第15話 マイペースなカノジョ




「へぇ楪さんってパソコン詳しいんだ。そう言えば昔の消費税って3%だってお母さんが言ってた!計算しづらかったんだって!」


 全然葉桐の話を聞いてない嫁。この女に難しい話しても意味ないんだよなぁ。全部スルーするんだもの。女子アナのくせにニュース番とか情報番組とか一緒に見ててつまんないとか言ってチャンネルを変える女だ。自分が解説したニュースなんかも次の日には忘れてる。よく女子アナになれたな。しょせんこの世界は顔なのか?


「楪凄いね。そんなことやってたんだ」


「あの男…チェストしてやりたい…」


 何か楪が葉桐の事を見ながらすごく物騒なことを呟いていた。すごく暗い瞳で俯いている。うわぁネガティブモード入ってる。


「どしたの?楪、なんか元気ないね」


「あのアルゴリズムは嫌いなんです。そもそも用途がくだらないです。P2Pの電子通貨なんて所詮は現実に既にある通貨システムを電子空間上で再現しなおしているだけでしょ。もう通貨なんてどこにでもあるんですからわざわざ作り直すなんて無駄じゃないですか?」


「まあそう言われればそうかも知れないね」


 電子通貨って未来でも結局のところ投資用の資産の一つであって、通貨決済システムとしては幅広く流通しているとはいいがたい状態だった。今後さらに広がれば違うのかもしれないが、今のところはギャンブルの玩具でしかない。結局みんなドルに換えるんだからね。


「それにあれ、わたしが作りたくて作ったわけじゃないんですよ。高校の授業で地球温暖化を少しでも解決するアイディアを考えて実行するっていう総合学習があって。グループ実習だったんですけど、…グループの人たちにアイディア考えてやっておいて押し付けられて…電子通貨のマイニングが電気の無駄使いだって聞いたんで、とりあえず作っただけなんですよね。そしたらちょっとネットで有名になっちゃって学校の先生に褒められて、…他の子たちから嫌われました…頑張ったのに…」


 何だろうこの子のやることなす事全部裏目に出る感じ…哀れすぎて守ってあげたくなるよ。


「紅葉さん!その男と関わっては駄目だ!!」


 葉桐が楪の傍に近寄る。楪はびくっと体を震わせた。


「君のような素晴らしい才能の持ち主は悪い人間に利用されがちだ。その男のようなね!きっと甘言を弄して君を騙したんだろう!僕に頼ってくれ!君をその男のもとから救い出してみせる!」


 俺がなんか悪い人みたいになってんだけど?どうしてこう、この男は自分のことを棚に上げて俺を悪しき様に罵るのだろうか?


「僕のグループに来なよ!君の才能を生かすための設備も僕なら用意してあげられるよ!資材やお金ならいくらでも調達してあげる!大学のベンチャーキャピタルにもつながりはあるんだ!その才能で僕と一緒に世界を変えよう!」


 なんか熱弁を振るっている。葉桐の瞳は何か怪し気にキラキラと光ってる。アットホームな職場の社長さんみたいな瞳だ。


「アハハ…ごめんね宙翔は熱くなるといつも子供みたいにはしゃいじゃうんだ。許して」


 嫁が舌をペロッと出しながら、俺に両手を合わせておふざけ半分な謝罪をしてくる。嫁はもう葉桐の言ってることを聞き流すモードになってるんだな。世間の女子が今の会話聞いたら、この人、夢が大きくて素敵!とかって言いそうなもんなのに。全く関心がないんだな。今のって楪の才能を見込んだベンチャー設立のお誘いだぞ。たしかに未来じゃこの男は医学部卒の癖にベンチャーの社長やってたけど。こんな時期から熱心に活動してたのか。その野心には嫌悪を通り越して、逆に感心の念さえ湧いてくるかもしれん。まあその地位の高さと稼いだお金ゆえに嫁に浮気に走られたと思えば、やっぱり腹しか立たないけど。


