第22話 暗炎の故郷へ⑤

 あの穏やかで優しいギネヴァ王妃とは似ても似つかない、髪と同じ金毛を口元にたっぷり蓄えた気難しい男。

 ブリタニア王国の頭脳ウィリアムはこのローレンス公爵が苦手だった。いかにも威張り散らし、権力を振りかざす貴族らしい貴族の男。

 フランシスが即位して間もない頃、まだ彼の従騎士だったウィリアムは目が合うなり鼻で笑われたのだ。それ以降、ただただ苦手である。

「ローレンス公爵閣下におかれましては、本日もご機嫌麗しく」

 ウィリアムが淡々と挨拶をしてもローレンス公爵の注意はアビーに向いていた。

(彼女までいじめられたらたまらん)

 ウィリアムはさっとアビーを背に隠した。マント越しにアビーに手を差し出すと彼女は小さな手できゅっと握り返してくれた。それだけのことでウィリアムは心から安心できる。

「夜会での噂は耳にしておる」

(私をめぐる騒動は知っていらっしゃると)

「左様で」

「そのチンケな小娘のどこがいいやら」

ローレンス公爵はフンと鼻を鳴らす。

(ああ、また始まった)

 ウィリアムはローレンス公爵のありがたい小言が始まる前にせきを挟む。

「書状もなく登城いたしましたこと、大変申し訳ございません。そもそも寄るつもりがなかったものですから。陛下へご報告を差し上げたいので、紙とインクをお借りできればすぐに退散いたします」

 ウィリアムが用件だけ申し上げるとローレンス公爵はフイと視線をそらした。気まずくなると彼は大体こうやってそっぽを向く。

「ああもう、見ていられません」

 口を挟んだのはこの城の家令見習い。家令の息子であり、年はローレンス公爵と近い壮年の男だ。公爵とは乳兄弟だと聞く。

「申し訳ございませんウィリアム卿。今日こそ素直に話すかと思ったのですが、もう本人がこれではどうにもならないので私から申し上げます」

「何でしょう」

 家令見習いはローレンスをチラッと見てからオホンと咳払いをした。

「このタイミングで申し上げるのが一番だと思いますので。実はローレンス様もウィリアム卿を娘婿にと望んでいた一人でございます」

「………………は?」

 ウィリアムは耳を疑った。出会い頭に小言を浴びせてくるローレンスが自分を娘婿に望んでいた?

「……は、ハハハ」

さすがに冗談だと思ってローレンス公爵を見るも、彼はそっぽを向いたまま。何も言わない、否定もしない。

「……ご冗談が上手でいらっしゃる」

「本当でございます。ギネヴァお嬢様、いえ王妃陛下を王城で盛大にお披露目いたしましたのも、年が同じウィリアム卿に気に入っていただければと考えたゆえの行動でして……」

 ウィリアムは唖然あぜんとして思わずアビーに振り向いてしまった。

 アビーと一緒にローレンス公爵に視線を戻すと、公爵閣下はフンと鼻を鳴らす。

「ギネヴァめ、円卓の小僧でも落とす相手が違うわい」

 どうやら本当のことらしい。しかしそれなら、この七年浴びせられた小言は何だったのか。

「……ギネヴァ陛下はそれこそ女神のように素晴らしいお方ですが、私では不釣り合いでしたでしょう」

ローレンス公爵はむっすりしたままだ。

 わからない。最後の円卓の騎士としてチヤホヤされている自覚はあるものの、娘婿にと望む男たちは果たして本当に暗炎の男を望んでいたのか?

「……私が暗炎だとわかっていて娘婿に望まれたので?」

「見目の違いなど些細ささいなことだ」

 ローレンスが素直に答えるものだから、ウィリアムは目を丸くした。

(だが、しかし。そうか)

 ウィリアムはアビーと一緒に暮らし始めて、旅をしてみて薄々気付いたことがある。

暗炎は人間とは体の作りが異なる。

人間は魔力を失っても具合が悪くなったりしない。ただ力を失うだけ。しかしウィリアムは違った。魔力が枯渇して息が止まるところだったのだ。

(ああ、髪の色と目の色が違うくらいにしか思ってないから血縁になんて思うんだろうな)

