり前にあることなんだよ」

「・・・・・・」

ユウトは返す言葉に窮したが、ややあって、でも、と身を乗り出した。

「でも、もしかしたら、ずっとこんな生活じゃないかもしれないよ。領主が変わるとか、今の領主が改心するとか・・・あるかもしれないじゃん」

ユウトが明るい調子で言うと、サエは彼を振り返った。

「・・・何十年も、こんな風習が続いてきたんだ。領主の代が変わってもだ。・・・今更そんな簡単に変わらない」

珍しく少し語気を荒げたサエに、ユウトは言葉を詰まらせた。

「・・・たまに、思うんだ」

いつもの口調に戻ったサエは、そのまま話し続けた。

「人生は、まるで上手くいかないままごとみたいだ。基本的に何もかもが噛み合わなくて、たまに上手くいったと思ってもすぐ駄目になる。

・・・何の為に生きているのか、どこに向かって生きたらいいのか。誰の為に生きているのか。・・・そんなことばかり考える。そんな人生だ。ずっと。」

そう吐き捨てるサエの、大きいがどこか乾いた瞳を見つめた。彼女たちの生活ぶりを思い出すと、その人生がずっと真冬の冷たい風の中を歩くようなものだったのだと簡単に想像ができる。村の人以外の友達が出来たのが嬉しいみたい、と言ったサエの母親の言葉を思い返す。きっと、ヌタ族というだけで蔑まれて、親しくなることなんて論外だったのだろう。

「・・・変わるよ、きっと」

そう呟いたユウトを、サエは少し驚いたように振り返った。

「変わる。絶対変わるよ。・・・こんなことは、もう何年も続けさせない」

決心のつもりだった。サエには意味が分かるはずもなかったが、彼女は揺れ動く瞳でユウトを見つめていた。


 それからしばらく、サエとは会ったり会わなかったりしながら、ユウトはサエの村の為にできることを考えていた。父親はユウトの意見など全く聞き入れないし、現時点でユウトが領主の仕事に介入する余地は無いため、ユウトは頭を悩ませていた。

とりあえずは少しでも政治の知識を身に着けようと、母親との雑談の際に何気なくその話をしてみたり、勉学の時間に教師に領地の内情を尋ねてみたりした。


 ある日授業が終わってユウトが屋敷の中を歩いていると、先ほどまでユウトに勉学を教えていたカンダという教師と使用人が立ち話をしていた。そのまま通り過ぎようかと思ったが、二人がなにやら声をひそめて話をしているので、気になったユウトは陰に隠れて二人の話を聞くことにした。

