第11話 竜の娘と貴族社会 前編

 ウィリアムが倒れてから二十日目。

 いい大人であり立派な騎士であるはずの彼は、ブリタニア王国の砦からやや離れた森の中で犬猫のように日光を浴びていた。顔に直射日光が当たらないように木陰を利用しつつ、体が痛くならないようにとあつらえられた干し草のベッドの上で目をつむっている。

 木々の香りを浴びているウィリアムの周囲は王国の騎士たちが守りを固めており、アビーはむさくるしいオスどもに囲まれながらくぁ、とあくびをした。

「ビリーとあたしだけでいいのに……」

「彼らも仕事ですので……」

 ウィリアムの声はまだ弱々しいものの、食欲はだいぶ戻ってきていた。

「そう言えば、傭兵時代は時々無性に果物が食べたくて、自分で森の中を探索していました」

「そりゃあそうでしょ。そのはずだよ」

「必要だから自分でっていたんですね」

「そのよーへいの時はあちこち歩き回ってたんでしょ? 森の中も川の中も」

「ええ、まあ」

「それなら周りの土や木から魔力を補充できてたはずだよ」

「なるほど」

 暗炎の一族は人よりも竜に近い。自然の魔力マナを吸収できなければ当然弱る。その話をアビーから聞いた時はにわかには信じられなかったが、過去の行動を思い出すと己は本能的に定住をこばんでいたらしい。

「何がどうして、わからないものですね」

 アビーは不満げにフンと鼻を鳴らしてウィリアムの胸の上に頭を置いた。

 ウィリアムはこの行為がどれほど親密な男女なら許されるのか理解した上で、こばむ気が起きなくて困っていた。

「あの、ちょっと近すぎます」

「魔力カラカラの人が文句言わない」

彼女にそれを言われてしまうと何も言い返せなくなる。王国を訪れてからのアビーは自分の魔力をウィリアムに与え続けている。看病のうちだ、とアビーが強く言えばウィリアム本人も周囲も口答えすらできない。

「看病だとはわかっているのですが、人間の事情もんでください」

「黙って」

 ウィリアムはこれ以上竜の子の機嫌が悪くならないよう、口を結んだ。




 突然現れた竜の子というだけでも目を引くアビーは、ウィリアムとつがいになると信じて疑わずに彼の体に遠慮なく触る日々を送っていた。

 周囲の騎士たちも目に余ったのか、ついそのことをポロッと誰かに漏らしてしまい、そのせいで貴族の令嬢たちは青ざめたり失神したり憤慨したり、目を回したりと大いに騒いだ。

 なぜに、足を丸出しにする野蛮な女が? という言葉をのどにつかえさせたまま、令嬢たちは冷ややかな目をアビーに送り続けた。

 アビー自身は彼女らの視線を気にしていなかった。やはりウィリアムの妻は自分だと信じて疑わなかったからだし、令嬢が向ける視線が牽制けんせいの一つだと知らなかったからだ。


 アビーの看病の甲斐もあり、ウィリアムは一ヶ月も経つ頃には自力で起き上がって歩き回れるようになっていた。しかし、体に上手く力が入らず以前のようにシャキシャキとは動けない。ゆっくり書類仕事をしつつ、疲れたら緑や花に囲まれながら朝だろうが昼だろうが眠る日々を過ごした。




 アビーがとうとう令嬢から明白に嫌がらせをされるようになったのは、その二日後だった。

 アビーは夜会でワイングラスの中身を己に浴びせたブリタニア国内の伯爵令嬢ライラを唖然あぜんと見つめる。

「突然現れて、生意気なのよ!」

 当然その場にウィリアムも宰相として同席しており、彼も突然のことに驚いて目をいた。

「な……ええ?」

いくら権力が欲しくてもこうあからさまなのは賢くない。

 ウィリアムは金髪の令嬢の奇行へ驚きを隠せないまま二人へ近寄り、無意識に妻と認めている竜の娘をかばう。

「申し訳ございません。この者は市井しせいで暮らしたことがなく色々と物を知らず……」

ウィリアム自ら盾になるとライラはよりきつい視線でアビーをにらみつける。

「どうせ魔術か何かでウィリアム卿をたぶらかしたのでしょう!?」

「ご令嬢!」

 ウィリアム本人と周囲の騎士により物言いをとがめられたライラは、最後までアビーをめつけてその場を立ち去った。その後を彼女の父、オーガスト伯爵が追う。オーガストは立ち去る前に一瞬、謝罪の色を顔に浮かべてウィリアムを振り返った。

「……すまない」

 去った二人から視線を外してウィリアムが謝るとアビーは首をかしげる。

「悪いのはあの子なのに、なんでビリーが謝るの?」

「彼女の代わりに謝ろうと」

「“代わりに謝る”? よくわからない」

 アビーは首をひねりながらウィリアムの腕に己の腕を絡めた。その行為がこの場にいるほかの令嬢たちをもあおることになるとは知らずに。

 令嬢たちの中でも特に、隣国ヒルベニアから訪れている侯爵家の令嬢アイヴィーは、二人の様子を湿度の高い視線で見つめた。

「いいからビリーは座りなよ」

「それより君は着替えないと……。そのままでは風邪を引きます」

 令嬢たちはウィリアムが、姪のような存在のウィレミナ王女以外には事務的に返事をする彼が、自然にタオルを手に取りアビーの頭を拭く様子を見てある者はさらに嫉妬を深くしたし、ある者は一瞬でウィリアムへの興味をなくした。


