第26話 愛情の是非(中編)

「あの、人間が扱えるもので、ほかの場所へ移動する奇跡や秘術を知りませんか?」

 アビーの母は、唐突な質問にはてと首をひねった。

「移動に使う秘術か? ふむ……どうだろうな。我が知っているものは自然に出来たポータルを魔法使いが使う式。でなければ暗炎や我ら竜のように大地から直接生まれたゆえに使える能力……くらいだな」

ポータル? それはどこにでもあるのですか?」

「いや、場所は決まっている。魔法使いなら見つけられるが、奇跡が使えなければ難しいだろう。そなたも探してみればわかるさ。あれは人が勝手に動かせるものではないよ」

 ウィリアムは人間社会で高位に属する年若い娘が、唐突に自分の部屋に現れたいきさつを話した。

「聞く限り、我らよりも暗炎の能力に近そうだが……。その娘は暗炎の子ではないのか?」

「物心ついてから同族が近くにいたことがないので断言はできませんが、彼女は人間だと思います」

「ふむ、炎の揺らぎは感じないと?」

「揺らぎ……。ええ、感じません」

 しかしウィリアムは万一に、アイヴィーが同族である可能性も考える。

「同族であったとして……。瞳は紫色なのですが、彼女は赤毛で」

「ふむ。……人間にも紫色の瞳はいるな」

「そうなんです」

「判断材料が少なすぎてわからぬな」

(やはり乗り込んでから判断するか……)

 ウィリアムは今の状況に繋がっている、かつてアビーが卵時代にさらわれたことを思い出しながら疑問を口にした。

「魔法使いは、本当に俺を狙っていたんでしょうか……」

「うん?」

「あなたの子供たちがさらわれたあの一件です。魔法使いたちが、島国ブリタニアでくすぶっている暗炎の男を狙う理由はあったんでしょうか?」

「それはわからぬ。人の子は我らが思いもよらぬ理由で他者を襲うからな」

 ウィリアムは、ヒルベニア東岸部旧王家が暗炎の生き残りだったと仮定してものを考えてみる。

(もし、真の狙いが俺ではなくヒルベニア東部旧王家だったとしたら? 俺はお試しだったんじゃないか?)

 十五年前、ガリアはブリタニアの円卓の騎士の結束を崩そうと考えていた。暗炎の男が聖剣に選ばれた噂を聞きつけたガリアの真の狙いが、ウィリアムではなくヒルベニアの貴族だったとしたら?

(可能性として、なくはない)

「暗炎」

 ウィリアムが顔を上げると、アビーの母は心配そうに彼を見つめていた。

「難しい顔をしていたぞ」

「すみません。もしヒルベニアの貴族に暗炎の血筋が混ざっていたのだとしたら、過去の出来事も関係してきそうだったもので……」

 岩の竜はウィリアムを不思議そうに見つめ、首をかしげた。

「だが暗炎、その娘とそなたがお互いを同族とわからぬなら、あちらの血は相当に薄まっているぞ。それは同族と呼べるのか?」

「それは……」

「二つ足にとって色々とものを考えられるのはよいことなのだろうが、目の前のことに集中したほうがよい時もある。いま口に出したことは一度忘れなさい」

「……ご忠告痛み入ります」

「我とそなたも、家族だからな」

 ウィリアムは彼女の娘婿であることを再認識し、ふわりと微笑んだ。

「はい、義母上ははうえ

 ウィリアムは表情を引き締め、岩の竜を真っ直ぐに見つめた。

「お義母上ははうえ、今のブリタニアはアビーにとって安全ではありません。出来ることなら彼女をこのまま元の住処すみかであるこちらへ預けておきたいのです」

「親としては構わぬが、娘はつがいとしてお前についてきたいだろう」

「怪我をしてほしくないのです」

「ふむ……。ならばそなたが説得して、娘がうなずけばしばしこちらへ置こう」

「ありがとうございます」


 ウィリアムはアビーが作ってくれた巣へ戻り、起き上がった婚約者に自分がいま抱いている懸念や心配事を正直に話した。

「そう言う理由で、しばらくはご自分の母親とこちらに居てください」

 賢いアビーなら二つ返事をくれるだろうと思っていたウィリアムは、彼女がむくれてじっとり見つめてきたので意外に思った。

「いやだ」

「アビー」

「あたしのつがいを奪うかもしれないメスのところへビリーを行かせたくない」

「……浮気をしに向かうのではありませんよ?」

「違う! 心配なんだ。ビリーだって、逆の立場だったらどう思う?」

 置かれている状況が逆だったら。ウィリアムは逡巡しゅんじゅんして、確かに一人安全な場所にいるのは歯がゆく思うだろうと考えた。

「それでも行かねばなりません。何かあれば、すぐ君を頼りますから」

「本当だな?」

「はい。なので君がお義母上ははうえとご一緒にこちらで待っていてくれたら、俺は安心して行動できます」

 アビーは納得いかなさそうにむっすりとしたが、理由が理由であるためにうなずきを返してくれた。

「本当に、何かあったらすぐ呼ぶんだぞ」

「ありがとう、アビー」

 ウィリアムはつがいを安心させるために、彼女を抱き寄せてぷっくりとした頬に何度も口付けた。




 ウィリアムは視察の名目でヒルベニアへ向かうことを了承した。婚約を発表したばかりなのに何故? と戸惑う者や、やはりウィリアム卿も己より上の権力に巻かれる小心者なのだと囁く者が出る中、出立しゅったつの日は早々に決まった。