「・・・ヌタ族に反乱の動きがあるというのは本当ですか?」

カンダが使用人に尋ねていた。使用人は無言で頷くと、

「・・・どうやら、そのようです。私も詳しくは聞いていないのですが、エゾ村に定期的に視察に行っていた人間がそのように言っていたとか」

と、先程よりも一層声をひそめて話した。

「・・・それで、どうするのです?この家としては」

「反乱が起きてしまってからでは、他の村も加わりかねません。そうなる前に粛清するつもりのようです」

ユウトは心拍数が上がるのを感じていた。脇に嫌な汗をかいている。

エゾ村を粛清・・・?そんなことをしたら、村の人達は、・・・サエは。

大変なことだ。サエはこのことを知っているのだろうか。すぐにでも知らせなければ。ユウトは二人が居なくなったのを確認すると、物陰を飛び出し屋敷の外へと走り出した。


 走っていつもの林に向かったため、着いた頃にはだいぶ息が切れていた。その日もサエは居て、木の幹に寄り掛かっていた彼女はやあ、とユウトに声を掛けた。

「そんなに急いで、今日はどうしたんだ」

ユウトはまだ息切れしていたが、少し息を整えると、顔を上げてサエに言った。

「ヌタ族が暴動を起こすかもしれないって、本当・・・?」

サエの顔が翳った。

「・・・どこでそんな話を?」

「たまたま知り合いから聞いたんだ。・・・それより、絶対にやめた方がいい。食料も武具も全然無いのに、かないっこないよ・・・」

サエは下を向いたまま、片足で地面にあった石を弄んだ。

「上のやつらが決めたことだから、私にはどうしようもないよ。それにもう情報が広まってるってことは・・・今さら遅いな。領主側は何らかの行動に出るだろうね」

「じゃあ、今からでも降伏を・・・」

ユウトは懇願するように言ったが、サエは首を振った。

「それも上が決めることだし、こうなってしまった以上はもう引かないだろう。もう誰もが、今の生活に耐えられないんだ。命を懸けてでも、何か行動を起こしたいんだろうね」

「・・・でも、そんなの・・・!そうだ、事が収まるまで、どこか他の村に隠れていなよ」

「・・・私はヌタ族だぞ。匿ってくれる場所があると思うか?」

サエは卑屈そうに笑った。彼女のそんな顔を見たのは初めてだった。

「まあ、私は女だから直接戦いに駆り出されることはないだろうし、落ち着いたらまた私の村に遊びに来てよ」

やけに快活に言うサエに、ユウトはそれ以上何も言うことができなかった。


 翌日、ユウトは自室のベッドで横になったまま頭を悩ませていた。父親が本当にエゾ村を攻撃するつもりなら、どうにかやめさせなければいけなかった。しかし手立てが思い浮かばない。先日の様子からすると、直接話したところで聞き入れてくれるはずはなかった。ヌタ族ももう引き返すことはできないところまできている。一体どうしたら・・・。そう考えてごろごろと寝返りを打ったものの、何も良い策は考えつかなかった。

そのまましばらくそうしていたが、意を決して起き上がった。やはり父親に直談判するしかない。最善策とは思えないが、何もしないよりはマシだった。よしっと言ってユウトは部屋を出た。


父親の書斎をノックすると、誰だ、という父親の声が聞こえた。ユウトです、と名乗ると入れ、と返事がかえってきた。失礼します、と言ってユウトが部屋に入ると、父親は机に向かっていた。コーヒーをすする顔には疲れが貼り付いていた。

「あの・・・エゾ村に攻撃をするつもりだって、本当ですか」

ユウトが緊張の面持ちで言うと、父親は眉をつり上げた。

「・・・全く、簡単に極秘事項を周囲に漏らす人間は誰かな」

「僕がたまたま聞いてしまったんです。・・・それよりも、絶対にやめてください、いくらなんでも不当すぎます」

ユウトは懸命に訴えたが、父親は彼を見もせず書類を捲っていた。

「・・・そのことなら、もう遅い。先ほど兵をエゾ村に向かわせた」

「え・・・・・・」

ユウトは愕然とした。なんてことを、と呟いた。握りしめた拳が震えていた。父親は相変わらず何くわぬ顔でコーヒーを飲んでいた。目の前にいるのが自分の肉親とは思いたくなかった。

「・・・あなたは、悪人だ・・・!」

それだけ言い放つと、ユウトは急いで部屋を飛び出した。そのまま屋敷も飛び出し、わき目もふらずエゾ村の方へと駆けて行く。早く。早く。そう言い聞かせて、必死に走り続けた。お願いだから、最悪の事態は免れてくれ。懇願しながら足を動かしていたが、エゾ村に近付くにつれて何やら騒がしくなってきた。林を抜けると、兵士が数人居るのが見えた。ユウトは兵士達に駆け寄った。

「やめてくれ‼ヌタ族を攻撃しないでくれ‼」

必死で呼び掛けたが、兵士達は難しい顔をしただけだった。息子であるというだけで、何の力も無いユウトの命令を聞くはずもなかった。

諦めてユウトは更に村へと走った。段々と兵士の数と怒声が大きくなっていた。


エゾ村の中は悲惨な状態だった。もう両者の衝突は始まっていて、兵士達は何本もの弓矢を放っていた。それが命中して負傷している村民や、中にはもう絶命している者も居た。一方やはりヌタ族は大した武装もしていないらしく、兵士側の損傷はほとんど無いようだった。どちらに分があるのかは見て明らかだった。それでもヌタ族は降伏しようとしない。

(サエを探さなくちゃ・・・!)

そう思ったユウトは辺りを見回した。暗い空には何本もの矢が飛んでいる。おびただしい数の矢が降ってくる。まるで矢の雨だった。それに当たらないよう必死で走り回っていると、サエの家の前で座り込んでいる少女を見つけた。

