あの日より未来の君へ《『再会』は『誤解』の始まり》

つきのわみさき

第1話-1 衝撃的な再会

 その日は新月の夜だった。

 街をオレンジ色に染めていた夕日がとうに沈み闇が降りきった路地に軽快な足音が響く。

 漆黒の夜空に瞬く星々の下、いつもなら自室で明日の授業の予習をしているはずのヒカリは、スマホを頼りにそれが示す『★マーク目的地』に急いでいた。

 スルーズヴァンガル王国――

 神話になぞられ付けられた、この国の王はトール王。

 そのいかずちの神の名に相応しい、恵まれた体型と強さを持ち合わせている王は、その荒々しい神の名に反し王としての品格を持つ、温和な人柄で知られた金色の髪と瑠璃色の瞳の持ち主である。

 彼女がこの国の田舎町から、高台にそびえ立つ宮殿が見える町外れに住むようになったのは、ちょうど一年前。

 彼女を幼少から育ててくれた人物の遺言が、そうさせていた。


――絶対に、許さないんだからっ!


 スマホ上の点滅が、★マークへ近づいてゆく。

 表示されている「23:15」。

 比較的治安の良いこの国だとしても、たとえ宮殿と同じ名のビルスキルニル中学校で女性ながら『使用人候補生学科』ではなく『親衛隊候補生学科』を専攻しているとしても、齢14中学2年生の少女が一人で出歩いて良い時間帯ではない。

 そしてそれは、彼女も重々承知していることだった。

 急ぐ彼女の脳裏をよぎる、『喫茶ふりっぐ』のプリントがされたデニムのエプロンとローテールの黒髪。

 決してお客様には見せない『姉』の『女神の形相』にヒカリは震える。

 謝罪の言葉を心で唱えながら、それでも行かなければならない理由が彼女にはあった。


――取り返さなくちゃっ! じゃないと……会えなくなっちゃう!


 少し早くなった足音を響かせながら、ヒカリは闇の中へ消えていった。


▽▲▽


「……そうか、分かった」


 灯りを落とした一室。

 大きな窓を背にしながら聞こえてくる声に相槌をうっていた男は、一言そう告げると耳にかざしていたスマホを確認した。

 彼の眼鏡レンズをディスプレイの光が照らし、反転した報告主の名を映し出す。

 一瞬見えた気難しそうな瞳は、タップとともに闇に隠れた。


「……」


 彼は持っていたスマホを目の前の机に置くと、自慢の大窓へ視線を移す。

 漆黒の夜空に瞬く星々の下、このビルスキルニル宮殿を中心に置き広がっている城下町。

 眠る気配のない眼下の市街地の向こうには、漆黒に包まれ眠りに就こうとしている町外れ。

 ゆっくり上げる視線の先には、海が広がり天上の星々を映し出していた。

 一点を見つめたまま動かない、彼の眼鏡レンズの奥の瞳。

 しばらく続くと思われた憂いを帯びたそれは、深夜となれば、宮殿とあれば、あってはならない不揃いな騒々しいリズムにより奪われた。


「申し上げますっ! ハヴソール殿下っ!」


 ノックを忘れ、重厚なドアを勢いよく開きながら駆け込んできた若い近侍きんじを、彼の持って生まれた高貴な威圧感が出迎える。

 トール王の義兄にして、ハヴソール公爵家嫡男。

 貴族としての誇りと、齢37、王国の参謀として政を取り仕切っているプライドが醸し出す威圧感を持つ彼は、人々から『氷のトール』と言わしめるほどであった。


「何事だ」


 突然の喧騒けんそうに不機嫌に動く眉。

 静寂を破られた不快感そのままの低い声と高貴な威圧感は、狼狽している若き近侍を正気に戻し、自身より高い身分の者に対する敬意がそれに見合う姿勢を取らせる。

 背を向けたままの公爵にひざまづき無礼を詫びると、彼は自身をそのようにさせた信じがたい事実の報告に身を乗り出した。


「国王陛下の……トール陛下のお姿が見当たりませんっ!」


 思いもよらない彼の報告に振り返る公爵。

 机上のスマホを手に取ると、もう何度も確認しているアプリを立ち上げた。


――そんなはずはない。 今日は、宮殿こちらにいることは確認済みだ


 慣れた手つきでタップするディスプレイに表示される、宮殿の屋内見取り図インドアマップ


「何のことだ?」


 ある一室の点滅を確認すると、公爵は彼を見据えた。


「ほ、本当ですっ! 陛下が涼みたいとバルコニーへ向かわれたのでお供したのですが、途中で見失ってしまいまして……」

「では戻られたのではないのか? 現に【リア・ファル】は王の部屋に……」


 そう言いながら、公爵はスマホを再度確認する。

 王の部屋で点滅する淡い金色のポイント。


「まさか……」


 ふと同じようなことがあったことを彼は思い出した。


「お召し物は……」

「はい?」

「陛下は何をお召しになっていたっ!?」


 威圧感はいつものことだが声を上げる公爵を初めて見た近侍は驚く。


「えっ!? えーと、ベスト付三つ揃えのダークスーツ……でした」


――!


