第34話 可愛い女の子と、さしで宅飲みしたいだけの人生だった。

 楽しかった週末は終わり、いつもの日常が戻ってきた。変わったことと言えば、いつも昼食を一緒に食べる面子が出来たことだ。あの三人と一緒に昼を過ごすのは楽しい。たまに嫁が俺の方をチラチラと伺っているような気はしたけど、心当たりがないのでスルーしてた。そして何よりもだ。


「葉桐が何をしようとしているのかが全くわからん…!」


 授業が終わって部屋に戻り、いつもの日課である株式運用をしていた時だ。雇った探偵さんからの調査結果報告と未来の知識を書き写したノートとを見比べて葉桐の事もついでに研究していた。本来ならば無視するはずだった。だが気がついたらこのタイムリープ後の世界ですら、嫁と葉桐の二人と関わってしまっていた。状況は前の世界よりもある意味ひどい。前の世界は嫁の浮気という、極論すれば俺個人の感情の問題で済むような話だったが、この世界では違う。楪とミランの二人の事が俺は心配だった。俺一人だったら逃げ切る自信がある。だけどあの二人は葉桐を相手しては絶対に逃げられない。2人を守れるのは俺だけなのだ。だから葉桐が何をしたがっているのか探りたかった。だけどさっぱりだった。探偵さんは葉桐のガードの髙さ故に調査が失敗、代わりに奴の持っているだろう資産についてのみは報告してくれた。未来知識にはあいつが嫁の幼馴染で初めての彼氏で将来的にベンチャーを起業させてビリオネヤになることくらいしか知らない。


「おそらくポイントは将来の商売の内容だが…わからない…昔の俺を殴りてぇ…!」


 嫁を寝取られて初めて知った葉桐の存在に当時の俺は衝撃を受けてしまった。メガベンチャーの億万長者で有名人。それだけで男として負けたと思い、それ以上は何も調べたりはしなかった。向こうは浮気の事を素直に認めていたし、何かを調査する必要もなかったのだ。そしてそれ以上を知って、嫁の愛が失われたことを思い知るのが怖かったのだ。


「くそ…やつの起業のネタがわかれば、横から奪うことすらできるのに…!」


 俺も正直に言ってなりふり構っていられない。向こうは大学入学以前から行動している。向こうは過去の蓄積、こちらは未来の知識。アドバンテージが互いに打ち消し合っているようにさえ思える。奴の権力の源泉たる起業のネタさえ押さえて奪えれば勝てるのに。俺はそれを知りもしないのだ。俺はデスクに顔を伏せて溜息を吐く。現状は株式で金をちょろちょろと稼ぐくらいしかない。だけど銭をいくら積み上げてもあいつに勝てるビジョンが浮かばない。


「もう今日はいいや。寝よ…ふて寝してやる…!」


 今日も株式はそこそこ勝てた。この調子なら将来的には大きな財産が築ける。俺自身にも夢がある。自分の建築事務所を持つこと。自分自身の芸術としての建築をこの世にいっぱい作りたい。金だの権力だのそんなものはいらない。美と愛だけが俺の欲しいモノなんだから。そしてベットに横になって目を瞑ろうとした時だ、スマホが鳴った。画面には綾城の名が出ていた。メッセアプリではなく、珍しく電話だった。俺はすぐに出た。


『ごめんなさいね。夜遅くに』


「どうしたん?」


『単刀直入に言うわ。あんたの家に泊めて頂戴。終電逃して今、駒場キャンパスにいるの』


「え?まじ?ミランところに泊まるのはどうだ?あいつは田吉寮だからキャンパス内だぞ」


『今日バイトで六本木のクラブに行くからだめって言われたわ。だからあんたのうちしか頼れないの。下北ならここからでも歩いて行けるもの』


「ええ…うーん。泊めてやりたいのはやまやまなんだけど…ぶっちゃけタクシーで渋谷の漫喫とかビジネスホテルに泊まることをお勧めするよ」


 さすがに女の子を自宅に泊めることはできない。男女が一つ屋根の下にいたら間違いくらいは起きるだろう。もちろん我慢は出来るけど、気分は良くない。


「ずいぶんはっきり言うわね。きっと同じ学部の男たちなら理解ある彼くんを気取って、あたしのことを紳士的に泊めてくれるわよ!朝まで指一本触れずに泊めた事だけできっと満足してくれるでしょうに!」


「すまんな。俺は理解のない男なんだ。お前のような美しい女を泊めることはできないでござる」


「ふふふ。あんたのそういうところは好ましいわね。だからあたしも先に言っておくけど、もちろん泊めてほしいけど、ワンチャンは一切認めないし、誘い受けでもない。エッチは絶対しない」


