39 恋人

「好きです。私と付き合ってくれませんか」

 俺の頭の中では、ただただ中川さんの言った言葉が反芻し続けていた。

 俺はあまりの急展開にしばらくの間は何の言葉も発せられず、そして両手には力が入らずに垂れ下がったままでいた。

 それでも黙っていたその間、中川さんは静かに俺の言葉を待ってくれていた。

 でも触れ合った体を通して、中川さんの早い鼓動だけはどうしても俺に伝わってしまう。

 それも相まって、こんがらがった頭でもこれだけのことは理解することができた。

 中川さんは俺のことが好きだということ。

 俺と付き合いたいということ。

 正直言って心臓が張り裂けそうなほど心の中が嬉しいという感情で埋まり切っていた。

 なら俺も自分の気持ちを中川さんに伝えなければならない。

「中川さん」

「はい」

 俺が中川さんの名前を呼ぶと、震えた声で返事を返した。

「俺も中川さんのことが好きだよ。だから付き合おう」

 そう言って中川さんの背中に手を回して思いっきり抱きしめた。

 それから俺たちはしばらくの間無言で抱きしめ合っていた。

 誰かが来るかもしれないが、そんな懸念を今の俺たちは全く考えることができなかった。

 今はただただこの幸せな瞬間に全力で触れていたかった。


 しばらくしてハグ状態を解いて中川さんの顔を見ると、あからさまに視線を逸らされた。

 しかし電灯の光によって、顔が赤く染まっているのが確認できた。

 俺はそんな中川さんがとても愛しく思えた。

「中川さんはどうして俺のことが好きなの?」

 お互いに落ち着きが戻ったと思い、気になっていることを中川さんに聞いてみた。

「それは……いきなりうまくは言えません」

 中川さんは続けた。

「ですが好きになったきっかけははっきりとしています」

「それって何かな?」

 心の中で俺も考えてみる。

 好きになったきっかけとは何だろうか。

 出会ったときだろうか?その後のぎこちない日々での日常だろうか?それとも四人グループが出来上がって俺たちの接触が明らかに増えはじめてからだろうか?

 いくら考えても結論は出なかった。

「決まってるじゃないですか。明らかに孤立していた時期に私に声をかけてくれて、さらには親身に私のことを考えてくれたからですよ。普段から当たり前に友達と接しているような人からしてみれば声をかけて少し話をしたぐらいでその相手に好意を抱く私なんてただのチョロい女と思うでしょうね。でも私からしてみればその島崎さんの行動のおかげでどれだけ救われたことか。おかげさまで私は結衣さんという友達もできましたし、同じクラスにも横山さんという知り合いができました。だから島崎さん、いままで本当にありがとうございました」

 中川さんは自分の想いを口にした後、改まって俺に向けて感謝の気持ちを口にした。

 でもその感謝をそのまま受け止めるのは違う気がする。

「俺だって中川さんにはたくさん感謝することがあるよ。だからさ、よりもの方がこの場での言葉としてはいいと思うんだ」

 俺は続ける。

「だから中川さん。改めてこれからよろしくね」

 俺の言葉に対して少し下を向いた後、心情の整理がついたのか上を向き、俺の顔を見て、今まで見たことがない穏やかな笑顔で言う。

「はい!よろしくお願いしますね!」

 どこか儀式のような話が終わり、晴れて俺たちは恋人同士になった。


「それで、さ、俺たちって、一応付き合ってるってわけだよね」

「そ、そうですね」

 さっきまでのどこかまじめな雰囲気が飛んだせいで、照れるような恥ずかしいような感情が全身に戻ってきたせいか、急に俺たちの会話のテンポが悪くなった。

「そ、そうだ!せっかく付き合ったんだからお互いに名前で呼び合うことにしないか?」

 急に俺は何を言っているんだ。

 何か話さなければという思いが先行して勝手に口が開いてしまった。

「そ、そうしましょうか」

 でもどうやら中川さんはそれでいいらしい。

「じゃ、じゃあ、栞……さん?」

 これまで通りの敬称でいいのか、それとも変えたほうがいいのか分からず、名前と敬称の間に不自然な間が開いてしまった。

「なんですかーその間は」

 どうやら俺の名前と敬称の間がおかしかったのか、くすくすと中川さんは笑った。

「じゃあ敬称は何がいいんだよ?」

「そうですね、せっかく付き合ったのですから呼び捨てでいいですよ。くん」

「そういう割には俺のこと呼び捨てじゃないのかよ、

「く、くん付けはいやなんですか?」

「い、いやじゃないけど」

 会話しながらお互いに名前呼びになったことが気恥ずかしくなり、どうしようもない空気がこの空間を支配した。

「ああー、もう!なんか今日はだめだな。いつもの俺じゃないみたいだ」

 空気に耐えられなくなった俺は、わざと少し大きな声を出した。

「ふふっ、それを言ったら私だってそうですよ。ずっと気持ちが昂ってます。むしろ雅也くんは少し余裕があるように見えたので少し安心しました」

 告白が成功すれば、その日一日は誰もが胸が昂ってしまうのではないだろうか。

 なのでおそらく今日寝るまではどんなに冷静を装っても、冷静になることはできないだろう。

「じゃあ明日改めて話そうか。あいにく自由時間もあるわけだし」

「そうですね。では夜も遅いですし、お互い部屋に戻りましょうか」

 そう言って俺たちはベンチから立った。

「あ、でも優輝と和泉さんにはこのことは内緒にしておいた方がよさそうだよな」

 ふと二人のことを思い出した俺は、まだ別の問題が残っていることを思い出した。

「そうですね。そういう話も含めて明日しましょうか」

「だな」

 それから俺は部屋に戻った。

 優輝はというと寝てないと思っていたら普通に眠っていた。

 俺はベッドに入って目をつむる。

 でも今日の出来事を思い返すと、どうしても心が昂ってかなかなか寝付くことができなかった。

 しかし昼間のテニス練習での疲れには抗えず、やがて眠りに落ちていくのであった。

 


 

 

 

 


 

 

 


 



 


 

 

 

 


 

 



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