~運動が苦手だった剣術師範の高校生、真剣勝負で成り上がる~
霧
第1話 一回戦
「はじめ!」
審判の合図とともに、心臓が冷たくなるほどの緊張が走る。
アリーナの照明の下にあるのは、鈍色に輝く二振りの日本刀。
先に動いたのは相手の方だ。武道場の床をスケートで滑るような独特の足さばき。
上下動のブレがない、無駄のない動きで間合いが一瞬にして詰まる。だが僕は中段の構えのまま動かず、相手の目に僕の切っ先を向けておく。
そのまま間合いを詰めてくれば、目を突いてカウンターが決まる。
目を突くのは残酷だ。だが命をやりとりしてきた古武術ではごく当たり前にある。
相手は「浅山一伝流」という体術や居合も含んだ流派。僕の流派は徳川将軍家に教授していた「柳生流」だ。
間合いが詰まった瞬間、僕は腰の乗った突きで目を狙った。
だが相手、浅山は突きを右に体捌きして外した。僕の刀が空を突く形となる、その刹那。
伸びきった僕の左小手に刀を振り下ろした。このままなら小手が切り落とされる。
でも僕は真剣が小手に触れるまさにその瞬間まで引き付け、ぎりぎりで小手打ちを抜く。
逆に空を切った浅山の真剣。だがこの「聖演武祭」に出場する選手なだけあって、 ぎりぎりでかわされたというのに体勢が崩れることはない。
喉元にできた一瞬の隙に乗じ、勇み足で素早く浅山を追い詰めていく。
勇み足とは剣道ではあまり使われない、左右の足を交互に出す歩くのに近い足さばき。
小手を抜かれた浅山は再びスケートで滑るような動きで後退しつつ刀を上段に構え直す。
だが僕が追いつき、構えた左手に刀の切っ先を突き付けるほうが早かった。
これで浅山は動けない。上段から振り下ろせば、左手が切り飛ばされる。
古武術は残酷な技だけじゃない。
小手や目に切っ先を突き付けて、切らずして制する。
殺さずして勝つ。
それが僕が受け継いだ、柳生流の特徴の一つ。
でも僕は浅山を追い詰めて安心したのか、心臓が冷たくなるほどの緊張を忘れたのか。
相手が余裕を失っていないのに、僕は気づけなかった。
彼は一瞬のスキを突いて左手を柄から離し、僕の刀から逃れる。
同時に、自由になった右手一本で袈裟懸けに切りつけてきた。
とっさに僕は突き付けた刀を、弧を描くように振り下ろす。
弧を描く刀に誘導され、僕の首筋に向かう浅山の刃の軌道が反れる。
同時に僕は腰を瞬時に落とした。
振り下ろした刀に瞬時に落とされた重心の力が加わることで、浅山の刀が叩き落とされた。
だがその程度で終わるような相手じゃない。古流の看板を背負って、ここに立っているのだ。
叩き落された刀で斜め下から切り上げ、僕の脇の下を狙ってくる。
マヨイガのおかげで死にはしないだろうが、実戦ならば腹を割かれて臓物が飛び出す。
僕はとっさに後方へ体捌きして刀を避けた。
触れれば切れる日本刀を相手にするときは、間合いの外に出るのが一番の安全策だ。
だがそれがよくなかった。そもそも長身の浅山のほうがリーチがかなり長い。
追い打ちをかけるように浅山は面打ち、胴打ち、突き、脛打ちと連続攻撃を繰り出してきた。
肌すれすれを白刃が煌めく。マヨイガのおかげで血こそ流れないが痛みは蓄積していく。
対照的に、小柄で腕も短い僕の攻撃は浅山にかすりもしていなかった。
長いリーチの相手には、アウトレンジでの戦いは不利。
浅山の脛打ちを腰を落として大きくはじき、隙を作ってから体当たりした。
刀での攻防に気を取られたのか、体当たりの衝撃で浅山は軽く吹き飛ぶ。
僕の全身にも衝撃が走るけど、気にしている暇はない。
機を逃さずつばぜり合いに持ち込んだ。
真剣は竹刀と違って刃がついているため、顔に刀身が触れないように高い位置での攻防となる。
