第7話 クラウス

 本当に、マリーが回復してくれて良かった。


 マリーには伝えなかったが、ジェームズと共謀していたマチルダは、マリー亡き後の後妻の座を狙っていたようだ。


 少し裕福な家に生まれたマチルダは、簡単に子爵夫人になれると勘違いしていたらしい。


 だが、ジェームズが資産を食い潰した後の後妻となったところでどうするつもりだったのか。


 浅はかな女の考えはわからない。


 マリーに伝えた中で、俺は一つだけ嘘をついた。


 本当は、マリーの家族には彼女の無事を伝えてある。


 今はまだマリーの気持ちが落ち着いていないから、少しだけ見守らせてほしいと、伯爵家には伝えている。


 エトワイト伯爵家で過ごした数年で、マリーがどれだけ家族から愛されていたのか知っている。


 マルコム子爵家からマリーへの婚約の打診があった時、当初、マリーの父親は首を縦に振らなかった。


 エルドの両親から頭を下げられ、そしてこの時はマリーとエルドの仲が良かったから成立した婚約だった。


 二人が卒業の時点でエルドの両親が存命であれば、婚約を白紙にしていたのにと、のちにマリーの父親は語っていた。


 火事で子爵夫妻が他界した事により、マリーがエルドから離れ難くなっていた。


 エルドを慰めているマリーの献身を見て、周囲の者は何も言えなくなり、その結果、彼女の愛に驕ったエルドは愚者に成り果てていた。


 そこは、今さら悔やんでも仕方がないことだ。




 彼女は、ちゃんと自分の気持ちを整理した上で、新たな生活を始めた。


 だから俺は、王都のはずれにあるパン屋に足繁く通っている。


「クラウス!いらっしゃい!」


 ドアノブをひねって開けると、明るい笑顔で出迎えてくれたのはマリーだ。


 彼女はここのパン屋で働き始め、最近では自らが焼いたパンも店頭に並ぶようになっていた。


 今日はエトワイト伯爵夫妻も、マリーの姿をこっそりと見守っており、後で俺がパンを届ける事になっている。


 今は念の為、伯爵家の護衛が彼女を見守っているが、マリーは魅力溢れる娘だから、違う意味での心配もある。


 でも、何よりも、生き生きとした表情で働くマリーの姿を見ると安心する。


 それに、すぐ近くでマリーの笑顔が見られるだけで俺は幸せだ。


 学生時代から今まで、遠くから想うだけの関係だったけど、幸せになってもらいたい、誰よりも大切な女性がマリーだった。


 一番辛い時に何もしてあげられなかったから、未だに無力さを痛感している。


 だから、辛い目に遭ったばかりのマリーに言い寄るなどできるはずもない。


 子供の頃から今も、マリーが笑顔でいられるように、こうやって様子を見に来て見守るだけがせいぜいだ。


「ありがとう。クラウス」


 マリーから紙袋に入ったパンを受け取る。


「ああ。また買いに来るよ」


「クラウス、今度、食事をご馳走してもいい?その……お礼に」


「ああ。楽しみにしているよ」


 マリーの言葉に、この時は特に意識をしないで店の外に出た。


 扉が閉まった所で立ち止まる。


 ちょっと待て。


 今、マリーは、俺を食事に誘ってくれたのか!?


 そんな事は初めてで、バッと勢いよく店の方を振り向いた。


 扉の向こうの彼女の姿は見えない。


 バクバクと心臓が鳴っている。


 いやいや、落ち着け。


 お礼だと言っていたじゃないか。


 今すぐ戻って、日にちと場所を決めてしまいたいくらいだが、ガツガツし過ぎてマリーに引かれるのも怖い。


 足元がフワフワしていて、まるで子供の頃に戻ったような感覚だった。 


 挙動不審の俺が騎士団の営舎に戻ったところで、後輩に笑われるのは必至のことだったが、マリーとの関係が大きく変わる予感に浮かれてしまいそうなのを必死に抑える必要があった。







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