 ウィリアム当人以外は、彼がアビーに気を張ったり事務的な返しをしないことから気を許しているのだと感じ取っていた。

 アビーはウィリアムの回復のためと称してよく森へ共に果物を取りに向かい、今でいうピクニックを連日のように行なった。

 そのおかげもあってウィリアムは本来の頑健がんけんさを順調に取り戻し、彼が倒れてから二ヶ月近く経つ頃には森で取ってきた果物を知り合いに配り歩けるほどになった。

 アビーへの嫌がらせは伯爵令嬢ライラを筆頭に陰湿いんしつさを増しており、アビーは持ち前の俊敏しゅんびんさで様々な嫌がらせをかわしていた。




 今朝もウィリアムは花と干し草と緑の寝床で目を覚ました。アビーはウィリアムの頭を抱え込んですやすやと眠っている。

(……いい加減看病と称してくっ付いているのはダメだろうな……)

 ウィリアムは彼女との関係性や立場をはっきりさせなければと思いながらも、人間より少し低い体温に移った己の温もりが名残惜しくて、その胸に頭をすり寄せる。

(もうちょっとだけ……)

 毎朝の体調を聞きにくるようになった義弟フランクが部屋を訪れても二人はまだ眠りの園にいた。

「……義兄にいさんがこんなにぐっすり眠ってるの、家以外で初めて見ますよ」

 フランクは後から来たウィリアムの従騎士にそう言って肩をすくめた。


 義弟の気遣いで日が出てもしばらく眠っていたウィリアムはアビーを連れて謁見えっけんの間へと顔を出した。

 宰相代理として仕事をしているフランク伯爵の斜め後ろにそっと控えたウィリアムは、左腕でマントを広げて外国の使者たちの視線からアビーを守る。

 使者たちはチラチラッとアビーのほうを見ながら退場した。

「陛下、ご休憩を」

 フランクの気遣いによってやっと玉座から立ち上がったフランシス国王は、さりげなく控えていたウィリアムとアビーの姿を見て微笑んだ。

「体の調子は?」

「かなり戻りました。休養のことでお話が……」

「ああ、丁度その話題で私からも話があります」


 フランシスは現宰相と宰相補佐、竜の娘を連れて王城の長い廊下を進む。

「ウィリアム、やはり長期休暇を取るべきです。君はよく働いてくれるのにろくに褒美も渡せていませんし、森の近くへ別荘でも建てては?」

 ウィリアムは本格的な長期休暇が取れればいいと思っていた程度で、国王からの助言は想像を超えていた。

「陛下、さすがに別荘までは……」

「べっそうって?」

「アビー、今は黙って」

 アビーはムッとしつつもウィリアムの袖を掴んだままついていく。

「いいんじゃないですか? 義兄上あにうえは褒美を金や銀でいただいても、鎧や屋敷の修繕に充ててしまって手元にろくに残っていませんし」

「やはり。ウィリアム、雇用を生むのはいいことですがそれでは褒美になりません。もっと好きな物を買ってください」

「そうは申しましても屋敷一軒ともなるとさすがに額が……」

「国庫はそんなに貧弱ではありませんよ」

「そんな。民の血税ですし」

「彼らも喜ぶでしょう。君は民から自分がどれだけ好かれているか正しく把握したほうがいい」

「ちょ、長期休暇だけで十分です」

 なかなか折れないウィリアムににっこりと微笑んだフランシスはアビーへと振り向く。ウィリアムは嫌な予感がして口の端を引きつらせる。

「アビー、ウィリアムと一緒に住める緑豊かな家があったら嬉しいですよね?」

「切った石の家じゃない?」

「もちろん。土でも粘土でも好きなように組み立てられます。欲しいでしょう?」

「アビー待っ」

「うん! 欲しい」

 国王に差し出された物を気軽に欲しいと言えば、口約束とは言え下賜かしを受けたも同然ということをアビーは知らない。

 ウィリアムはやられた、とフランシスを苦々しく見つめる。

「陛下!」

 休憩室前へ着いたフランシスは部下二人に振り向いてにっこりと笑う。

「宰相代理は引き続きフランク伯爵が担当を。現宰相ウィリアムには最低半年の休養を言い渡します。別荘は好きなように注文をつけて建て、組み上がり次第移り住むように」




「寝床は土がき出しで花が植えてあるといい」

 翌朝からアビーは頭をかかえるウィリアムのとなりで建築家に要望を出していた。

土間どまだと特に冬の時期は部屋が冷えて凍えますよ?」

「干し草で巣を作るし……」

「土間の一角に石畳を敷いてその上に寝床ではいけませんか?」

「すぐそばに花が生えるならそれでもいいよ」

 家は竜であるアビーが住んでもウィリアムが住んでも都合がよいものがよい。普通の屋敷を建てるのとはまた違った仕様になるのが見えていて、建築家と弟子たちは大いに首をひねった。