「うわー。男女ってそういうところをあけすけには語るべきじゃないと思うんだよね。暗黙の了解ってやつ」


 よく聞くよね。女が男の部屋に来て、エッチしないと逆に今後の関係がこじれるやつ。自分は何も言わずとも、男には強引にだけど優しくリードしながら誘って欲しい。女はそういう風に男に求められたがっていると思う。少なくとも付き合い始めの嫁はそういうタイプだった。もっとも気がついたらポンコツになっていて、自分からも誘ってくるようになったけど。


「そう言うハイコンテクストでノンバーバルなコミュニケーションは他の女と楽しみなさい。その代わりと言ってはあれだけど、明日の分の朝食と、昼のお弁当は作ってあげる。材料費はもちろんあたしが出す」


「ほう?俺の舌を満足させられると?そう申すのかね?ん?」


 綾城の食い下がり方に俺は興味を持ってしまった。なんというか色んな意味でストレートに来る女である。コケティッシュなのに媚びがないような変な奴。おもしれーなっていつも思ってる。


「もちろん。あたし、ぶっちゃけ料理メッチャ美味いわよ。余った材料でも美味しいし、こだわっても美味しい。何でも作れるわ。でもなんでもいいって言ったらぶっ飛ばすわ」


「肉じゃが食べたいです。ところで念のため聞くけど?俺が狼に変貌したらどうするの?」


「その時はあんたを永遠に軽蔑する。それがいいならどうぞ狼になって頂戴!一時の快楽のためにあたしから永遠に軽蔑されたいならどうぞ!この体をいくらでも貪るがいいわ!」


 あ、こりゃ無理だ。俺はこの女に勝てない。だってこの女を抱けないことよりも軽蔑される方がずっと辛いって思えたもの。俺は不思議なリスペクトを綾城に抱いている。ぶっちゃけ嫁の浮気以降女性不審気味な俺なのにね。


「お前に軽蔑されるのは耐えがたい。いいよ。俺んちでよければ泊っていきな。いまキャンパスだよね?中で待ってて。迎えに行く」


「いいの?なら言葉に甘えさせて。ありがとうね」


「いいよ。じゃあちょっと待っててね」


 俺は電話を切って、すぐに部屋から出た。そして駐車場に止めてある車に乗り込み、駒場キャンパスに向かった。下北から駒場キャンパスはすごく近い。なのであっと言う間にキャンパスの前についた。車から降りて電話をかけて綾城を呼び寄せる。


「ずいぶん早いと思ったけど、車もってたの?」


「いや、最近買いました。どうよ?イケてない?ん?」


「4WDとは渋いわね。ぶっちゃけあんたが車を買うならスポーツカーみたいなチャラいのだと思ってたわ」


 俺の車は大型のアウトドア仕様の四輪駆動車だ。荒い山道でもすいすい走れるパワーこそ正義みたいな馬力が半端ないやつである。


「俺は他の男とは違うんだよ。くくく。まあ半分は趣味です。北海道の親父もこういう車に乗ってるしね」


 もう半分は葉桐が持っている車がスポーツカーだからというのもある。間男と同じ車なんてごめんです!


「じゃあ今日はお邪魔させてもらうわね。ついでで悪いけど、スーパーかコンビニによってちょうだい。女は寝るにも準備がいるからね」


 こんなこといってるくせに、この間はカラコンさえとらずに寝てたよね?目とか大丈夫みたいだけど。


「この間は平気で爆睡してたくせにな!あはは!」


 綾城は助手席に乗りこみ、俺は車を発進させた。家に戻る途中まだギリギリ締まってなかったスーパーにより、綾城は化粧水やら歯ブラシやらをお泊りに必要なものを買っていった。あとついでに肉じゃがの材料も。本当に作ってくれるらしい。