サエだった。良かった、と思ったものの、近付いたサエの腹部には一本の矢が刺さっていた。

「サエ・・・!」

ユウトが駆け寄ると、家に寄り掛かったまま腹部を押さえたサエはゆっくりと振り返った。目には生気が無く、ああ、と呟いただけたった。

「サエ・・・!大丈夫か・・・!」

そう声を掛けてはみたものの、腹部からは大量の血が流れていた。それを押さえるサエの手も真っ赤に染まっている。

「・・・いま、包帯を持ってくる。だから、家の中に避難・・・」

そう言ってサエの体を起こそうとしたが、

「いい、いいんだ」

とサエはユウトの言葉を遮った。

「もう助からない」

呟くサエは話すのも息苦しそうだった。

「・・・そんな・・・」

ユウトはそう言ってはみたものの、恐らく助かる怪我ではないことを彼も感じた。初めてとてつもない絶望を感じた。頼むから嘘だと言ってほしい。

「サエ・・・、死なないでくれ・・・!」

絞り出した声は、ほとんど嗚咽交じりだった。しかし対照的にサエは弱々しく、ふっと笑った。

「・・・いいんだ。このまま・・・生きてたって、ずっと、悲惨なままだ・・・。ずっと、暗闇の中を這いつくばるような、人生だった・・・。最後に、おまえという・・・友人が出来ただけで、もう、十分なんだ・・・」

かすれ声で話すサエの口調は、こんな時でさえ穏やかだった。

「・・・ごめん、僕の、せいだ・・・‼」

何のことかは分からないはずだったが、ユウトは涙を流しながらサエに謝った。

しかしサエは、

「・・・おまえが、領主の息子だってこと・・・知っていたよ。おまえが・・・村に来た日の帰り道、おまえを尾けてみたんだ。・・・そうしたら、領主と話しているおまえがいて、そのまま同じ家に入っていった・・・」

と目を閉じながら言った。あの日の時の事だ。ヌタ族の村から帰ってきて父親にヌタ族の話をしていたとき、サエはそれを見ていたのだ。次の日サエがいつもの林に現れなかったのは、弟が熱を出したからではなく、ユウトの正体を知り、この関係を続けても良いのかきっと悩んでいたのだろう。なんということだろう。自分はずっとサエを裏切り続けていたのだ。

「・・・でも、おまえが今の悪政をやっているわけではなかったし、・・・なにより、ヌタ族の私を、蔑まずに仲良くしてくれた。・・・それだけで、私は・・・十分だったんだ・・・」

「サエ・・・」

ユウトが流した涙を、サエは微笑んでぬぐった。その手についていた血が、ユウトの頬をべっとりと紅くした。

「・・・せめて、おまえがこの地を、正しい方向に導いてくれることを祈るよ・・・もう私たちみたいな・・・人間を、出さないことを・・・」

「サエ、もう喋らない方がいい」

サエの体を支えたまま、ユウトは言った。サエの体に涙が落ちる。


どうして、こうなる前に自分は何も出来なかったのだろう。まつりごとをおこなっている家の人間でありながら、何一つ変えられなかった。自分がもっと世の中をよく知っていたら、もっと何か行動が起こせていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。あらためて、自分の無力さと無知を呪った。しかし、そんな彼をサエは微笑んで見つめた。

「一人の人間として接してくれて、ありがとう。おまえのおかげで、最後に少しだけ・・・良い夢が見れたよ。」

段々と、サエの声が掠れていき、瞼も落ちていく。

そして、初めて彼の名を呼んだ。

「来世でもまた会えるといいな。・・・・・・じゃあな、ユウト」

ユウトの頬に伸びていたサエの手が落ちた。

「・・・サエ!サエ‼」

呼び掛けたがもう彼女が目を開けることはなく、その体はユウトの腕にしなだれかかっていた。ユウトは顔をうずめて、嗚咽をもらした。


サエ、ごめん。本当にごめん。領主の息子の立場でありながら、何もしてあげられなかった。そして正体をずっと隠していてごめん。サエがヌタ族でありながら他の人間と関わるのが恐かったように、僕も僕がサエの仇側の人間だってことが知られて、君に恨まれない自信が無かったんだ。本当に意気地がなかったと思う。君は許してくれるだろうか。

せめてもの贖罪として、この地の惨状を絶対に変えてみせる。必死に政治の勉強をして、もっと世の中を知って、父親にだって対抗してみせる。もうこんなことは繰り返さないように、同じ思いをする人がいないように、やってみせる。そして必ず君の墓参りに来よう。そこで良い報告ができるようにするからどうか見守っていてほしい。


ユウトはサエの亡骸をそっと彼女の家の中に運んだ。そして、藁の上に横たえさせる。両手を胸の上で組ませて、サエを見つめた。彼女の顔は穏やかだった。ユウトは最後に一言別れを告げると、流れる涙を拭いて立ち上がった。


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空虚の瞳 深雪 了 @ryo_naoi

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