 新たな宰相として忙しく過ごすフランク伯爵は、義兄とろくに話せないまま旅立ちの日が近付き焦っていた。

(兄さんが何を考えてアイヴィー嬢の誘いに乗ったのかわからない。そもそもアイヴィー嬢を毛嫌いしていたのに。何があった?)

 その日も遅くまで仕事が舞い込んだフランクの元へ、ウィリアムは自ら夜食を持って執務室へ顔を出した。

「兄さん! 丁度よかった。話があるんだ」

「奇遇だな。俺もだ」


 ウィリアムは義弟おとうとを手伝って仕事を切り上げさせ、執務室に備え付けられた小さなテーブルと椅子の上に、硬いパンを浮かべたシチューの残り物を置いた。

「料理長にまかないを分けてもらった」

「そっか、ありがとう」

 フランクは空っぽの胃にシチューとパンを詰め込み、ウィリアムはその様子をながめて表情を緩めた。

「シチューは逃げないぞ」

「さすがに腹ペコで」

「ここのところ仕事を詰めているものな。何を焦ってそんなに仕事を?」

「もちろん、兄さんの見送りくらいしたいからだよ。そもそもどうしてあの要求を飲んだの? 兄さん、彼女のこと毛嫌いしてたよね? どう言う心境の変化?」

 フランクが矢継やつばやに問うと、ウィリアムは薄暗がりに視線を向け金の瞳を輝かせた。フランクはその目に人間には感知できないような出来事が見えているような気がして、息を飲んだ。

「……一体、なにを考えてるの?」

「もしかしたら、今の状況を招いたのが十五年前の出来事かもしれないと、そう思ってな」

「ちゃんと話して」

 ウィリアムは紙切れを持ち出しペンを走らせた。いまこの城で、誰が聞いているかわからないため慎重に言葉を並べていく。ウィリアムはフランクと遊びの延長で使う暗号を持ち出し、他者にはわからないように十五年前の竜の卵事件の背景にあった、ブリタニアの内部崩壊を狙ったガリアの思惑を説明した。

「……そんなことが影響してるの?」

「可能性として、な。あれは解決したとは言えない終わり方をした。鎮火ちんかしきれない残り火がまだあるように思える」

 フランクは義兄が書いた単語と線のまとまりを記憶し、紙切れを暖炉へ放った。

「だからって何で単身突っ込もうとするのさ? 言っておくけど、俺としては許してないよ。向こうに着くまでに何されるかわかったもんじゃない」

 ウィリアムはふわりと微笑んで、フランクの肩をいたわるように撫でた。

「今の俺にはつがいの加護がある。一人きりではないし、アビーにはすぐ頼るよ」

「……俺には頼ってくれないわけ?」

 子供のように拗ねる義弟おとうとを見て、ウィリアムは寂しげに目を伏せた。

「お前が大切なんだ」

「そんなの、俺も一緒だよ」

「フランク。俺にとってお前は、オリヴァー様の忘れ形見だ。お前に何かあったら気が気じゃない」

「だからそれは、俺も一緒だって……!」

 フランクがすがるようにウィリアムを見ても、血の繋がらない兄は寂しげに微笑んだまま。

「兄さんのそう言う顔嫌いだよ! 昔から! 全部諦めたような顔して!」

「フランク」

「俺だって役に立てるのに……!」

 ウィリアムは腕を広げ、珍しく不安定な義弟おとうとを抱きすくめた。

家族みんなに傷ついて欲しくないだけだ」

「何で兄さんばっかり損な役回り……」

「お前もいつか真に愛する人が出来たら、俺の言動を理解するよ」

「……アビー嬢に関係あるから?」

「俺のルーツだからだ」

 ウィリアムはフランクから体を離してきっぱりと言い切った。

「あの一件を機に俺の周囲は大きく変わった。竜に勇者と認められ、真に聖剣の持ち主となった。そう思っている。だから今回のことは、俺自身で解決しなければならない」

 兄の決意が固いのだと知ると、フランクは悲しそうにうつむいた。

「きっと、あの事件はまだ終わっていない」

「……わかった。だったら俺の部下を同行させて。兄さん自身も、信頼のおける従騎士を連れて行って」

「ああ、わかっている。大丈夫、全て無事に終わるよ」

 ウィリアムはもう一度弟を抱きしめ、敵中へ飛び込む覚悟を決めた。




 出発の日までにウィリアムはフランシス国王から影の一部を借り、改めてアイヴィーの周辺情報を調べた。姫がヒルベニアから連れてきた者と、ブリタニアであてがった従者と護衛は総勢百余人。そのうちの三分の一ほどがアイヴィーと共に母国へ帰る。ブリタニアに残る者には侍女が含まれ、ヒルベニアの方針としては“道中ウィリアム卿に失礼があれば、この者の首をどうぞ”と言ったところだろう。