「……ここ最近気付いたことなのですが、やはり暗炎は差別されるだけの要因があったと思います」

 ウィリアム自ら言い出すと周囲はどよめく。

「ローレンス様はそのようなおつもりは……! 確かに誤解されるような言動はしていらっしゃいますが、心の底ではウィリアム卿を大変に可愛がっていて……」

「そうではなく。暗炎は厳密には人間と異なるようです。見た目こそヒトに近いですが。……ね?」

 背後から出てきたアビーに問いかけると、竜の娘はすぐうなずいた。

「暗炎はヒトよりも我ら竜に近い」

「だそうです。私も何となく、自覚してきました。人間と似ているけれど私たちは人間ではない。そりゃあ、恐ろしくて排除もしたがるでしょう。無理もない」

ウィリアムの言葉で周りはシンとしてしまった。

「よかったです、安易に人間と結婚しなくて。お相手とご家族が可哀想だ」

ウィリアムは仕事用の笑顔を貼り付けた。


 ウィリアムは借りた紙とインクでフランシス国王宛てに手紙をしたためた。アイヴィー嬢の手段が周囲を巻き込み血を見せるようなものであること、体調が安定してきたこと。美味しいチーズを作る羊飼いの夫婦に出会ったこと。

(一度いらないと言ってしまった褒美の話をしようか……? 自然豊かな領地があれば私も倒れなくて済むし、フランクたちが通えるような場所ならいつでも会いに行ける)

 ウィリアムが悩んでいるとアビーがとなりから顔をのぞき込んできた。彼が微笑みを返して頬杖をつくと、彼女は瞬きをする。

「なに考えてる?」

「陛下にもう一度ご褒美をおねだりしてみようかな、と」

「それがいい。ビリーはたくさん働いたのだろう? 王が礼をするというならもらえ」

「そうします」

 ウィリアムは、以前断った褒美の代わりにフランクに跡を継がせて隠居したいと書き加えた。


 今なら苦手だったローレンス公爵と素直に話せる。

 ウィリアムは単身、彼の執務室を訪ねてベンジャミン公爵から命令を受けた令息ウォルトとオーガスト伯爵の不始末で寄越されたハンス、アイヴィー嬢のせいで命を失うところだったジェレミー&ロブ&リンジーの事情を全て話した。

「あの小娘、やはりワガママに育ったか」

「アイヴィー嬢をご存知で?」

「旧王家同士、などというふざけた集まりがあってな。その時に」

遠く離れていようが高貴な家同士付き合いは必須らしい。気苦労をするのは貴族の運命なのかもしれない。

「家長であるフランク伯爵から正式にお断りしているのですが、その後も申し込まれているようです」

「フン、そもそも貴卿がさっさと身を固めなかったのが原因だろうに」

「そこに関しては否定のしようもなく。ですがアビーがおりますし、今はもう」

ウィリアムが幸せそうに微笑むのでローレンスは面白くなかった。

「あのチンケな小娘に飽きたら我が家に来い。家督は息子が継ぐし、娘ならあと二人いる」

「まだそんなことをおっしゃる」

「私に二言はない」

 もはやローレンスはねた子供にしか見えなかった。ウィリアムはふっと笑って公爵に背を向ける。

「一泊していけ!」

「私の大事な友人たちの世話を頼みます」

 ウィリアムはそれだけ言って執務室を出て行った。

 ローレンスは面白くない、といつものように不貞腐ふてくされた。


 不測の事態が重なりすぎたので旅をやめて引き返しましょう、とウィリアムが提案するとウォルトたちはホッと胸を撫で下ろした。

 公爵家は警備も強い。安心して眠れるからと一泊の世話を頼み、一行は温かい食事と湯浴みにありついてゆっくり寝床へ向かった。


 ウォルトたちがすっかり気を抜いてくつろいだ頃、ウィリアムは真っ黒な旅の服をローレンス公爵が用意した身代わりに渡し、自分は公爵が用意した伝令のような旅服に着替えた。アビーも身代わりの少女へ服を差し出して、髪を隠して男装する。

