次の駅へ着くまでに

澤田慎梧

次の駅へ着くまでに(1)

 受験票はオーケー。筆記用具もバッチリ。財布もスマホもある。体調も悪くないし、トイレの心配も今のところない。

 電車の遅延もないし、そもそも二本ほど早い便に乗ったので、遅刻の心配もない。

 大事な高校受験にのぞむにあたって、これ以上ないくらいに準備万端だった。それなのに。


(お祖母ちゃんからもらったお守りが……無い!)


 目的地まであと一駅という所で、ポケットに入れたあったはずの、大事な大事なお守りが無くなっていることに気付いた。

 途端、心臓がバクバクと早鐘を打ち始め、背中に汗の気配が伝わってくる。

 別に、お守りがなくったって入学試験は受けられる。けれども、どうしても何か良くないことが起きるのでは? という漠然とした不安が湧いてきてしまう。

 しかも、あのお守りは特別だ。足の悪いお祖母ちゃんが、僕の為にわざわざ遠くの神社まで行って、もらってきてくれたものだった。それが、どこにも見当たらない。

 忘れてきたのか、どこかで落としたのか。混乱する頭ではそれすらも分からない。ただただ、自分のうかつさを呪うことしか出来ない。


(ああ、これは……落ちたな)


 元々、僕の学力ではギリギリの高校だ。受験勉強は頑張ったつもりだ。でも、模試の結果はいつも合格ラインすれすれ。塾の先生からは「ケアレスミスが無ければ大丈夫!」と励ましてもらっていたけれど、今の精神状態では、自分の名前さえ書き忘れてしまいそうだ。

 早朝の、まだガラガラな電車の座席に沈み込み、一人うなだれる。この一年ほどの僕の努力は、無駄に終わりそうだった。

 ――と。


「おや。大空ハヤテくんじゃないか。君もこの電車に乗っていたんだね」


 いつの間にか、僕の正面に誰かが立っていて、そんな言葉をかけてきた。ハスキーな女の子の声だ。

 「一体誰だろう?」とゆっくりと見上げてみて、僕は思わず息を呑んだ。

 美人とイケメンの中間くらいの整った顔立ち。艶やかな長い黒髪は高い位置でポニーテールにされていて、どこか「おサムライさん」みたいに見える。

 僕よりもちょっと高い、女子の平均を遥かに上回る長身は、揺れる電車の中でも安定していて、思わず見惚れる程の体幹の強さを感じさせる。


 同じ中学の女子制服に身を包んだその女の子は、僕のクラスメイトの「此花このはなサラサ」さんだった。

 彼女も僕と同じ学校を受験するはずだけど、こんな早い便に乗っているとは思わなかった。


「こ、此花さん。……ずいぶん早いね」

「君こそ、二本も早いこの電車に乗ってるところを見るに、心配性は相変わらずみたいだね――まあ、私も同じクチなんだけど。この路線、よく遅延してるからね。念には念をってやつさ」


 苦笑いしながら、僕にウインクをする此花さん。そんな表情も様になっていて、思わずドキドキしてしまう。

 ――此花さんは、うちの学校で一番モテる女子だ。男子からも、女子からも。いつも優しくて恰好良くて、それでいてちょっと茶目っ気もあったりする。此花さんは、まるで「王子様」のような女の子なのだ。モテるのも当たり前だった。


 しかも此花さんは、「ミステリー研究会」という、推理小説や名探偵を研究する部活の部長もやっていた。そのせいなのか、学校で起きた様々な事件や発生した「謎」を鮮やかに解決する、なんて活躍も見せていた。

 僕らの学校で起きた「消えた校長先生のカツラ事件」や「音楽室の人魂事件」を解決したのも彼女だ。名探偵さながらの名推理で、あっという間に真相を解き明かしてしまった。

 ――そうして、付いたあだ名が「探偵王子」だった。


「ところで大空くん。顔色が優れないみたいだけど、もしかして具合でも悪いのかい? 折角の可愛い顔が台無しだよ」

「か、可愛いって……男の僕に言うこと?」

「事実を言ったまでさ。で、どこが悪いんだい? まさか風邪とか」

「あっ、そういうわけじゃなくて……。実は、お守りを失くしちゃったみたいで」

「お守り? 大事なものなのかい?」

「うん。お祖母ちゃんが僕の為にもらってきてくれたものなんだ」

「そうか……。それは、ショックだね」


 僕の落ち込み具合に合わせるように、物憂げな表情を浮かべる此花さん。

 彼女はいつもそうだ。困っている人がいたら真っ先に話しかけて、気持ちに寄り添ってくれるのだ。そして相談に乗ってくれて、困りごとを一緒に解決してくれる。僕も彼女に助けてもらったことは、一度や二度じゃなかった。

 だから当然、僕も此花さんのことが好きだった。憧れもあるけど、何より異性として。


「どこかで落としたのか、家に忘れてきたのか、それすらも分からなくてさ。大事な入試の前に、ちょっと混乱しちゃって。ははっ、我ながら情けないとは思うんだけど」

「情けなくなんか、ないさ。大切な人から貰った大事なものが見当たらないんだ。誰だって、気が気でなくなるさ。――ふむ、降りる駅まであと五分、といったところか。大空くん。ちょっとここで、落ち着いて考えてみようか」

「考える? 何を?」

「決まっているさ。お守りの行方を、だよ」


 そう言って、此花さんは中学生離れした色気のある笑顔を浮かべた。

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