第13話 ヒルベニア東国王女の事情

 アイヴィーは侯爵令嬢だ。しかし生家はその昔、ヒルベニア島が四つの王国だったころ東岸を支配していた一つの王国だった。

ヒルベニアが一人の国王に支配されようと彼女は由緒正しい姫君。

ただ、立派な家でも家督の危機はある。


 アイヴィーの大叔父おおおじである前侯爵は一度目の直系男児断絶の危機を身をもって知っている。

 彼は文字通り前々侯爵、アイヴィーの父、の叔父おじであり、本来なら家督とは無縁だった。

 父と母の間には娘であるアイヴィーしか生まれず、母は産後の肥立ひだちが悪く若くして死去、継承権が叔父おじに移った。

 老いて家督を継いだ大叔父おおおじには息子が一人おり、危機は一度去った。しかし侯爵を新しく継いだ父の従兄弟いとこにあたる男にも、男児が生まれなかったのである。

 これ以上血が薄まってはいけない、と本来なら家督をげない直系長女へ話が舞い込んだ。アイヴィーは女だからと退しりぞけられた継承権を一時的にとは言え取り戻し、優秀な男を婿にしてヒルベリア東岸旧王家の血を存続させなければならない。


 元々、彼女は時代が違えば王女だった娘。継承権の話が絡まずとも彼女が望めばドレスも宝石も美しい少年も買い与えられた。だからアイヴィーは欲しいものなら口に出せば手に入るのだと勘違いして育った。

 やがて継承権問題が彼女に舞い込む。優秀な男を血族に招き入れ男児を生み、旧王家の威厳プライドを取り戻さねばならない娘は気楽に構えていた。

(だって、欲しい物は男も服も宝石も、手に入るもの)


 ウィリアム卿が倒れた年の二年前。留学という建前で隣国ブリタニアへ渡った十六歳のアイヴィーは、すでに家臣が見つけていた優秀な男の顔を見に行った。

 ブリタニアの国王フランシスの寵愛ちょうあいを受ける最後の円卓の騎士ウィリアム卿。

 現宰相、聖剣の使い手。オリヴァー子爵の生家、伯爵家へ養子として入ったの男爵。

 家督はオリヴァーの弟フランクが成人して継いだため、継承権問題で立場が揺れることはない。暗炎の一族というはあるものの、これだけ好条件が揃った男はほかにいない。

(髪が紫の炎で燃え上がっているんですっけ? どんな恐ろしい魔物やら)

 暗炎への偏見へんけんと差別があった彼女は遠目にウィリアム卿を一目見てその認識を変えた。変わらざるを得なかった!

 上背うわぜいがあり、顔は雄々しくも整っている。乙女に微笑まないことから無骨ぶこつと称されようともその流し目は何とも美しい。恐ろしいと噂される燃え上がる紺色の髪も、たまにふわりと紫色の炎を立ち上らせると遠目でも目立った。

(欲しい)

 アイヴィーは生まれて初めて自分から欲しいと思うものに出会った。あの紫色に燃え上がる紺の髪も、左右で色が違う美しい瞳も、低い声も上品な仕草も全て欲しい。

 少しでも印象よく近付いて、彼から声をかけられるようになりたい。


 その晩の夜会。アイヴィーが秘めた期待と共に夜会でフランシス国王へ挨拶をし、ファーストダンスを是非にとウィリアムへ申し出ようとした時だ。

 ウィリアム卿はアイヴィーを差別的な冷たい瞳で見下ろし、さっと身を引いて義弟おとうとのフランク伯爵へダンスを譲ってしまった。


 ガツン、と頭を角材で殴られたような気分だった。


(ど、どうして? わたくしはヒルベニア旧王家の姫よ? ダンスをさりげなく断られるなんてそんなこと……ありえないわ……!)

 アイヴィーはショックを隠しきれないままフランク伯爵と踊った。

 フランク伯爵はアイヴィーがダンスの最中も上の空でウィリアムばかり見ているので、ふっと吹き出した。

「ヒルベニアの姫君も義兄上あにうえを狙っておいででしたか」

 アイヴィーはハッとした。ダンス中の相手を放ってほかの男を見ていたなんて失礼にもほどがある。

「ち、違いますわフランク伯爵。あなたのような素敵な方と踊れるのが夢のようで……」

「いいですよ隠さなくて」

 フランク伯爵は表面上はニコニコとしている。

「多いんですよ、アイヴィー様のような方は」

ウィリアムは男児断絶の危機におちいっている貴族の家系にはもってこいの好条件。

(わたくしだけではなく既に国内で彼をめぐって対立が起きているのね)

 アイヴィーは旧王家の姫、色づいただけの生娘きむすめではない。政治に関しては自分の頭で考えられる。

「……ほかにはどのようなお方が?」

 どの家がどう言う事情でウィリアムを狙っているのかと聞いても、フランク伯爵は微笑みを返すだけ。

(女子供だから政治が理解できないと、馬鹿にしているわね?)

