第15話  対刃物の心得

本来は刃物を持った相手に対して素手で立ち向かうことはしない。基本はまず逃げることだ。

 フィクションと違って現実は非常で、三歳児でもナイフを持てば大の大人に致命傷を与えることができる。

 でも逃げられない時はあるから、その時は戦うしかない。

 怯えた表情で僕を見る中島さんに微笑む。もうこれ以上、怖がらせないように。

「誰だか知らねえけどよ、なめてんのか、ああ?」

 清志は耳障りな声を響かせて、僕に対してナイフを近づけてきた。

 まだ本気で刺そうという気ではないのだろう、ナイフを握る手にも力がそれほど入っていないし、体重も前に乗っていない。

 それなら、こうすればいい。

 僕は清志の手にゆっくりと触れた。

 速くではなくゆっくりと動くことで、相手に警戒心を起こさせにくくなる。そのまま手首に手を添えて、ゆっくりと回しつつねじり上げた。

「なっ……」

 清志の手からナイフが離れ、地面に落ちる。澄んだ音が廊下の奥から届く喧騒に混じった。僕がナイフを蹴り飛ばすと廊下の果てへと飛んでいき、やがて見えなくなった。

 止まったナイフを蹴るのは動くサッカーボールを蹴るより簡単だ。

「な、なにしやがった」

 なめ切っていた清志の顔が一瞬にして驚愕に変わる。清嗣も驚いた顔で僕を見上げ、中島さんの顔は…… 見えない。

「柔術だよ」

 古流では剣術と銘打っていても、それ以外の技法が伝えられることがほとんどだ。

 柳生流剣術にも素手の技、つまり柔術が伝えられている。

「もう、やめにしない?」

 僕は穏やかな顔と表情を作って話しかける。

 できるだけ荒っぽいことはしたくない。リスクもあるし、それに何より。

 中島さんが、怖がるだろうから。

「くっ……」

 清志はさっきまでの表情が嘘のように僕を警戒していた。これなら、と思った時に余計な声が響く。

「兄ちゃん、そんなひょろい奴に何やってんだよ。そんなんだから聖演武祭の予選にも負けて、彼女にも逃げられたんじゃん」

 煽るようにそう言うと、清志の顔がわかりやすいくらいに歪んだ。

 ほんと、小学生男子ってのはクソだ。いじめが好きだし人の気持ちに鈍感だし、何より事を丸く収めるってことを知らない。

 清志は左手をポケットに突っ込むと、新たなナイフを取り出してきた。

 手首をねじられた体勢のまま体を回転させ、僕の脇腹に斬りつけてくる。

「柳生くん!」

 中島さんの悲鳴が、廊下に響く。



 清志のナイフに切り裂かれた僕の服が宙に舞い、廊下の蛍光灯の明かりに照らされる。

 青くなった中島さんの顔が視界の端に映った。

「今のをかわすとは、やるじゃねえか。何モンだ」

 もう僕のことを舐めた感じは、欠片もなかった。

 僕と清志は再び距離を開け、対峙する。清志のナイフは僕の服をかすめるにとどまった。彼の言葉を無視し、構える。

 清志はナイフを突き出すようにして構え、僕は両手をだらりと下げた構え。いわゆるノーガード、無形の位だ。

「兄ちゃん、そいつさっき武道場で見た! 聖演武祭出場する奴じゃない?」

 清嗣の言葉に清志は顔に青筋を立てて怒りを露わにした。

「なめやがって!」

 茶色の髪を逆立て、ダボダボのジーンズをひっかけながら突っ込んでくる。ナイフは腰だめに構えて、脇を締めてしっかりと固定していた。

 殺す気か。

 ナイフは普通に切ったり刺すのでは傷が浅いけれど、ああやって体重を乗せると深々と突き刺さる。

 流派はわからないけれど、短刀術の使い手なことは間違いない。

 僕は蹴りの時と同じように、再び腰を切ってかわした。

 胸の前スレスレを殺意の固まりが通り過ぎていく。体勢を崩すことなく、彼はナイフを片手に持ち直して首や喉といった急所を的確に攻めてきた。

 僕は攻撃を間合いを取ることでかわし、決してナイフが当たらない距離に自らを置く。

 ナイフは軽くて小回りが利く分、間合いに入られてしまうとかわすのはほぼ不可能だ。

 マンガみたいに上体のひねりだけでかわすのは格好いいけれど現実には自殺行為でしかない。上体のひねりではかわせない攻撃があるからだ。

 清志が口元を歪め、僕の太腿の内側、動脈が走る場所を狙ってくる。

 僕は再びローキックをかわすときのように足を引き、対峙する。

「てめえ……」

 清志の声に焦りが出てきた。肩が上下し、息が荒い。中島さんの腕を掴んだ清嗣の目にも驚きが見えている。

「なんで、今のをかわせた」

「足への攻撃くらい、僕の流派にあるからね」

 はじめは怖かったけど、脳からアドレナリンが出るせいか段々と怖くなくなってきた。動きも見切れてきたし。

 大して清志の表情にはもう余裕も、見下す態度もない。

「柳生くん、もう逃げて、お願い」

 でも中島さんの目にはそう映らなかったらしい。ナイフを持った相手から僕が必死に逃げまどっているように見えるのか、涙を流して叫ぶ。

 ごめんね、中島さん。

 僕はまた、女の子を怖がらせている。あの時から全く変わっていなかった。嫌な記憶が心をむしばむ。

 それが隙になったのか、清志が今までで一番の速度で間合いを詰めてきた。

 しかも斜めからの袈裟切り、もっともよけにくい攻撃。

 狙ってくるのは、僕の頸動脈。

 このために無形の位、いわゆるノーガードで構える必要があった。

 手を前に出さない無形の位では、敵は首や胴体を狙い深く斬りつけてくるしかない。

 深く踏み込んだその動きに合わせて僕も踏み込む。僕と清志、二歩分の距離が一瞬で詰まり、ナイフの間合いのさらに内側に入った。

 ナイフを持った手の甲に手刀を叩き込むと同時、もう片方の手で肘関節に拳を入れる。

 柳生流剣術無刀の形、「手刀勢」。

 両手で同時に打撃を放つのは格闘技には滅多にない。だが両手で剣を振ることに慣れていればそれを素手で行うのは容易だ。

 関節にダメージを与えると同時にナイフを取り上げて、突進した相手の勢いを逆に利用して床にうつ伏せに押さえつける。

 肩関節からひねるようにして手首を内側に曲げ、極めた。

「ソウタ!」

 勝負が決まった時、警備員を伴ったアレクシアが駆けつけてきた。


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