第11話 8月6日-2 雷の獣
直射日光に晒され、アスファルトの道はぼやけている。暑い中を
空を、見る。
建物より少し高い位置、一、二――九階建てのマンションだ。そこには空を飛ぶ犬がいた。それはあの夜の獣とはまた違うように見えた。
羽はない。それでも昨日一昨日の出来事と切り離して考えることができようか。
獣は高度を下げた。そのまま地上に降り立つようだ。その場所へ向かう。
曲がり角を折れると三階建てのオフィスビル。一階は喫茶店だろうか。獣はその建物の屋上に降り立とうとしている。ビルと隣のビルの間を通る。石が敷き詰められ、歩くのに難儀はしない。そのまま建物の裏手に回る。
足を
着地した屋上にいたのは一人の男。少し驚いた様子でこちらを見ていた。しまった、と五木は思った。屋上に誰かがいることを想定していない。
年は二十代後半、紺のスーツ姿。前が開けられたジャケットから覗く白いシャツにネクタイは締めていない。前髪をあげた短めの髪はいかにもビジネスマン然としている。その眼光は鋭い。もしかしたら睨まれているのではないかと思わされる程度に。
ただのビジネスマン、に化けているような人だ、と五木は思った。カタギには見えない。
「すみません」
少し迷った末に声を掛ける。見つけた獣はここに降りたはずだった。ならばそこにいた男が無関係だとは到底思えない。
「怪しい少年」
目を細めて言う。本当に怪しんでいるようだ。確かに下から跳躍し、屋上に着地した人間を怪しいと思わない人はいないだろう。
「僕は五行五木と言います」
五木はひとまず名乗ることにした。
「……五行のきょうだい、その長兄か。
昨日、白騎士が並べ立てたものにはなかったはずの変な通り名について、問いただしたくなったところだが、それは一旦飲み込むことにした。話を停滞させてはならない。
「普通に名前でお願いします。えっと」
質問をしようとして呼びかけようとする。そう言えば彼の名前を知らない。
「俺か、俺は株式会社アヤタイ、実行室長兼営業室長代理兼常務代理の
そう言いながら男、榊橋鳥居は五木に近づいてきた。その男の意味不明な名乗りに一瞬身構える。抱いた警戒心は差し出されたもので霧散した。
名刺だ。
礼儀正しくも名刺を差し出してきたこと、名乗った肩書がそのまま記されていることに驚きながら受け取った。
「すみません。学生の身分でして名刺は……」
「すまない。君が学生だと考慮してもっと堅苦しくないようにすればよかったな」
変に真面目な人だな、というのが五木が抱いた印象だった。
「榊橋さん」
「苗字はいやだ、名前で頼む」
「えっと、鳥居さん。お聞きしたいことがあります」
いやだ、ってなんだ。意外とフランクな人なのか、と印象がころころ変わる。変な真面目な人だったかもしれない。
「ん」
「ここに降りた、犬みたいな生き物が何かわかりますか」
「
らいじゅう、ライジュウ。短く返された答えに戸惑った。それよりも知っているらしい。無関係ではない、ということだろう。
「空の雷、光るやつ……に獣と書く」
五木の戸惑いを察したのか、漢字の説明を始める。
「やはり、見えるのか」
「え? ええ」
さらに困惑していたところに飛んできた質問。いや、おそらく疑問を口にしただけだろう。
「俺の苗字の意味……知ってるか?」
「知りません」
問いの意図が汲めないままに答えてから思う。榊橋鳥居。五勢力、その一つの
榊『橋』か。
妖怪退治の四ツ橋とざっくりしか聞いていなかった。その一つの榊橋らしい。それぞれ何橋かは知らず、高橋とか石橋とかを想像していたが。
「合点がいった顔だな。で、何の用だ」
「いえ、知りませんか空飛ぶ獣が最近人を襲っている話」
「知っている。あれは、妖怪じゃない」