 アイヴィーがじりっとにらんでもフランク伯爵は気に留めずダンスを終える。

 フランク伯爵に社交辞令で褒められたあと、ブリタニアの名も知らぬ貴族にダンスを申し込まれたアイヴィーはこそりとその男に話しかけた。

「ねえ、わたくしをどう思います?」

 アイヴィーには自信があった。顔や声を含めた容姿に身分も申し分ない。こんな尊い娘の申し出を断る男がいるだろうか?

「とても素敵なお方だと存じております」

「まあ、嬉しいわ」

 もちろんそうだろう、と彼女は自信を取り戻した。例えリップサービスだとしても旧王家の姫君であるアイヴィーに否を示す貴族などいるものか。是非を問えるとしたら各国の王族くらいだ。

(そうよね)

 アイヴィーは明日からもめげずにウィリアムへ声をかけようと考え直した。




 だがアイヴィーの想定は甘かった。ウィリアム卿は乙女の猫撫で声には全く反応しないどころか嫌悪感を出す。散歩に誘おうと観劇に誘おうと相手にしない。

 アイヴィーとウィリアムの仲は進展しないまま半年が過ぎてしまった。

(こ、ここまでとは……)

 普通の令嬢ならとうに折れているところだ。しかしアイヴィーには他家以上に譲れない事情がある。

(こうなったら家長であるフランク伯爵から落としてあげるわ)

 彼女は外堀から攻めようと作戦を変えた。


 アイヴィーは生家のヒルベニア旧王家侯爵家へ、“ウィリアム卿は想像以上に手強てごわいです。まずフランク伯爵と婚姻を結ばせてください”と書状を出す。

 返ってきた書状に快諾の手応えがあるとアイヴィーはフランク伯爵へ正式に書状が行ったのを確認してから、夜会で正式に挨拶。彼の婚約者として動き出した。

 義弟ぎていが婚約者なら義兄ぎけいとも絶対に顔を合わせるはず。アイヴィーは上手く立ち回れると思っていたが、フランク伯爵は義兄あにに群がる貴族子女たちの壁になることに慣れきっていた。

 フランクはアイヴィーの中に一つでも彼女自身の誠意があれば兄に会わせてもよいと思っていたが、アイヴィーは仮面をかぶることに慣れていて心の内は一切さらさなかった。


(うーん、今回もダメかな)

 フランクは一年半かけてアイヴィー嬢と付き合った。しかし猫を被り続けるアイヴィー本人より先に旧王家あちらしびれを切らしたのか、“もうお前でいい。こちらの家督も譲る”と言わんばかりに結婚の日取りを決めようと打診してきた。

(アイヴィー嬢はまだ義兄上あにうえにこだわってるんだよなぁ……)




 そうしてウィリアムと事情を抱えた令嬢たちの前に現れたのが竜の娘アビーだった。

 フランク伯爵は、義兄あにの伴侶は彼女だと確信したし、アイヴィー嬢もそれを何となく感じ取ったのだろう。


 次にお茶会をした時、アイヴィー嬢の美しい紫色の瞳は暗く沈んでいた。

(ああ、彼女なりに本気だったんだろうなぁ……。でもごめんね、義兄にいさんに運命の人がいるなら、俺はそちらを優先するよ。彼は苦労し過ぎた。幸せになって欲しい)

「アイヴィー様、この契約はもう終わりにしませんか?」

 家長から断れば女から断るよりは外聞は悪くない。アイヴィーも今日のこの瞬間が想像できていたのか小さくうなずく。

「この二年、徒労とろうに終わりましたわ」

「そんなことはございませんよ。ヒルベニア東部旧王家の姫君なら引く手数多あまたですから、諦めずに」

「ええ。わたくし、諦めきれないんですの」

 やがて持ち上がったアイヴィーの瞳には闘志が宿っていた。

(おっと?)

「わたくし、現実を甘く見ておりましたわ。周りが融通ゆうずうを利かせてくれるはずだとどこかで期待しておりましたの」

「そうですか」

 圧倒されたフランクが目を丸くしたまま答えると、アイヴィーは立ち上がった。微笑みの仮面をつけていない十八歳のアイヴィーは、まがうことなく歴史ある王女の風格だった。

「今度こそ、ウィリアム様へ婚約を申し出ます。兄に嫁を取られたと恨まないでくださいまし」

 アイヴィーはかかとを鳴らして去っていった。


 取り残されたフランクはふうんと頬杖をついた。

「残念だけど俺は許可しませんよ。義兄にいさんがやっと掴めそうな幸せなんですから」

 フランクの黒い笑みは誰にも知られることなく冬の空気に溶けていった。

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