第37話 柳生くんは、負けてない

 用意しておいたお茶を飲み、だいぶ落ち着いたアレクシアはまず僕たちに頭を下げた。

「先ほどは見苦しいところをお見せしましタ。特にソウタ、アナタには無礼を言ってしまっタ、謝罪を」

「ううん、大丈夫、えっとね……」

 場の空気に決まり悪そうな顔をしていた中島さんは、露骨そうに話題を反らした。

「広田くんは…… 『負けた後あれこれ言うのは好みじゃねえ、落ち着いたら学校で声かけるわ』って先に帰ったよ」

 この場に広田がいないのは、そういうことだったのか。

 まあいい、今の状態じゃ広田と顔を合わせづらい。

「ちょっとマヨイガを見せてくれる? 発動した後だし、変な風になってないか調べてみるね」

 僕は黒いリストバンド状のマヨイガを手から外し葵さんに手渡した。彼女はそれを受け取ってパソコンとケーブルでつなぎ、キーボードを叩いている。

「それはいいよ。というか、八百長ってどういうこと?」

「聖演舞祭とは、いわゆる出来レースなのでス。見た目や技の美しい選手を推薦により選抜シ、誰と誰が戦えば盛り上がるかを大会組織委員会や古流連盟が話し合って決めておク」

「でも葵さんと剣を合わせたけど、彼女が八百長なんてするタイプには思えなかったよ?」

「今現在はそうなのでしょうウ。しかしごくマイナーな世界でしかなかった古流が、この短期間に世界中から人を呼べる大会を開くようになった。そのためには綺麗ごとだけでは不可能でしょウ」

 決勝終了後もなお鳴りやまない歓声が、この特設室にまで響いてくる。

「ワタシはそれヲ北辰一刀流の本部道場に寄った時に知ったのでス。シーメンス社は大会随一のスポンサー。特別に話してくれたのでしょウ。許せなかっタ」

「なんで、そこまで……」

 柳生流の道場に数千万円寄付したり、大会の不正にここまで怒ったり。

「ワタシは」

 キーボードのタイプ音が響く中でアレクシアは大きく息をつき、訥々と語る。

「シーメンス社の跡取りとして十に満たないうちからビジネスの世界に身を置いて、嘘と欺瞞に満ちた日々を送ってきましタ」

「昨日までにこやかに話していた相手が、実は買収や敵対工作をもくろんでいタ。目をかけてくれた大人が、実は裏切者だっタ。そんな話がありふれテ」

「少々、精神を病んでいた時期もありましタ」

「まあ、学校も似たようなものでしたガ。ワタシに向けられる視線と言えば、おべっかか嫉妬のどちらかしかありませんでしタ」

 話しているうちに、どんどんとアレクシアの目が光を失っていく。南の海のように碧い瞳が、今では薄汚れたドブ川のように見えた。

「そんな時にふと知った、サムライの精神」

 アレクシアの声に高ぶりが混じる。

「ドイッチュラントには失われて久しいものでしタ。スポーツともまた違ウ。例えバ新選組や維新の志士たち。不利とわかっていながら、負けるとわかっていながら主君のために戦い、そして死を恥としなイ」

「真のサムライを決めるのが聖演武祭であると知り、居てもたってもいられなくなりましタ。そのスポンサーをシーメンス社が務めていると知った時は、いもしない神に感謝したくらいでス」

「だからヤーパンに留学することにしましタ。北辰一刀流前宗家は第二次世界大戦で『大空のサムライ』と呼ばれた傑物。日本刀での斬り合いのコツを飛行機での戦闘に大いに活かしたと言われまス」

「きっと今の北辰一刀流も、その精神を受け継いでいるに違いないと思い込んでいましタ」

「そして聞かされた、聖演武祭の真相……」

 アレクシアが拳を握りしめる。指の食い込んだ部分が紅葉のように色づいた。

「そんな時に剣を合わせたのが、ソウタ。アナタだったのでス」

 雪に紅葉が落ちるかのように、わずかに涙ぐんだ目元がうっすらと赤く染まる。

「一瞬で負けたアオイとは全く違う剣で、しかもワタシを手玉に取っタ。ヤーパンに伝わる古流とは、サムライの剣とは流派ごとにここまで違うのかと感激しましタ」

「同時、アナタならサムライを見せてくれるかもしれないと期待し、入門しましタ」

「古流連盟や大会組織委員会に参加せず、出来レースをよしとしないごくわずかな古流の一つだったこともありましタ」

「穏やかな剣や押し付けない指導など、感じ入る部分も多々あっタ。サムライとはこういう者もいるのかと、思いましタ」

「でも正々堂々戦って、葵に負けタ。この大舞台で北辰一刀流の連中に、一泡吹かせてやれなかっタ」

 今までから一変、口調が荒々しく早口になり、目に険が混じる。

 初めて触れたアレクシアの本心。

 そして彼女の期待を裏切ってしまったことが、葵さんに負けたことよりも辛かった。

 彼女の碧い目を見ると、胸を抉られるような痛みが走る。

「結局、このヤーパンにもサムライはいなかっタ。北辰一刀流も、そしてソウタ。アナタも……」


「そんなことない。柳生くんは、負けてない」

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