 二人は自分たちの荷物だけを持って裏口へ向かった。

「使わせる地下道だが、一本道で迷うことはない。抜けたらだいぶ南へ出られる。大きな道に突き当たったらそのまま西へ。何日か走ればランズエンドへ着くだろう」

「ありがとうございます。このお礼はいつか」

 ローレンス公爵はまた面白くなさそうに鼻を鳴らし、右手を差し出した。

 ウィリアムはその手を見て……握り返すのではなく、両腕を広げた。

 ローレンスは目を見張って、一瞬迷い、ハグを返した。彼はウィリアムの背を大切に何度も撫でた。

「……生まれの違いなど些細ささいなことだ。重要なのは何をしたかだ」

 ウィリアムに言い聞かせるように呟いたローレンスは、体を離すとやや寂しげに視線を落とした。

「あんなチビガリが騎士になんぞなれるのかと笑ったものだが……大きくなった。あの一族が相手でなければ私が引き取ったものを」

 ウィリアムはああ、と息を漏らした。ここにもまた、ウィリアムの家族になれる人がいたのだと。

「ご迷惑でなければ、アイヴィー嬢のことをお任せしてもよろしいでしょうか?」

「頼まれずとももうやっておるわ」

ローレンスが不機嫌そうに鼻をフンと鳴らすので、ウィリアムは笑った。

「なるべく穏便にお願いします」

「あの手のワガママ娘は多少痛い目を見たほうがよい。余計なことは考えず自分の旅をしろ。そして土産話を私にするんだ。いいな?」

「はい。それを目標にします」

 名残りを惜しむように二人はもう一度ハグをした。公爵はそれからアビーを見下ろす。

「ウィリアム卿を悲しませたら許さんぞ」

「大丈夫だ。ビリーはあたしが守る」

「己をないがしろにして卿を泣かせるなと言っておるのだ!」

ローレンスはプン、と怒ってから真面目な顔になる。

「何かあったらその服に縫い込まれた我が公爵家の紋章を見せるのだぞ」

「ええ。使わないのが一番ですけれど」

 ウィリアムはアビーを馬に乗せて自分もまたがった。

「ウォルト様と皆さまをよろしくお願いします」

「朝からたらふく食わせて、時間を稼いでおいてやるとも」

「ありがとうございます」

 暗炎と竜の子がすぐに暗い地下道へ姿を消しても、ローレンス公爵はしばらくその場に留まって、二人を見送った。




 ウィリアムたちは二人きり、ローレンス公爵が示してくれた通り地下を通って明け方に広い街道へ出た。そのあとは追手を警戒しつつのんびり馬の背で揺られた。


「おいしーい」

 追手は来なかった。ウィリアムはすっかり気を緩めて森でったベリーと羊飼いのチーズ、持ってきた固いパンで腹を満たす。

「本当に森に住もうかな……」

 アビーはウィリアムが頬いっぱいに食べ物を詰め込む様子をとなりで見つめ、自分も森の木の実を口へ放り込む。

「王に森がある領地をもらえばいい」

「そうですね。自然豊かなところでのんびりしたいです。なんなら騎士もやめてしまって、自ら農作業する領主とかどうでしょう? 楽しそう」

「やめるのか?」

「本当は陛下にお仕えできるなら騎士でなくともいいのですが、臣下として役職、仕事に就くと宰相が一番おさまりがいいとそれだけの理由なのです」

「うーん?」

「フランシス様のもとで仕事をすると結局今の仕事になるんです」

「なるほど?」

 ウィリアムはたらふく食べて草原に寝転がった。そのとなりにアビーも寝そべり、二人は晴れているのか曇っているのかはっきりしない空を見上げる。

「……そう言えば、暗炎が王だったというのは?」

「竜の間で伝わる話だ。暗炎は昔、ヒトの王だった」

 アビーは朗読をするように物語を話し始めた。

「遠い日、大地が割れ、火が生まれた。生まれた火はその力で森や獣を焼いた。人は火を恐れた。だが人はその凄まじい力を欲し、おそれを超えて火と触れ合った。火は人も焼いたが、人は焼かれても手を伸ばした。その勇気を見た火は、人に自分たちの扱いを覚えさせた。人が火を使いこなせるようになった頃、火は明るい炎を人に渡して、暗い炎だけを使うようになった。暗炎の始まりだ」

 子供が聞いても大人が聞いても御伽話おとぎばなしの域から出ないような物語。それでも真剣に聞いてしまうのは語り手が竜だからだろうか。

「火を覚えた人は暗炎と共に王国を築いた。人と火、どちらも王だった。しかしいつからか人は、火を扱えることを神からの贈り物だと、一人でに授かっただと勘違いをして暗い炎を追い出した。火はまた岩や森に戻った」

 アビーの金の瞳に紫色の炎がチラリと映る。

「暗炎はいつか大地へかえる。我々と同じく、永い時を星の内側で過ごす」

彼女が口にすると本当にその通りになると思えてしまう、不思議な説得力があった。

「あたしはこれからもビリーと一緒にいる」




 ウィリアムはパッと起き上がった。

 目の前に広がっているのは岩場と崖、水飛沫みずしぶきが上がる海辺。

ここが現実なのか夢なのかもわからない。一緒にいたはずのアビーもいない。

「……島の果てランズエンド……」

 ウィリアムは、故郷へ帰ってきた。

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