 出立の朝、ウィリアム子爵は厳しい表情で侯爵令嬢アイヴィーを迎えた。

「道中、私の婚約者を馬鹿にしたりなじるような発言があれば、私は即刻ブリタニアへ帰りますので、そのおつもりで」

 アイヴィーはウィリアムには微笑みを見せ、扇子の下では面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。


 ウィリアムはアイヴィーの侍女や己の従騎士と共に馬車に乗り込んだ。一行はこれからブリタニアを北上し、船で隣国ヒルベニアへ渡る。

「こころよいお返事をいただけて、わたくしとっても嬉しかったですわ」

 アイヴィーはにこやかに話しかけるが、ウィリアムの視線は窓の外へ向けられている。彼が見つめる先には、かつて世界樹を支えた古代遺跡の石の土台が見えていた。

「アイヴィー様は、世界樹崩壊後の世代でしたね」

 赤毛の姫は無視とも取れる話題の切り替えにムッとしたが、ウィリアムから話しかけられたことを気に入って微笑んだ。

「ええ、当時まだ三つですから。歴史として習いましたが覚えてはおりません」

「世界樹の崩壊に関わったのが私だと言うこともご存知で?」

「ええ、ざっとですが」

 ウィリアムの視線が己へ向けられると、アイヴィーは満足そうに目を細めた。

(色は変わってしまったけれど、やはり美しい瞳だわ)

「では、世界樹を大罪人と同じ馬車にいると言う自覚はおありですか?」

 アイヴィーは耳を疑い、目を見張った。

「……何をおっしゃるの?」

「少なくとも魔法使いにとって、私はそう言われても仕方のない男です」

「で、ですがウィリアム様は元は円卓の……」

「あなたのお父上も、何故俺に目をつけたのでしょうね? 少しでも奇跡に詳しければ私が元魔法使いの魔術師たちに狙われていると、容易たやすく知れたはずです」

 ウィリアムは罪人という言葉を使って、アイヴィーがこのまま自分と婚約者になろうものなら、そちらの家が不利になると示した。アイヴィーもこれにはさすがに動揺して目を泳がせる。

「お、お父様はウィリアム卿のことを悪くお言いになりませんでしたわ……」

「本当に? 一切? 暗炎、とも?」

 答えに迷ったアイヴィーは視線を逸らした。

(暗炎を軽蔑するようなことは言ったんだな)

「その……婿として招くには十分なだと」

 侯爵家にとってウィリアムは条件がいい男の一人と言うだけ。暗炎であると言う部分を理解して血族に招いているとは言い難い。

「そう、条件がいいだけです。侯爵家そちらにとって。しかし侯爵家ともあればお抱えの魔術師くらいいるでしょう。彼らはこうは言いませんでしたか? 暗炎は罪の子だと」

 アイヴィーは何か気に障ったのか、眉間にシワを寄せた。

「私を悪く言う者が一人や二人いたはずですが」

「そんな者、おりません。第一、ヒルベニア旧王家の侯爵令嬢であるわたくしに直接口を利こうものならとうに首をねております」

 今度はウィリアムが眉根を寄せる番だった。

「魔術師と直接話をしたことがないと?」

「ございません。あんな怪しい術を使う下賤げせんな者ども、誰が口を利くと?」

(これは……意外だった。てっきり彼女は俺に関するウワサを全て耳に入れているかと)

「しかしアイヴィー様は、秘術のようなことを行いました。あれの仕掛けに魔術師は関わっていないのですか?」

 アイヴィーは何だそのことか、と咳払いをした。

「確かに、そう言う品を用意したのは我が家の魔術師ですわ」

(品。なるほど、魔法の道具なのか……)

「ですが、あくまで用意をさせただけですし、使い方を教えてくださったのは父です。が直接わたくしに口を利いたことはありません」

「……そうでしたか」

(女魔術師か、魔女か……)




 ウィリアムたち旅の一行は、アイヴィー嬢のワガママのおかげで急ぐよりも快適さに重きを置いた宿泊を繰り返し、五日もかけてブリタニア西の港へ向かった。

(行軍なら二、三日の距離なのに……)

 アイヴィー嬢はヒルベニアから来た時もこうしてゆっくり旅をしてきたようだ。立ち寄った家や宿では“またあの娘か”という視線が集まったが、民は連れにウィリアムがいるとわかると宰相さま宰相さまと懐かれた。

 ウィリアムは彼らに、己はもう宰相ではなくただの子爵だと説明したが、国民は平民の登用をしてくれたウィリアムには恩義があると進んで世話を焼いてくれた。

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【長編】円卓の暗炎(第一部完結済み) ふろたん/月海 香 @Furotan

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