第10話 完璧な作戦?

 全ての授業が終わった後、早々に帰り支度をすませ、急いで校門を出る。

 元々放課後になったらさっさと帰る方だけど、中でも今日は特別だ。


 佐野君と仲良くなる。その参考にと『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』を読み返した私は、まさにピッタリのシチュエーションを見つけた。

 その名も、看病イベント。


 風邪をひいたり体調を崩したりして寝込んだヒーローを、ヒロインが看病する。あるいはヒロインがヒーローに看病されるという、少女漫画でも定番のシチュエーションだ。『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』でも、バッチリそんなシーンがあって、めちゃめちゃキュンキュンした。

 これがきっかけで、理恵と良介の距離が縮まるんだよね。


 なんという偶然か、佐野君は今風邪をひいて寝込んでる。そこで私が理恵みたいに親身になって看病すれば、同じように距離が縮められるかもしれない。


 もちろん、お話と現実をごっちゃにするのはどうかと思うけど、純粋に佐野君には早く良くなってほしいし、看病することそのものは悪いことじゃないから、いいよね。

 というわけで、看病すること決定。


 そのため、まず学校帰りにスーパーに寄って、役立ちそうなものを買う。熱が出た時の水分補給用のスポーツドリンクに、病人食の定番であるお粥の材料。

 これらをさりげなく佐野君に勧められたらいいんだけど、それができるかどうかは私の行動にかかっている。


「大丈夫。小説を何度も読み返して、予習ならバッチリ。完璧な作戦だ。私ならやれる、私ならやれる……」


 呪文のようにぶつぶつと呟きながら、我が家に帰りつく。きっと今ごろ、佐野君は寝込んでいるだろう。

 部屋をノックして、それからなんて声をかけようか。

 大丈夫? 調子どう? こんなところだろうか。


 そんなことを考えながら、まずはリビングに入る。だけど、頭の中で延々考えていた完璧な作戦は、そこで早速狂うことになってしまった。


「北条さん、お帰り」

「ふぇっ、佐野君? 寝てなくていいの!?」


 てっきり、自分の部屋で寝込んでいるとばかり思っていた佐野君。だけどリビングにいたばかりか、顔色も思っていたよりもずっと良い。


「半日くらい寝たら、熱も下がって今はすっかり元通りだよ」

「そ、そうなんだ……」


 どうしよう。

 早く良くなって何よりなんだけど、体調が良くなったことは本当にいいことなんだけど、これじゃせっかく考えた看病作戦ができない。


 いや、諦めるのはまだ早い。元通りになったって言っても病み上がりなんだし、今からだって看病はできるはず。


「はい、これ。水分補給用のスポーツドリンク。それと、今からお粥作るからちょっと待ってて!」

「えっ? いや、だからもう熱は下がったんだけど。それに、今日の食事当番は俺だし──」

「遠慮しないで!」


 断ろうとする佐野君。だけど、ここで断念するわけにはいかない。なんとしてもやり遂げなければ。

 そう思ったその時、口から自然と言葉が出てきた。


「こ、こんな時くらい、少しは頼ってよ。私達、もう家族なんだよ。あんまり遠慮なんてされたら、やだよ」


 それを聞いて、佐野君は一瞬目を見開き、押し黙る。私の思い、少しはわかってくれたのかな?

 だけどそれから、小さくポツリと呟いた。


「今の、理恵のセリフ?」

「ふぇっ!?」


 思わぬ言葉に、変な声をあげる。

 そう。私が今言ったのは、『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』の主人公理恵が、良介の看病をする時に言ったものと全く同じものだった。早い話が、セリフを丸ごとパクったんだ。

 状況が似てるから、そのまま使えるって思ったんだもん。


 だけど、佐野君はなんでこれが理恵のセリフだってわかったの?

 私があんなにも推しているのを見て、どんなものかと読んでみたとか?


 だけど、これはまずい。私にとっては理恵と良介の距離が縮まるきっかけになった大事なセリフでも、それを丸パクリしたってわかったら、引かれちゃうかも。

 それどころか、「ああ、こいつやっぱり、自分達を理恵と良介に見立てて妄想してるんだな。キモッ!」なんて思われているんじゃないか。

 もしそんなことになったら、仲良くなるどころか、いよいよ家族崩壊の危機かも。


 最悪の事態を想像し、サーッと血の気が引いていく。全身が、ガタガタと震えだす。


「あの、北条さん?」


 どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 また、やらかしちゃった。


「北条さん? 顔色悪いけど、大丈夫? もしかして、俺の風邪が移ったとか?」


 もう嫌だ。

 佐野君とは仲良くなりたいってずっと思ってるのに、どうしてこうも失敗ばっかりするんだろう。

 悲しさと苦しさ溢れてきて、もう色々限界だった。


「違う──違うの!」

「えっ?」


 とうとう耐えられなくなり、気がつけば叫んでいた。


「そりゃ、『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』は大好きだけど、ちゃんと二次元と現実の区別はしてるし、佐野君を使って妄想なんてしてないから!」


 ああ、とうとう言っちゃった。今まで何度も言おうとしたけど、何て反ってくるかと思うと、怖くて言えなかったこの言葉、ついに言っちゃったよ。


 これを聞いて、佐野君は何を思うだろう。

 私のこと、オタクキモいなんて思ってるくらいならまだいい。

 だけどせめて、せめて佐野君であらぬ妄想なんてしていないことだけはわかってほしかった。

 あと、こんなのとは一緒に暮らせないなんて言ってお父さんや洋子さんに離婚を求めるのも勘弁してほしかった。


 佐野君は少しの間呆けたようにポカンとしていたけど、やがて、困惑したように言う。


「えっと……なんの話?」

「なんのって、私のこと、二次元と現実をごっちゃにして変な妄想ばっかりやってるキモいヤツだと思ってるでしょ?」

「思ってないよ!」


 スッパリと完全否定してくる佐野君。

 えっ、違うの?


 いやいや、口ではそう言っても、本心はどうだかわからない。なんたって、『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』を見て以来、ずっとずっと明らかに様子がおかしかったんだから。

 キモいとまでいかなくても、何かしら思っていることはあるはずだ。


 だけど、そんな私の心の声なんて知らない佐野君は、こんなことを言ってくる。


「どういうことかよくわからないんだけど、とりあえず、落ち着いてゆっくり説明してくれるかな?」

「え? せ、説明?」


 説明、させますか。そりゃ、いきなりあれだけ言われてもわからないかもしれないけど、これを一から全部話すのは、精神的にかなりきつい。

 できることなら、今のなしなんて言って逃げたい。


 だけど、そういうわけにもいきそうもない。


「わ、わかった。ちょっと待ってて……」


 二度、三度、深呼吸をして心を落ち着かせる。と言っても、いくら息を吸おうが吐こうが、心臓はバクバクしたままだ。


 この調子で、無事に最後まで話せるだろうか。


「まず、どうして俺が北条さんのことをキモいと思ってる、なんて思ったの?」

「えっと……それは、この家に引っ越して来た日に…………」


 こうして私は、自らの罪を自供する犯人のような気分で、この数日心の中に抱えていたものを、少しずつ話しはじめた。

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