第44話 九箇の太刀 必勝
「いったい、何が……」
肩を抑えながら黒い繭から出てくる葵さんに、僕は片手を差し伸べる。
汗でおでこに張り付いた黒髪、疲労でせわしなく揺れる肩、僕の手を握り返した華奢な手。
初めて出会ったときに握手したその手は、変わらず柔らかかった。
「二人とも、大丈夫?」
手拭いを手にした中島さんが真っ先に駆け寄ってくる。
「大丈夫です。実際にけがをしたわけではありませんから。それより今何が起こったのですか?」
「ワタシも知りたいでス」
「俺も」
ドヤ顔にならないよう気を付けながら、僕は柄頭を握った「右手」を差し出した。
「これが、答えだよ」
普通は右手で鍔の近くを、左手で柄の先端の柄頭を握って構える。上段でも中段でも、剣道でも古流でもほぼ変わらない。
でも振り上げた瞬間に左右の手を入れ替え、左足を踏み出して打つことで間合いの感覚を狂わせる。
これが柳生流剣術九箇の太刀の一つ、「必勝」。
「あの攻防の中でいつ手を入れ替えたんだよ、てか間に合うのか?」
そういう広田に対し、普通の素振りと変わらない速度で手を入れ替えながら振って見せる。
「あらかじめ少し手の内を緩ませておく。剣を振り上げた瞬間に勢いを利用して柄頭を左手のひらに押し込むようにするのがコツなんだ」
わかりやすいように、少しゆっくりとやって見せる。手のひらの中を柄が滑るように動く。
剣道では小手をはめるからこれができない。
「北辰一刀流に伝わる、なぎなたの扱いと少し似ていますね」
さすがというべきか、葵さんは真っ先に納得したらしく自分の刀でしきりに真似をしていた。
まだまだぎこちないけれど、すぐに僕以上の速度で持ちかえられるだろう。
「左手が鍔の近くを握ってるから、左足を踏み出して打つと」
普通の握り方では届かない距離まで刀の切っ先が届いた。逆に、右足を踏み出すといつもより刀の届く距離が短くなる。
「完敗です」
まだ納得がいっていない表情をしていた葵さんの顔から、憑きものが落ちる。
「負けてこういうことを言うのも変ですが…… とにかく、すっきりしました」
マヨイガが発動してからもずっと握っていた名刀正宗。それにさび止めの処置を施した後、金糸で縫われた刀袋に戻した。
「しかしこれだけの技がありながら、なぜ聖演武祭決勝ではアクシデントなど?」
「それは……」
「ちょうどいい機会ですシ、お話ししましょウ」
広田をマヨイガの企業秘密にかかわる話だから、と言って帰す。渋々といった様子だったが、内容が内容だ、秘密は知る人が一人でも少ない方がばれにくい。
アレクシアの口から全てが語られた時。葵さんは、拳を道場の床にたたきつけた。
「父が、そんなことをするはずがありません」
「なら直接聞いてみてくださイ。『イワナガとはなんのことですか』とカマをかけてやれば観念するでしょウ」
葵さんは道場を跳び出すようにして出ていった。
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