いつまでも変わらない愛情を与えてもらえるのだと思っていた
奏千歌
第1話 エルド①
手紙を読んで、舌打ちをした。
“薬を買うお金がないので、もう少し生活費を増やして欲しい”
別居している妻からの手紙だ。
俺の気を引きたいがために、こんな手紙をよこして。
領地にいる家令には、十分すぎる額を渡しているのに。
金に賤しいこの女が、俺の妻なのが腹立たしい。
いつの頃からだろうか。
妻の待つ家に帰るのが億劫になっていたのは。
妻となったマリー・エトワイトと言う女は、昔から辛気臭い女だった。
幼なじみでなければ、結婚する前にとうに縁など切っていた。
伯爵家に生まれた彼女と、子爵家の嫡男として生まれた俺は、ほぼ生まれた時から一緒にいる幼なじみだった。
小さな頃から俺の後を黙ってついて回るだけの大人しい女で、積極的に自分から社交の中心になろうとはしなかったから、そんなマリーを両親は心配していた。
だから、親交のある俺の婚約者となるのは必然ではあったのだろう。
金持ちのエトワイト伯爵家から頼まれれば、俺の両親も拒否を示すことはできなかった。
俺の意思なんか何一つ関係のないところで、決められた結婚だった。
俺には、最初から不満しかなかったんだ。
学園を卒業する少し前のことだ。
「エルド……あの……今度のパーティーのことなのだけど……」
授業が終わり、教室から出たところで、隣のクラスのマリーから話しかけられていた。
オドオドとした様子のマリーは、俺が視線を向けただけで俯いてしまっている。
「目を見て話す気がないのなら、話しかけてくるな。鬱陶しい」
「ごめんなさい」
「なんでお前みたいな女が、婚約者なんだ」
「ごめんなさい……」
何度も謝罪を繰り返されて、苛立ちは募るばかりだ。
「何の用だ」
「初めて、二人だけで出席するパーティーだから……ドレスの色をどうしようかと、相談したくて」
そこで俺は、マリーに聞こえるように舌打ちをした。
できるならば、嫌味かと怒鳴りつけたかったからだ。
実家の子爵家の経済状況的に、マリーにドレスを贈る事は出来ないし、俺が着る予定のものも、ここ最近ではほとんど同じものだ。
もう、返事をするのも億劫で、マリーをその場に残して、さっさと移動していた。
辛気臭い上に、気が利かない。
おまけに地味な容姿で、どうせどんなドレスを着ても似合いはしないんだ。
ドレスに金をかける事が無駄だろうと、心の中で悪態をついていた。
学生の時から、俺の態度は酷いものだったが、この時はまだ、それが当然のように振る舞っていた。
手紙が出された場所の住所をしっかりと確認していれば、もう少し何かが変わっていたのか。
あの時の俺のことを、ただ後悔することしかできない。
俺がどれだけ嫌がろうと、マリーの事を疎ましく思っていようと、縁談は破談になる事はなく、学園を卒業した一年後に俺達は結婚していた。
妻となったマリーは、初めのうちは貞淑な妻を装っていた。
仕事が忙しく、遅く帰る毎日だったが、マリーは俺を出迎える事を欠かさなかった。
労いの言葉も忘れず、だがそれは、俺にとっては苦痛にしかならなかった。
「毎日遅くまで、ご苦労様です」
(要領が悪いから、こんな時間までかかるのよ)
「他の道に進んだ方達も頑張っているそうですね」
(騎士となった幼なじみは活躍しているのに)
俺に向ける微笑みに、侮蔑が含まれているように見えて、マリーの顔を見たくなかった。
希望した王都や王宮への就職が叶わず、領地近くの地方の役場で働くしかない俺がマリーにどのように映っていたのか。
結婚して三ヶ月。
俺達は未だに寝室を共にしていない。
結婚するまで、マリーは俺のことを確かに愛していた。
俺以外の男と話すなと言えばそれに従い、派手な服装をするなと言えばそれに従い、化粧をするなと言えばそれに従っていた。
交友関係も、子爵家以上の家柄の者と付き合うなと言えば、素直にその通りにしていた。
俺が呼べば微笑を浮かべて、いつでもそばに来てくれた。
俺を愛していたから、大人しく従ってくれているのだと思っていた。
だが、彼女は結婚するなり態度を豹変させることになる。
俺が自分のものになって安心したのか、常に俺に蔑みの視線を向けるようになった。
俺よりも優位に立とうとし、子爵家の領地にあるマリーの両親が用意してくれた屋敷で、我が物顔で振る舞い、家での俺の居場所をどんどん奪っていった。
だから、結婚生活に疲れてしまい、俺が王都勤めになったと同時に別居を始めたんだ。
それからマリーとのやり取りは、家令を介してしか行っていない。
頻繁に届く便りに返事を書く事はなかったし、マリーが王都に来ることも拒んでいた。
領地の女主人としての仕事を投げ出してここに来るようなら離婚すると告げれば、マリーは強引に王都の家に押し入る事はなかった。
子爵家の領地は小さな町一つだが、やる事はそれなりにある。
マリーにその仕事をさせていれば、領地で大人しく過ごしてくれている。
その従順な様子を知る限りは、どうやらマリーは、未だに俺を愛してはいるようだった。
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