鏡の女

ピエレ

 鏡の女

 結婚式の朝のことです。婚約者のタカシのマンションで、ユウミが最後の化粧をしていると、鏡に映る顔が突然変貌しました。

「えっ? あなたは、誰?」

 と驚いたユウミは、鏡の女に聞きました。

「悪いけど、あの男はもらったよ」

 と笑うのは、輝くような美女でした。

「あなたは、誰なのよ?」

「わたし? わたしはアサミ。これからタカシと結婚するのさ」

 アサミの妖しい笑みに、ユウミは背筋が凍りました。

「な、何を言ってるの? タカシと結婚するのは、あたしなのに」

 うふふと笑い声をあげる鏡の女に背を向け、ユウミはタカシを呼びました。

 一緒に式場に行くはずなのに、タカシはどこにもいません。時計を見て、ユウミは驚きのあまり目まいがしました。いつの間に時が過ぎたのでしょう。もう昼過ぎだったのです。ユウミは大急ぎでタクシーに乗り、式場へと向かいました。

 ユウミがチャペルに入ると、新郎新婦は指輪の交換を終え、誓いのキスをしていました。

「タカシ、タカシ、あなたの花嫁はあたしよ」

 ユウミがそう叫びながら新郎の元へ駆けて行くと、会場が騒然となりました。

「この女は、誰なんだ?」

 とタカシに問い詰めるのは、他ならぬユウミの父でした。

「お父さん、お母さん、あたしよ。ユウミよ」

 と訴えるユウミを、父も母も変な目で見ます。

 花嫁のアサミが泣きだすと、タカシが片腕で花嫁の肩を抱き、もう一方の手でユウミを指さして、冷たい鉄のような声で言いました。

「ぼくは、こんな女、知りません」

「あなたは、誰?」

 と、まばゆいばかりの花嫁が問います。

 ユウミの兄がユウミの腕を取って、チャペルから引きずり出しました。

「お兄ちゃん、あたしよ。妹のユウミよ」

 と泣きながらユウミは訴えました。

 階段から深い闇へと突き落とされたユウミの胸に、兄の言葉が刺さりました。

「そもそも、おまえは、誰?」

「あたしは、誰?」

 と自問しながら、傷ついた体から暗い血を流し、ユウミは街をさまよいました。

 古いアーケード通りに入ってしばらく進むと、ユウミは路面に崩れ落ち、うずくまって泣きだしました。死にゆく獣のような悲しい大声で泣きました。やっと泣きやんで亡霊のように立ち上がった時、ずっとユウミを見ていた水晶占いの老人が声をかけまた。

「お嬢さん、悩みがあるなら、来るがよい」

 驚いたユウミは逃げかけましたが、藁にもすがる思いで占い師の元へ歩みました。

「あたしは、誰ですか?」

 と水晶の向うにユウミは問いかけました。

 占い師の額に、深い縦じわが現れました。

「なぜ、そんなことを聞く?」

「鏡に映ったあたしと、恋人は結婚式をあげ、誰もあたしのことは知らないと言うのです」

 ユウミを見つめる瞳がさらに大きく開き、額のしわはなおも深くなりました。それでも占い師は、ユウミの不可解な言葉を理解したという感じで、二度大きくうなずいたのです。

「あんたは、これから、どうしたいんじゃ?」

「あたしはただ、あたしの生活を取り戻したいのです。こんなこと、理解できません」

「それは、そうじゃろうて。だがな、この世の中には、道理に合わないことで生活を奪われる者たちも、たくさんいるんじゃ」

 ユウミは首を振りました。

「あたしは嫌、こんなの、死んでも嫌」

「じゃあ、どうしたいんじゃ?」

「あたしからすべてを奪った、あの女を、絶対許せない。できれば、殺してしまいたい」

 自分の「殺して・・」という言葉に、ユウミの心臓は熱く高鳴りました。

 白髪の老人は、首を横に振ると、腰をかがめ、水晶越しにユウミを見つめました。

「つまらない自尊心なんかのために、身を亡ぼすんじゃない。一つだけ言えることは、あんたの運命を変えたその鏡には、もうけっして近づかぬことじゃ」

 ユウミは壊れそうな声で尋ねました。

「じゃあ、これから、どうすればいいの?」

 老人の目がきびしくなりました。

「あんたは、今、不幸のどん底にいると思っているのじゃろう? でもね、ほんとうにそうじゃろうか? あんたはこれから、新しい人生を歩むことができるのに」

「言っている意味が、分かりません。あたし、やっぱり、取り戻しに行きます」

 ユウミは老人が止めるのも聞かず、チャペルへと駆け戻りました。

 新郎新婦は花で飾られた車に乗り、皆に拍手で見送られていました。そのまま新婚旅行へと旅立つタカシとアサミの車を、ユウミは唇を噛みしめ、むなしく追いかけました。

 日が暮れて、ユウミはタカシと暮らしているマンションへと帰りました。暗証番号式のドアロックを開き、中へ入りました。そして強い渦巻きに引き込まれるかのように、鏡台の前へ行ってしまったのです。

 鏡に映ったのは美しいアサミでした。

「タカシはわたしのものよ」

 とアサミは幸せな笑顔で言います。

 アサミの顔が光り輝くほど、ユウミは嫉妬の炎へと突き落とされました。とうとう我慢できなくなり、泣き叫びながら鏡に突進していました。鏡に映る女の顔を、怒りのこぶしで殴りつけると、頬に烈しい痛みを覚えました。一瞬、意識が飛びそうになり、膝の力を失っていました。そして身体が前へ倒れ、何やら水銀のような重い液体の中に呑み込まれたのです。

 気がつくと、ユウミはその部屋に倒れていました。そこは、ユウミがタカシと過ごしてきた部屋ですが、いつもと様子が違っています。部屋の隅が途切れていますし、鏡台の横にあるはずのドアもありません。鏡を見ると、自分が映らないではありませんか。鏡の向うに見えるのが、今まで生きてきた現実の部屋のようです。

 自分が鏡の中に閉じ込められたことを理解するのに、ユウミは数時間を要しました。

 ユウミは鏡の中から抜け出そうといろいろ試しましたが、どうあがいてもできません。

「タカシ、あたしはここにいるよ。ずっと、ずっと、ここにいるよ」

 ユウミはそんな叫び声をあげながら、新婚旅行から帰って来るタカシとアサミを待つのでした。










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鏡の女 ピエレ @nozomi22

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