配慮と損得勘定

@seizansou

全文

 辛いひとは他人に配慮しなくて良いなんて事は無くて、辛くてもできる範囲で配慮することは必要だろう。男だ女だ少数派だ多数派だと区別したところで、それぞれに辛いことがあるわけで、より辛い方が確定したらそち側は一切配慮しなくて良いなんてことにはならない。


 たとえその辛さに共感できなくとも、互いが互いの辛いところに配慮するのが多様性というものではないだろうか。少なくとも、自分が発達障害と呼ばれる様な性質を抱えて生きてきた範囲では、いつもいつも、多数派に対して配慮して配慮して全力で配慮しなければ、生きてはこられなかった。辛いからと言って配慮を怠れば、人との繋がりは断たれて家族とは別れ、学校にも通えなかっただろうし、就職もできなかっただろう。まともな情報を集める手段もなく生活保護の存在すら知らずにホームレスをして、けれどホームレス社会にすら溶け込めず独り死んでいただろう。


 まあ、そういう意味だと、自分にとっては、配慮することによって益があったから、やたら配慮することを評価している節もあるようには思う。


 ただしその配慮という奴は、他人に金を貸すようなもので、返されることを期待してはならない。見返りを期待したとき、それは配慮ではなくて取引となる。

「これをする代わりにそちらはあれをするように」

そうなると、そもそも互いの辛いところは共感できないわけなので、まともに成立する取引はほとんど存在しなくなる。


 だから配慮を取引と捉えてはならない。最近聞かなくなった言葉で言えば「辛いのはお互い様だ」という感じだろうか。


 とにかく、「配慮を取引的に捉えるとめったなことでは交渉が成立しない」。「どうやら相手も辛いらしいからお互い配慮しよう」という慈悲、人情、やさしたといった損得の外側の感情、動機でなければ、成立しない、と思う。

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