 公爵の予感は確信に変わった。


「そう言えばいつものブラウンではなく……。 まるでライト様のような着こなし――  で、殿下っ!?」


 突然ドアに向かって歩き出した公爵。

 無言のまま執務室を出ていく彼を、慌てて近侍はあとを追った。

 決して走らない公爵の歩みは、はやる気持ちと相まって、それを速くさせる。

 追う近侍に気にも留めず、歩き続けた公爵は、一つのドアの前で止まった。

 アンティークの彫刻が施された、一際目立つ木製の観音開きフレンチドア

 ヤギのデザインのドアノッカーを打つ音が、いつもより早めのリズムを刻んだ。


「陛下、私です。 いらっしゃいますか?」


 薄暗く長い廊下に響く、公爵の声。

 答える声はなく、応じる気配も感じられず、続く沈黙が一層公爵を焦らせる。


「失礼っ!」


 公爵は、スマホをヤギにかざした。

 短い電子音の後、ロックが解除される金属音が響く。

 自身に向かって重厚な音を立てながらゆっくり開く扉を避けながら、彼は王の部屋へすり抜けた。

 灯が落とされた王の部屋を、スマホをスーツに収めながら歩く公爵。

 暗闇の中ぼんやり見える天蓋付きベッドに迷いなく歩いて行った彼は、こんもりと盛り上がっているブランケットを勢いよくはぐった。


「……父娘おやこ揃って、同じことを……」


 呆れる公爵の視線の先には、無造作に置かれた枕やクッション。

 その上に置かれていた、小さなジュエリーボックスを手に取ると、ゆっくりとそれを開いた。

 暗闇に、淡い金色の光が灯る。


「殿下、これは……」


 王がこの宮殿に住まうようになってから26年。

 もう見慣れても良い光は、未だそれを許さず、またも公爵の心を捕らえ離さない。


「こ、この宝石が……『神に選ばれしもの』に与えられるという、王の証【リア・ファル】?」


 初めて入る王の部屋。

 勝手が分からない上に、暗闇の中靴底から伝わる絨毯の弾力に恐縮しながら、公爵を探す瞳に飛び込んできた淡くも力強い金色の光。

 導かれるように近づく近侍の言葉が震える。


「この惑星ほし、そして、Yggdrasillユグドラシル systemシステムの至高の恩寵を利することを許すひかり……」


 後ろから聞こえるその声に、公爵は我に帰った。


「【至高の恩寵おんちょう】……神の恵みか……」


 【リア・ファル】の光が、眼鏡レンズを反射させ憂いを帯びた彼の瞳を隠す。


「【至高の呪縛】とも言うが……」

「えっ!?」

「いや、こちらの話だ……」


 眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら振り返る公爵。

 戸惑う近侍の視線など気にする気配のない彼に、もう憂いはない。

 スーツの中で震えるスマホを確認した公爵は、再びアプリを立ち上げた。

 Y-systemのロゴの後表示される、王国内の地図。

 先ほどの動かない金色の点滅画面から、動く白い点滅に画面が変わり、ズームされた市街地図はそれに合わせてその先を表示する。

 テンポよくどんどん変わる画面に、公爵の口角が少し上がった。

 画面をタップし地図を縮小させると見えてくる、もう一つの金色の点滅。


――十年間の宝探しは、終わったか……


 愛おしそうに見つめる瞳を隠す眼鏡レンズに、反転したそれが映る。


「殿下?」


 スマホを見たまま黙り込んでしまった公爵に、恐る恐る声をかける近侍。


「案ずるな。 陛下はそのうち戻られる」


 今起こったことを口止めされ、持ち場へ戻るよう促された困惑気味の近侍の退室を確認したあと、ジュエリーボックスをパチンと閉じた。


「これから賑やかになりそうだ……」


 眼鏡レンズに映る、どんどん金色に近づく白い点滅。


――やっと……、やっと見つけたっ!


 その場所を走る一台のバイク。

 ダークスーツを乗せたそれは加速する。


――絶対に連れて帰るっ!


 赤い髪のその男は誓うかのように心で叫ぶと、公爵が見つめる金色の点滅へ迷うことなくバイクを走らせた。

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