第14話 疼く胸(男子の胸) 

「中島さん、遅いね」

「着替えてくるだけなのニ、アヤは時間を守るタイプなのですガ……」

 アリーナ横、併設された自販機とベンチのある場所で僕とアレクシアは落ち着かなかった。

 ベンチの上に細長い革のケースに入れた真剣と道着の入れた袋を置いてある。

 普段なら、僕は先に帰ってしまうだろう。

 中島さんとそれほど親しいわけでもないし、聖演武祭も迫っている。アレクシアへの指導もある。

「アヤに連絡もつきませんシ……」

 アレクシアはバックからスマホを取り出し、何度も何度も操作していた。

 嫌な予感がした。国立武道館にいるガラの悪い男たち、アレクシアが向けられていた視線、

そして会場にいる女子の少なさ。

「アレクシア、必ず人目のある所にいて」

 僕は荷物を持つ時間も惜しく、その場を駆けだした。



 スーツ姿や作業着姿の人たちの驚いた顔が、高速で流れていく。

 アレクシアが手配してくれたのか、中島さんを呼ぶ館内放送が響いた。

 白を基調とした武道館内の廊下を、僕はほぼ全力疾走していた。走れば走るほど、嫌な予感が止まらない。

 同時にフレアースカートに白のブラウス、若草色のカーディガンを羽織った彼女の姿が目に浮かんだ。

 武道館内のガラの悪い人たちのことを思い出す。下ネタと騒がしい声、弱者を脅かしてせせら笑うあの不快で恐怖をもたらす笑顔。

 僕も昔は弱かったから。ああいうカスにはいまだに苦手意識がある。

 いっぱいいじめられて、いっぱいからかわれてきたからよくわかる。

 中島さんはああいうカスが標的にしたがるタイプだ。大人しそうで、真面目そうで、嘘がつけない。

 どうして、彼女を一人にしたのだろう。

 僕は拳を握りしめると同時に、自分の行動が疑問に感じられた。放っておけばいいのに。

 彼女がどんな目に遭おうが、僕の知ったことじゃない。人はいつだって簡単に裏切る。状況次第で態度を変え、ゴマをする。

 ろくに知りもせず他人を馬鹿にして、悪口を絆にする。

 それが僕の見てきた人間だった。

 アレクシアは柳生流に興味を持って、敬意を払って、並々ならぬ熱意を見せてくれた。だから少しだけ信頼して弟子にしたけど。

 中島さんが嫌な人間じゃないと、どうして僕は思っているのだろう。

 ここでは女子、しかも私服の女子なんて珍しいから目立つはずなのに、一向に彼女の姿は見つからなかった。

 息が切れて、脇腹が痛くなってくる。もう全力疾走ができない、僕は荒い息をついてその場に立ち止まった。

 そこは、自販機とベンチが並ぶアリーナ横のスペース。

 アレクシアとさっきまでいた場所かと思ったけど、この広い国立武道館では似たような場所がいくつも存在するらしい。

 膝に手をついて軽く息を整えて再び探そうとしたところ、視界の端が妙に気になった。

 自販機横の少し入り組んだところ。トイレへと続く、狭い通路。

 急いで走っていたのでは目に入らない、奥まったところに見覚えのある私服と黒髪が目に入った。

 中島さんは男に手首を掴まれ、引きずられるように連行されている。

 青ざめた顔で僕のことを縋るように見上げる中島さんに、武道場にいた、ガラの悪い男。ダボダボのジーンズに手入れのされていない茶色の髪をしていた。

 そして彼によく似た小さな子、小学生くらいか。

 嫌な記憶が蘇る。そしてもう一つの嫌な記憶も。

「誰だ、お前」 

 僕を見てガラの悪い男は少し驚いたような顔を見せたが、僕の体を上から下まで一瞥するとすぐになめ切った表情に変わった。

「ちっ」

 武道場の喧騒がはるか遠くに聞こえる中、彼のこれ見よがしな舌打ちはやけに響く。

「とっとと行けや。これからデートなんだからよ」

「嘘つけ」

 トイレでデートするわけないし、女の子がそんな顔をするデートなんて聞いたことがない。僕は一度もデートしたことがないけど。

「そーだそーだ」

 小学生くらいの子はそんな彼を止めるでもなく、はやし立ててくる。

 周囲の人間が悪いことをしても止めることもなくむしろそれに乗っかって、自分も楽しむ。

 ああ、こいつはガラの悪い男以上のクズだ。

 ガラの悪い男は体格を見せつけるように胸を張り、上から睨みつけてくる。右手をポケットに突っ込み、左手で中島さんの手を握っている。

「文句あんのか? ああ? 俺は聖演武祭にあと少しで出場できたんだぜ」

「あるから言ってるんだよ。君が誰かは知らないけど、とりあえずその手を離せ」

 僕は右手から目を離さないようにして、精いっぱいの虚勢を張った。

 でも彼より一回り小さい体格の僕では、何の効果もなかったらしい。道着のままだったら、多少は違ったのかもしれないが。

 軽く小突くように、蹴りが僕の足に伸びる。

 普通なら避けられないその蹴りを、僕は咄嗟に腰を切ってかわした。柳生流剣術の基礎の形に出てくる動きだけど、格闘技で言うローキックを外すやり方にも似ている。

「てめえ……」

 ガラの悪い男が唇を歪ませ、目が三日月の形になる。何のためらいもなく右手をポケットから取り出すと、その手には抜き身のナイフが握られていた。

 同時に中島さんから手を離す。

「おい清嗣、この女を捕まえてろ」

「わかった、清志にいちゃん」

 無邪気な言葉で残酷なことをする清嗣という少年、清志というガラの悪い男。

 清志は僕より一回りは太い腕でナイフを持ち、切っ先を僕に向けた。

 その刃は凶器、その目に宿るものは狂気。

 グリップの部分に滑り止めが付いた、柄もある本格的なものだ。あれで刺されればへたをすると致命傷になる。

「柳生くん……」

 さっきより幾分細い腕で捕まえられた中島さんが、絞り出すようにして声を上げた。

 恐怖でうまく声が出ないのだろう。だから悲鳴も上げられず、助けも呼べなかったのだろう。

 眼鏡の下の瞳が涙に濡れているのを見ると、胸が疼いた。

 いじめを受けていた時の記憶が蘇ってくる。そして、もう一つの記憶も。

 僕は鈍色に光るナイフを持つ清志に対し、対峙した。

 

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