右に、左に。お互いに体を捌きながら刀を押し込んで、浅山の顔や首を切ろうとする。
刃がこすれ合うことでぎりぎりと刃がこぼれ、文字通りに火花が散って試合場に落ちた。
僕たちの刀は大学の居合道部で見かける、合金製の切れないものじゃない。
秋葉原で売られるコスプレ用でもない。
正真正銘、触れれば切れる日本刀。それを防具もつけない道着姿の高校生が手にし、刃を向けあって立ち会う。マヨイガが開発される前だったら。
観客の下で、こんな風に高校生同士が勝負するなんてありえなかった。
アリーナの観客席に立錐の余地もないほどに大勢の人が詰めかけ、熱い声援を送ることなんてありえなかった。
僕が柳生流の看板を背負って出場することも、ありえなかった。
左手首に巻かれた黒いバンドが汗を吸い取る。
埒が明かないな。
ふと、浅山が片手を柄から離す。両手対片手、僕が有利になった。
わけはない。
浅山は細く長い腕で、刀の下から僕のあばらに突きを放ってきた。
まともに喰らえば肋骨がへし折られて試合終了。
だけど形を繰り返してきた僕の体は、突然の体術にも何の迷いもなく動く。
咄嗟に僕も柄から片手を離し、浅山の腕を手刀で撃ち落とす。
前腕部の急所、骨が筋肉におおわれていない箇所を打たれて浅山は一瞬顔をしかめる。
だがそれで終わるわけもない。
打たれた腕で僕の打った腕を逆につかみ、ねじり上げてきた。
だから僕もそう簡単にはやられない。剣術の応用で姿勢を正し、足腰の力を腕に伝える。
同時に体をひねることで生じるらせんの動きを指先にまで伝えて、浅山の腕を振りほどいた。
再び間合いが開き、リーチの長い浅山有利の距離になる。
そうはさせない、その前に決める。
間合いが開きかけた瞬間、僕は真剣で浅山の脛を払った。
上半身の攻防に集中していれば下半身への反応は遅れる。
真剣の切っ先が浅山の袴を切り裂いた。
だが決着はつくことはなかった。
切ったのは袴だけ。袴の下の足は咄嗟に後ろへ引かれ、僕の刀は空を斬る。
脛を大振りで払ったため、上半身に隙ができた。僕の頭目掛けて迫る、浅山の斬撃。
今までと違って、刀の勢いで僕の体勢は崩れていた。
だが、そんな時のための技はちゃんとある。
バランスを立て直さず、刀の勢いに任せる。
八相のように真剣を構えた腕を波のように振った。腕の重さ、刀の重さが脇をしめることでダイレクトに体幹に伝わる。
さらに体幹から足へ、足さばきへつながっていく。
柳生流剣術、「浦波」。
止まっていた体の動きがほぼ一瞬でトップスピードに達する、柳生流の秘術の一つ。
刀の振りと連動し、波間を進む舟のように滑らかに体が移動。間合いが再び開いた。
予選だけど、僕の試合場近くの観客席からどよめきが起こった。
「何なん、今の動き?」
「あの柳生流剣術って、今回が初出場らしいぜ」
「ようつべで動画出とらん?」
全国大会らしく、方言混じりの会話を尻目に僕たちは再び距離を取った。
付きつけ合った真剣が、アリーナの照明を反射して幾重にも白く輝く。
広いアリーナ会場には他にも十以上の試合が開かれ、すでに一回戦の試合は決着がついているところも多かった。
「第二試合場、勝者……」
「第八試合場、勝者北辰葵選手」
耳朶を穿つような勝敗のアナウンス。乱れそうになる集中を、なんとかつなぎとめる。
滴る汗が目に入りそうになるが、拭うわけにはいかない。顎や手を滴って落ち、床がびしょぬれに近くなるほどだ。
でも左手首に巻いた黒いバンド、マヨイガは真剣勝負のための道具。汗を吸い取るための物じゃない。
竹刀より刀身が鋭く細い真剣は、切っ先のわずかなブレすらも隙になる。