「あの…すみません。わたし、そういうの興味ないです」


 楪は葉桐の話を聞いてから、冷たくそう言った。だが葉桐はまだ説得を続ける。


「紅葉さん。興味は後からついてくるものだよ。君の技術は世界を変えられるんだ。そうすれば沢山の人が幸福になるんだよ」


「はぁ…そうですか…幸せですか?」


「そうだよ。僕はこの世界に不足したものを供給できるような人間になりたい。この世に足りないものを補えるようなものを作り世界にサプライしたいんだ。この世界に新しい価値を生み出し、沢山の幸せを作りたい」


 ひどく反吐が出る綺麗ごとを宣っていやがる。というか俺から嫁を奪って愛情を不足させ、幸せを壊したのはなんだったの?言ってることとやってることが全然違うじゃないか。


「はぁ…もういいです。わたしは興味がないんです。他の人たちとやってください」


 楪は葉桐の提案を断った。意地悪な気持ちだけど嬉しいと思った。楪は葉桐の味方ではない。それはとても嬉しい。


「やっぱりその男に何か言われてるのか?それとも先に契約か何かを結ばされた?弁護士を用意してもいいよ」


「…契約なんていりません。わたしとカナタさんの間には契約ではなく優しさがあったんです。…もういいです。もういいですよ。あなたの夢の価値はわたしには関係ないことです。でもあなたに関わるとカナタさんと離れることになる。それだけはわかりました。だからこう言います」


 楪は大きく息を吸って。そして大声で叫んだ。


「いやでごわす!!あてには関係なか!!あてはわいをすかんと!…おほん!これ以上しつこく誘ってくるならあなたをチェストします。思い切りチェストします」


 それは明確な拒絶だった。はっきりと葉桐の目を見ながら、強い眼光で楪は断った。まあよく見ると足は震えてるし、俺の背中をぎゅっと握ってる手も震えてた。


「だが君の才能は…」


 葉桐はそれでも説得を続けようとした。だがすぐにそれを遮って楪は言った。


「あなたはわたしの才能しか見てません。それはわたしの胸しか見ない人よりも気持ち悪いです。もう声をかけないでください!」


 そして楪は俺の背中の後ろにひゅっと隠れてしまった。よく頑張った。ここから先は俺の仕事だ。


「わかったろ?誰もかれもがお前についていくわけじゃない。楪は諦めろ」


 葉桐は何とも言えない顔で俺を睨んでいた。こうやって女に拒絶されるのはきっとこいつの人生では初めてだろう。それは間違いなく屈辱の記憶になるのだ。男の心を深く傷つけられるのは女の行いだけである。


「…わかった。今日はもうやめておこう。理織世。行こう。この人の傍にいたらよくないものをうつされるからね」


 そして踵を返して葉桐は自分の授業があるであろう講義棟に向かって去っていった。


「楪。よく頑張ったね。えらいえらい!」


 俺は楪の頭を撫でた。楪は微笑んでいる。


「えへへ。頑張りました!」


 そして暫くして。


「じゃあわたしの講義棟はあっちなんで!ではまた!」


「またなぁ!」


 楪と俺は手を振り合って別れた。そして俺は一人満足な心と共に講義棟へ軽い足取りで歩いていった…と思ったら、よく知る声が隣から聞こえてきた。


「じゃあ一緒に行こうね!はじめてかも!こうやって同じ学科の人と講義室に向かうのって!いつも宙翔といっしょだったからなぁ。なんか楽しそう!うふふ」


「わっ!?なんでお前がここにいるんだよ!!葉桐と一緒に行くんじゃないのか?!あの話の流れなら葉桐についていくもんだろ!?」


「え?だって私と常盤君は同じ学科で同じ授業でしょ。宙翔は医学科だよ。そもそも宙翔とは授業が違うんだけど」


 そ う だ っ た!

 俺はバカなのか?!嫁と俺は同じ学科だったのだ。何だよこの間抜けな流れ。葉桐が向かった先にふと目を向けたら、葉桐が足を止めてこっちをあんぐりと口を開けた間抜けな表情で見てた。お前もか葉桐。嫁のマイペースっぷりに振り回されているのは…。


「じゃあね、宙翔!お昼御馳走するの忘れないでよー!じゃあ行こうか常盤君!早く行っていい席とろうよ!」


 嫁は俺の手を引っ張って歩き出す。本当にマイペース。だけど葉桐が悔しがっている顔をしているので、今日だけはこのペースに巻き込まれてもいいと思ってしまった。

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