第20話 8月9日-1  見ていた少年

 昨日さくじつ、百群高校前駅直結のデパートその地階のスーパーの一連の出来事。

 つまりは五行五木ごぎょういつきと彼と仲睦まじそうな他校の少女を目撃した嵐呼風名あらしよびかぜなという図。風名は五木に話しかけようとしていたようだが、少女の存在を知ると、それをやめた。


 これを見ていたのは刀刃剣かたなばつるぎだった。


 これは波乱の展開になりそうだね、と剣は一人思い誰とも接触することはなかった。


 五木と風名が少なからず想い合っていることを剣は察している。ゴールデンウィークの最中で二人の関係は変わりつつあった。

 その休暇明け、五木はまるでゴールデンウィーク以前に戻ったような態度で風名に接していた。


 どちらからも詳細は聞いていないが、五月五日、陰陽五行との決戦、そして周辺が地図から消える事態を食い止めたことの副作用で五木に何かがあったのだろう。はっきりとはわからないが五木は何かを忘れている。


 剣は静観することにした。当事者二人が黙っているところにずかずかと踏み込むほど、無粋ではない。とはいえ、あの事件から三か月。二人の仲を低迷させている理由はそれに他ならないだろう。


 動くべきか否か、剣は何度か考えたがその度に動かないという選択を取った。今回は介入してもいいだろう。


 剣は不可解部の部室、いつもの場所、つまりは窓際の柱に体を預けていた。一人でいるときもこのスタイルだ。


 五木と一緒にいた少女は確か彼の妹だったはずだ。正式に紹介を受けたわけではないので確定はできない。

 特徴からして恐らく上の妹の雅金あかねだろうと剣は正解に辿り着いていた。


 ここは僕が一肌脱いで誤解を解くしかないね、剣はそう考え、動こうとしていた。


 時刻は午前七時二十分を少し過ぎた頃だった。剣が来てからおよそ三十分が過ぎようとしていた。

 そろそろ来るはず、剣はそう踏んでいた。


 部室の鍵を差し込む音がした。誰もいないと思っているらしい。扉の向こうの人物は施錠してしまい、再度開錠すると扉を開けた。


「わっ、剣かぁ。びっくりした。いるならなんか言ってよね」


 扉から顔だけを出して風名は言った。意外と昨日のことは気にしていないのかもしれない。いや、この時間に来たということは五木と顔を合わせたくないということだろう。


「ごめんよ。ボーッとしてた」

「いつもでしょ……」


 風名は困ったように少し笑った。いつもと比べると表情が少し陰っている。


「そうだ、休み中に何かあったら連絡お願いね。これも五木に言っといて。あとそれから良い夏休みをって」


 有無を言わせずそういって風名は顔を引っ込めた。まさしく嵐のようだった。


 一瞬の間をおいて剣は気付く、ああ五木のこと言うの忘れた、と。


(旦那様ったらいとのろし)


 頭の中で声がした。


「変な古語で罵倒ばとうしないでくれるかな」

(結局言おうとしてたこと言えず)

「ねえ血斬ちぎり」


 その声の主の名を剣は呼んだ。


 彼の愛刀、刀刃家に伝わる名刀、その号を。


 刀刃家の刀、号血斬り。刀には打ったとされる刀匠の娘の魂が入っている。それだけの想いを込めたという比喩ではなく。その娘の血肉を吸った鋼を用いることでこの刀は完成した。


 娘の死によって芸術を完成させる。芥川龍之介の『地獄変』のようだな、と最初聞いた時に剣は思ったものだった。あれの基は『宇治拾遺物語』だったか。


 刀に宿る精霊。というのがしっくりくるか。付喪神つくもがみというものとはまた違うだろう。


 長年刀に宿っている彼女は古語、現代語、少ないが知っているカタカナ語を組み合わせた言葉で話す。剣にしてみれば慣れたものだった。


(なんどす? 旦那様)


 今度は京都弁もどきだった。現代におけるキャラが定まっていないのか口調が安定しない。


「僕このあと来る五木になんか言った方がいいかい?」

(うーん、もだがたきことでしょうけど、旦那様も五木様も乙女心についてまったくしらに……)


 辛辣しんらつだ。確かに女性の考えていることを理解できるとは言わないが、五木ほどの朴念仁ぼくねんじんと並べられることは剣にとって心外だった。


「……おーけー黙っておくよ」

(おーけー……? 承知、ということですね)

「しばらくお休みだからね。五木が気が付くことはないと思うけど風名の頭は冷えるでしょ」

落居らくきょ(物事が落ち着くこと)までは暇入いとまいるでしょうけども、ちょうどお盆ゆえ、丁度良いですね)


 五木のことだ。なぜ自分が避けられているかすぐにはわかるまい。休みの間中考えてもらう他ないようだ。


「ヒントはダメかなぁ?」

(ひんと……足掛かり?)

「そうだよ」

(そのくらいはよしとします)

「ありがとう」


 それきり血斬りは答えなかった。納得したということだろう。さて、どうしたものか。血斬りの言うことは聞いておくことにしよう。


 剣は五木を待ってから帰ることに決めた。

 もちろん余計な事は言わないように心掛けて。

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