僕はやや腰を低めに落とし、足腰でしっかりと刀を支えて構える。その拍子に、わずかに切っ先が揺れた。
相手が、動いた。
切っ先がずれて隙ができた、僕の真正面から面に打ち込んでくる。僕より高い身長と、長いリーチ。
正面からの斬り合いなら、当然身長のある人間が有利だ。
でも僕はあえて同じように振りかぶって、面狙いで打ち込んだ。
互いのスピードは、ほぼ互角。僕は格段に力があるわけでも、速度が優れているわけでもない。それなのにリーチが僕より上の相手に、ほぼ同じ技で打ち込んでいく。
浅山が笑った。勝ちを確信したのだろう。
空気を切り裂く二振りの日本刀が、独特の風切り音で互いの面に迫っていく。
浅山の刀には僕の面が近く、僕の刀からは浅山の面が遠い。
刹那の瞬間が過ぎて。
浅山の刀は空を斬り、僕の刀だけが浅山の面を捉えていた。
お互いに同じタイミングでの面打ちなら、普通ならリーチの長い相手が先に当たる。
でも柳生流の面打ちは、ただまっすぐ正面に打つのではない。
今のは刀を振り下ろすのと同じタイミングで、体一つ分だけ右斜め前に体捌きしたのだ。
振り下ろすタイミングに合わせると相手は動作を修正しようがない。そのため相手の刀は空振りし、僕の刀だけが当たる。
柳生流剣術、「疾雷刀」。
柳生流剣術は変幻自在の剣だが、まっすぐ振りかぶって振り下ろす面打ちが基本であり奥義。
『どんな時でもまっすぐ振れるようになればその日のうちに免許皆伝をやるよ』
そう父さんに言われたことを思い出すが、未だその域には到達していない。
竹刀でも木刀でもない真剣が、かぶともヘルメットさえもない生身の頭に吸い込まれる。普通なら頭がスイカのように割れて中から血が噴き出しているだろう。
だが、切られた浅山の手首に巻かれた黒いバンドがそれをさせなかった。
刀が皮膚を切る前に、黒いバンドが糸のように解けて浅山の体を包みこむ。
黒い糸は瞬きするほどの間もなく、浅山を包む黒い繭へと姿を変えた。
浅山の姿はまるで人間大の蚕が瞬時に繭をまとったかのよう。刀は特殊繊維で編まれた黒光りする繭に遮られ、試合場には血の一滴も飛び散らない。
繭がもぞもぞと動き、中からは自分の置かれた状況が信じられない、と言いたげな表情で浅山が出てくる。
刀が切ったはずの面には傷跡一つ、痣一つなかった。
これこそが四菱工業が開発した新世代形人工知能、「マヨイガ」。
手首に巻いた人工知能で身体の衝撃力やダメージを計算し、瞬時に体を守る繭を作り出して競技者の身を守る。
「それまで! 第一試合場、勝者は柳生流剣術、柳生宗太!」
試合開始と同じように互いに向かい合い、審判が片手を掲げ僕の勝利を宣言した。
同時に僕たちを観戦していた客席からも歓声が上がる。
一回戦が終わり、アリーナを出て控室と試合場をつなぐ通路に戻る。
汗で重たく感じるほどの道着、分厚い壁に遮られてどこか遠くに聞こえる歓声。
数十歩で別の世界に来たのでは、と錯覚するような感じさえした。
でも。
「お疲れ様でス」
「すごかったよ、柳生くん!」
二つの声は、試合前から変わらない。
僕の一番弟子であるアレクシア・フォン・シーメンスと友達の中島さんが駆け寄ってきた。
アレクシアは金髪碧眼のヨーロッパ風美少女で、中島さんは眼鏡をかけた黒髪の和風美少女。
僕がこの剣道や古流諸流派が集まって日本一を決する聖演武祭に出場できたのは、アレクシアのお陰だ。
ほんの一月前までは大会に出ることなど、思いもよらなかったから。
アレクシアと出会った日のことを、思い出す。
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