悪魔ってやつらしい、と榊橋鳥居は断じた。
「悪魔」
白騎士の言う、神を
「もっとも、知り合いが言っていた話だ。妖怪じゃないってのは俺にもわかってはいたが」
悪魔、妖怪。どちらも大して変わらないのではないだろうか、というのが五木の率直な感想だ。
そういえば「妖怪は斬ったら血が出る。血も涙もないのはいるけどね」と言っていたのは、
「鳥居さん、これが何事なのかわかりますか?」
「いや、わからない。四ツ橋は対妖怪の勢力。悪魔は管轄外だ」
ただ、と続ける。
「うちの会社に依頼があれば動くだろう。まあ、悪魔退治の専門家も来ているみたいだから出番はないかもな」
悪魔退治の専門家。騎士団のことだろう。
「会社? 四ツ橋は会社として動いているってことですか?」
「説明してなかったな、俺の会社は四ツ橋とは無関係だ。株式会社アヤタイは友人、いや知り合いの起こした会社でな。妖怪退治をビジネスにしている」
妖怪退治をビジネス。五木にはよくわからない。というよりは理解ができるほどの界隈の知識を持ち合わせていない。
五勢力の一角、四ツ橋。その目的は妖怪退治とそれに伴う名声の獲得。
この日本において国に仕えた妖怪退治集団がルーツで、かつては政治の根幹まで入り込んだとも言われている。地位・名誉をより重んじる彼らは即物的な報酬を軽視した。
そこに十数世紀を経てつけ込んだのが株式会社アヤタイの創始者にして現社長。
必ず成功報酬を求め、妖怪ごとの退治料金を決め、明確にした。
アヤタイの長所は、報酬さえ渋らなければ必ず秘密は守るという秘密主義だ。ある程度の前金を払えば一切の素性を明かさずとも妖怪退治を請け負う。
四ツ橋の方でも、名誉に結びつくことの少ない秘密主義者の余分な仕事が減ったこともあり、黙認している状況だ。
「五行君、きみはあまりこっち側について知らないのか」
「ええ、まあ。ほんの数か月前からでして」
ゴールデンウィークからおよそ三ヶ月。とは言ったものの、いままで五勢力に関係する事件はなかったように思う。
そういえば、
「まあざっくり言ってしまえば四ツ橋は名声主義。アヤタイは拝金主義。その違いだ」
「は、はあ」
五木がこの話を十分理解するのは五勢力についてもっと知ってからになるがしばらくはその機会に恵まれない。
「ところでこんな屋上で何を?」
「ああ、仕事をサボっている。営業は雷獣に任せておけばいいからな」
真面目な大人ではなかった。横から唸り声が聞こえ、五木は飛びのく。
唸り声の主は先ほど追跡した犬――雷獣だった。翼の狼の怖い顔に比べれば可愛らしい顔に思えてくる。大きい犬みたいだとさえ思う。
「こき使ってるから俺には牙をむくが、他の人には優しいぞ」
確かに唸っているのは鳥居を見ているときだった。
雷獣は目を細めて五木を見ている。
「主従関係ですよね」
「ああ、俺が主だ。だから命令すればいうことを聞く。あんまり変なのは当然ダメだけどな」
一声鳴いた。肯定らしい。言葉は発しないが意思の疎通に問題はないようだ。
「契約した妖怪とは心で会話できる。思念みたいな。今こいつは『こいつうまそうたべていいか』と俺に言っている」
思わず五木は一歩下がる。同時に雷獣は鳥居を睨む。
「冗談だ」
「ですよね」
荒事はできれば避けたい五木だった。
「おっと、こいつが何かを見つけたらしい。これでお別れだな」
そう言って鳥居はペントハウスへと向かった。雷獣はいつの間にか姿を消している。
「あ、しばらくくつろいでてもいい。ただし出るときには普通にな」
思い出したようにそう言い、今度こそペントハウスへ姿を消した。
変だが、いい人そうだなと五木は思った。
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