「先生、いっそ花園を作る要領で図面を引きませんか?」

「かえん? って?」

「王城の中にもございます。花がたくさん咲いている場所です」

「あー、うん! いいね!」

 アビーは色とりどりの花を集めた花園を思い出しにんまりした。

「あそこは土が綺麗だったよ」

「ウィリアム様のご要望は……」

 建築家の弟子に視線を振られたウィリアムは首を振って口を挟まない旨を伝える。

「え、でもウィリアム様のお屋敷なのに……」

「彼女が満足すれば特に気にしません」

(どうせ一時的にしか住みませんし)

 花園のようになれば住まなくなったあと民に解放すればいいという考えでいたウィリアムは、この時の自分を殴りたくなるほど後で後悔する。


 アビーの要望を最大限詰め込んだ屋敷は建つまでに二年ほどかかるらしい。その間ウィリアムはアビーと一緒に生家である伯爵邸へと一旦帰還した。

 ウィリアムが久しぶりに見た育ての母ローズは、髪が真っ白になっていた。

(こんな歳だったっけ)

「ただいま戻りました、義母上ははうえ

「お帰りなさいビリー! あら」

 前伯爵夫人ローズは竜の娘を見てにこっと微笑む。

「可愛らしいお客様ね」

「以前助けた竜の子でアビーと申します」

「あらあの子! まあまあ、いらっしゃい」

 アビーは仕立てのよいドレスを着たローズを見て、何となしに貴族の女性だと気付くが、夜会でいじめてくる令嬢たちとはまとう雰囲気が違うため戸惑った顔でウィリアムを見上げた。

「私の育ての母ローズです」

「母君?」

「そうです」

 アビーはウィリアムの母と聞いて、令嬢との違いに納得したのかうなずく。

「ビリーを育ててくれてありがとう」

「まあ。ほほほ」

 その一言でローズはすっかりアビーを気に入って、こころよく屋敷へと招き入れた。


 ローズとアビーはウィリアムが嫉妬するほどに打ち解け、滞在初日から早速義母ローズがドレスの着方をアビーに教えていた。

「母君ー、人間の服窮屈きゅうくつだよー」

「ドレスを着て靴を履いていないと、あなたの隣を歩いているビリーもバカにされてしまいます」

「むー、仕方ないなー」

 これまで素足で過ごしていたアビーはウィリアムの母の言いつけだからとウエストを紐で締め上げるドレスを着てサンダルを履き始めた。靴自体に抵抗がなくなったら次は令嬢たちが履くような革のパンプスに慣れる計画だそうだ。

「なんで足の裏を隠すの?」

「素足で石を踏むと痛いからですよ」

「そんなの慣れればいいのに……」

 ウィリアムは義母ははローズとアビーのやり取りを横目に途中まで読んでいた本に目を通していた。

義母上ははうえに懐いてくれてよかった。しかし、竜であるからには基本人とは相容れない。どうにか……)

「ビリー」

 ウィリアムが本から顔を上げると老いた義母ははの顔が近くにあった。

「のんきですこと。あの娘を伴侶とするなら人の社会の教育もさせねばですよ? 当事者なのに見学しているつもりですか?」

 ウィリアムは己の耳を疑った。

「……伴侶?」

「竜は己の伴侶となる存在を一目で見抜くそうです。アビーが申しておりました」

「ああ、それですか」

 ウィリアムは母をソファへ誘うと声を落とす。

つがいだとか夫婦だとか……行く先々で似たことを言うのです彼女は。本気にしないでください」

「まあ。あの子はその気だと言うのに、お断りするの?」

 ウィリアムはつま先をいじっているアビーを盗み見て母に視線を戻す。

「竜の機嫌を損ねないために表立って否定していないだけです」

「まあ、なんて鈍感なのかしらこの子は。母はそんな機微きびうとい子に育てた覚えはありませんよ」

 義母は何を言っているのだろう? ウィリアムが目を丸くしているとローズはくすりと微笑んで席を立つ。

「暗炎の一族だから血縁は作らないなんて悲しいこと、二度と言わないでちょうだいね」

 フランクが成人した二年前、このままでは弟が嫁を迎えられないから早く妻を取れと義母ははも周囲もうながした。ウィリアムは暗炎の一族。己の子が古い奇跡を受け継ぐことは目に見えていたので生涯結婚する気はなかった。それをそのまま口にすると、義母ははは呆れ、義弟おとうとは「じゃあ義兄にいさんが結婚するまで俺もしない」と半分意地を張り、半分からかったのだ。

 ウィリアムは溜め息をついて頭を抱えた。

(周りが暗炎の一族を認めたなんて表面上だけだ。実際に差別がなくなった訳じゃない。自分の子供に同じ思いをさせてたまるか……)

 ウィリアムは淑女しゅくじょの歩き方を教わるアビーと、嬉しそうに息子の未来の嫁を見守る義母ははの様子を見てもう一度溜め息をついた。

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