41日目 アイスには賞味期限がない

 私の家のリビングには謎の機械が置いてあったが、普段使われることはなくて、子供の頃の私には謎の存在だった。しかし、それを母がとても大事にしているということだけはわかっていた。

 それは洗濯機くらいの大きさで、いつも小さな音をたてていて、近づくと少し温かかった。それに手が届くようになったところで上部にある重たい扉を開けてみると、その中はとても冷たくて、それが冷凍庫であることを知ったのである。

 私が冷凍庫の扉を開けられるようになったことを知った母は、大事なものであるから扉を開けないように、と厳命した。その時の母は、いつになく真剣な顔をしていたことを覚えている。

 そんなわけで冷凍庫は、私にとっては触れてはいけない存在だったのだが、小学校になり、友人が家にやってくると、やはりその存在は気になったようだ。

「これなーに?」

「お母さんの冷凍庫だよ」

「冷蔵庫あるのに?」

「うん」

「なにが入っているの?」

「お母さんの大事な物なんだって」

「大事なものって?」

「知らない」

「えー、変なの」

 そう言われると確かに不思議で、私は答えに窮してしまった。


 後日、同じ質問を母にすると、そろそろ教えましょうか、と言い、冷凍庫からアイスクリームを取り出した。

「これはね。もう売ってないアイスクリームなの」

 母によると、私が生まれる前に販売されたアイスクリームで、ソルティチーズクリームという味なのだという。

 一口目を食べた瞬間、母はあまりの美味しさに衝撃を受けて、その場で近所のスーパーやコンビニで売っているものを全て買い占め、その日のうちに食べきったのだという。その後も隣の駅まで遠征してアイスを買い占めてまわり、発売期間中は一日一個必ず食べていたそうだ。

 しかし、母の大量購入にもかかわらず、そのアイスも発売が終わることが決まった。母はもう食べられないということに耐えきれず、冷凍庫を買って保存できるだけ保存したのだという。

 それから週に一回のペースでこっそりと食べているらしい。

「そんなに美味しいなら食べさせて」

 私もそんな話を聞いたので、アイスを食べたくなってしまったのだが、母の答えは「絶対ダメ」だった。

 それでも諦められず、これだけあればバレないだろう、と一個だけ盗み食いしようとしたところ、すぐ母にバレた。そうなることを予測して、冷凍庫の扉にセンサーを仕掛けられていたのだ。今までで一番怒られた上に、冷凍庫には鍵がつけられた。


 週に一回のペースとはいえ、アイスのストックは少なくなっていき、母はだんだんとペースを落としていった。

「死ぬ前にも食べられるようにちゃんと残しておかないと」

 そう言って、月に一回となり、その後はなにか特別な日にだけ食べる、という風になっていった。

 母の病気が判明したのは、私が30歳となった頃だ。末期の癌が見つかり、見つかったときには余命半年であることがわかった。

 母へのお見舞いには、保存していたアイスを一個だけ持っていくのが習慣になった。

 最後まで、母はアイスを美味しいと言って食べていた。残りが少なくなったところで、長年動いていた冷凍庫も寿命になって動きを止めて、残りは普通の冷凍庫にしまわれることとなった。

 残りが二つになったところで母は言った。

「少し食べる?」

「良いの?」

 その頃の母は病気のせいで細くなってきていた。もうすぐ食事を取れなくなる寸前まできていたのだ。

 母は私に向けてスプーンを差しだし、私は時を超えた味を堪能した。

「どう?」

「おいしい」

「でしょ?」

 母が亡くなったのはその日の夜の事だった。もしかしたら、その時には自分が亡くなるタイミングも分かっていたのかもしれない。

 アイスクリームの最後の一個は、今も我が家の冷凍庫の中で眠っている。

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