呼吸をするように殺人を

翻 輪可

プロローグ

殺人が犯罪である事は誰もが理解している事だろう。


その殺人が何故罪に問われるか、それは殺人を無差別に認めてしまえば、国が崩壊の一途に向かう為だ。


世紀末となれば、生き残る確率は限りなく低くなり、結果、人類は地球上から消える。


だが、それを理由にどれだけ強く禁じようと、殺人鬼は生まれ、こちらの都合など御構いなしに殺す。


それに対抗すべく生まれたのが死刑制度だ。


人類の妨げになる存在は、剪定せんていせねば、又規模が膨れ上がり、秩序が乱れる。


何事にも、理由や加減がいるのだよ。






「んー!」


「んー?」


目の前で唸り声を上げる薄汚れた男に気付き、そちらに目を向ける。


男は地面に固定された木製の椅子に座らせられ、手足がその椅子に縛りつけられていた。


いや、この場合は-縛り付けた-の方が正しいだろう。


先程その口に布を押し込み、吐き出される事を防ぐ為にガムテープでキツく巻いた為か、話す事が出来ずにただ無様に唸っている。


周囲はビニールで覆われ、男から流れ落ちた汗はビニールのシワを伝い俺の靴に触れ、そこでじんわりと広がった。


この男は空き巣に入った際、偶然帰宅した老婆と鉢合わせしてしまい、動転して口封じの為老婆を殺害した犯罪者。


だがこの事件は悲しくも証拠不十分となり、男は釈放されてしまった。


そして、その後も勿論犯人は見つかる事なく、結果お蔵入りとなったのだ。


有り勝ちだが、有ってはならない展開に、この男は救われた。


「何か喋りたい? 訴えたい? それとも聞きたい事が有るのかな?」


あおるようにそう問いかけ、男の前髪を掴み、無理やり引き上げる。


男は唸り声を上げながら、涙目でこちらに縋り付くように見つめてきた。


脂汗が身体中から滝の様に滲み出し、体は寒むさを耐え凌ごうしているかのごとく小刻みに震えている。


「寒いのかな? 暑いのかな? 君が何を訴えたいのか、俺にはよく分からないなぁ」


笑顔でそう答えて髪から手を離すと、男の頭はそのまま力なく項垂れた。


俺はそのままゴム手袋を装着し、タバコを胸ポケットから取り出すと、マウスピースをつけた後にオイルライターで火をつける。


一口吸えば、口の中には苦味と、メンソールの涼しさが広がり、意識がゆっくりと覚醒していく。


そしてタバコを口に咥えたまま、男の前髪を再度掴むと、もう片方の手でタバコを手に取り、そのまま男の右目に火種を押し付けた。


突如として唸り声は激しくなり、男の手足は脈打つ様に跳ね上がり、震え、片目から涙を流す。


「痛い? 痛いよねぇ、きっと、死ぬ程辛いんだろうって理解出来るからさ、俺、鳥肌が立って来ちゃった」


こんなの痛いに決まっている。


熱された異物が目に押し込められ、眼球が焼かれているのだ。


男の痛覚に自然と共感し、声を震わせると、今度はもう片方の目玉を指で撫でる。


汚れたこの男には勿体ないほど、この瞳は美しい。


俺は暴れる男の髪を更に強く掴み、動きを固定すること、耳元に唇を近づけた。


「しー、大丈夫、落ち着いて、動かないで」


なだめる様に優しく囁き、大人しくなるのを待った後、残りの目玉に指を滑らせ、奥まで差し込むと、すくう様に一気に引き抜いた。


すると男は先程より更に唸り、バクが検出された精密機器であるかの如く激しく全身を震わせ、何かを仕切に叫び続ける。


苦痛、恐怖、憎悪、様々な感情が男から読み取れ、俺の口角は自然と上がった。


「あぁ……痛い、痛い、苦しいねぇ」


掴んでいた髪を放し、目玉は用意していたゴミ箱の中に投げ捨て、近くの椅子に腰掛けると静かになるのをひたすら待つ。


それから男も冷静さを取り戻たのか、その場はようやく静かになった。


何もしない空白の時間、それすらもこの男には恐怖となるのだろう、だからこそあえて静かに立ち上がると、ポケットに入っていた手帳がするりと床に落下した。


物が落ちる音、それだけで男はピクリと肩を震わせる。


「あぁ、驚かせてしまったね」


そう答えながら、俺は落ちた手帳に手を伸ばした。


落ちた衝撃で開かれた手帳には顔写真の他、警部:野神 衛のがみ まもると書かれており、俺はそれを拾うとポケットに戻す。


「さて、見えないと、次何をされるか分からなくて、様々な想像が膨らむよね。

それでさ、今何考えているんだい?」


気を取り直してそう質問するが、勿論男は答える事など出来ない。



「君は忌み枝という言葉を知っているかい?

盆栽の用語らしいんだが、その忌み枝は樹の成長を妨げる要因となる為、切り落とさなくてはならないんだ」


質問しながら口を押さえていたガムテープを剥がし、中に詰め込んだ血と汗の滲んだタオルを引き抜く。


唾液や血液が口から淫らにこぼれ落ち、そんな状況下で有りながらも男は騒がず、寧ろ静かに震えながら何回も「ごめんなさい」と繰り返した。


「何だ、罪を認める事が出来るじゃないか」


「ゆユュゆ、許してください、オお俺が悪かったです」


「残念だなぁ、忌み枝がどんなに許しを請うても、その存在が樹の成長を妨げているのに変わりないんだよ」


男の液がたっぷりと染み込んだままのタオルを又口の中に詰め込み、新しくガムテープで強く巻き直す。


男は抵抗し唸り声を上げるが、その声には何の興味も価値もない。


「残念だよ、本当に残念だ」


そう口ではいい、男の手を掴むと躊躇なくナイフで右手の小指を切り落とす。


そしてその指を綺麗に洗い、拭き取った後にトレーに置いた。


忠義や誠意の全く感じられないこの男に小指は必要ない。



「さぁ、剪定せんていの始まりだ」



男の耳元でそう囁き、少ししてその男の動きが止まった。

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