「あんたのうちってワインあるの?」


 酒コーナーでワイン瓶を片手に俺に尋ねてきた。


「ない。ビールしかないよ。逆に言えばビールだけなら、けっこう自信のあるラインナップが揃ってる」


「そう?うーん。じゃあ郷に入っては郷に従いましょうかね。おつまみは何がいい?」


 なんかナチュラルに宅飲みの流れになってる。まあ俺は明日は二限からだから構わないけど。


「なんでもって言ったらぶっ飛ばされるんだよなぁ。チーズをなんか美味しく仕上げてください」


「わかったわ。楽しみにしなさい。ふふふーん!」


 適当にチーズ類をかごに放り込みさらに色々と放り込んでいく綾城さんはご機嫌に見えた。



***ドライブ中だぞ!***




 俺の住んでいるマンションにはすぐについた。そして俺の部屋に綾城をお通しした。部屋に入るなり、綾城は俺の部屋を隅から隅まで見渡した。俺の部屋は何の変哲もないワンルームである。強いて自慢があるとすれば、防音性能だけは半端ない。このマンションは楽器をいくら鳴らしても全く問題ないし、いくら騒いでも大丈夫なタイプのお部屋だ。実際前の世界では大学卒業後も住み続けて、嫁がこの部屋に住み着いてエッチして大きな声出しても壁ドンは一回も来なかった。同棲が決まるまでずっとここに住んでいた。懐かしすぎて金が溜まっている今でも引っ越すに引っ越せない。そう言えば嫁以外の女が入るのは、前の世界までいれるとはじめてかもしれない(ただし真柴を除く。あいつは嫌いなので女とはカウントしない)。


「驚いたわ。綺麗なのね。男の子の部屋って普通散らかってるものじゃないの?弟の部屋とかひどいもんよ」


「へえ、弟居るんだ。いくつ?」


「未だ幼稚園に通ってるわ。やんちゃ盛りで可愛いわよ。ふふふ」


 けっこう年の差があるようだ。ご両親の中がよろしいようだ。はは!そんな夫婦に憧れるぅ!自虐にしかなんねぇな。


「料理つくる前にシャワー貰ってもいいかしら?」


「おう。いいよ。石鹸とかシャンプーとかは好きに使っていいよ」


 これがラブコメ漫画ならドキドキシーンなんだろうけど、わりとこういう状況に慣れてる自分がいることに気がついた。いやな女慣れだな。もっとピュアな気持ちが欲しい。綾城も綾城で堂々と振る舞ってるしで恥ずかしくなる要素がない。シャワーの音だけでドキドキしたい。そう思った。



***シャワー中!***



 女の風呂は長い。定説どころか真理と定理とか法則とかそんな言葉で言い表せるものだろう。その例にもれず綾城も風呂が長かった。


「お風呂いい湯加減だったわ。今日はすごく勉強頑張ったからすごく気持ちよかったわ」


 テレビを見ている俺の背中の後ろから綾城の声が聞こえてきた。


「おう。出てきたか。風呂上がりのビールはいかがかな?」


 振り向く前に少し覚悟を決めておいた。多分今の綾城はスッピンだろう。綾城はとても美人だが、もしかしたら化粧を落とすとそうでもないかも知れない。なんていう可能性は普通にありうる。嫁は化粧を落としても美人過ぎだったけど、万人がそうではないのだ。そして俺は覚悟を決めて振り向く。


「そうね。ビールいただくわ。たまにはいいわよね。ビールも。うふふ」


 振り向いた俺は綾城の青い瞳と目があった。彼女は俺が貸した短パンとTシャツを着ている。ていうか瞳が青い?ん?普通風呂に入ったらカラコンは外さないか?あれ?あれれ?俺は綾城の手に缶ビールを渡す。綾城はぐびぐびと缶ビールを飲み。


「ぷはっ!くうぅう!いいわね!このキレの良さはワインにはないものね!お風呂上りはビール!素晴らしい文化活動ね!くくく」


 スッピンの綾城はとても美人だった。うん。美人なの。でもね。いつもと顔が全然違うの!掘り深く鼻筋が高くすっと通っている。見たところ顔立ちが白人系っぽく見える。とすると瞳もカラコンじゃなくて自前だったわけだ。金髪もそうだろう。染めたにしては自然過ぎたしね。なるほど。だからカラコン外さずに普通に寝てたわけだ。納得である。


「なに?あたしの顔をじろじろと見て。何か言いたいことでもある?」


「いや特に言いたいことはないけど。いつもと感じは違うけど君は相変わらず美人だよ」


 でもよくよく考えたらどうでもいいような気がしてきた。人種とかどうでもいい。そんなものには興味がない。


「あらあら。その手の反応は初めてね。この顔を見て怪訝そうな反応をしなかったのはあんたが初めてね。聞かないの?そのお顔立ちは一体どこの人なんですかって?」


「え?いや別に。それより早くおつまみ作ってくれよ。超期待してんだけど!ビールに合うやつな!たのむぜ!!」


 綾城の為にとっておきのお高め激うま地ビールを出しているのだ。それ相応のおつまみじゃなきゃ認めないぜ!


「…へぇ…ほんとにいつもと同じ反応。…ふふ…ええ。期待して頂戴な!とっておきのおつまみを作ってあげるわ!うふふ」


 機嫌よさげに綾城はキッチンに立って料理を始める。その背中を見るのはなかなかに幸せな気分になれる。今日は楽しい宅飲みになりそうだ!



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