第二部 円卓の暗炎と岩竜の子

第一幕

第10話 暗炎、倒れる

 今でこそ、ブリタニア王国にてウィリアム卿を知らぬ者はいない。彼は様々な出来事を経て、身を隠した暗炎の子からフランシス国王を支える宰相にまでのぼり詰めた成功者。元々の貴族たちから見れば鼻つまみ者であると同時に、隠れた暴君であった前王を退けてくれたフランシス国王陛下の寵愛ちょうあいを一心に受ける者。


 雪が深々と積もる王城での新年会にて。

 二十五歳となったウィリアム卿は国内外の貴族に囲まれる中、フランシス国王とブリタニア東部、公爵家出身のギネヴァ王妃との間に生まれた第一子、六歳となったウィレミナ王女のファーストダンスの相手に選ばれた。

 ウィリアム卿からすれば兄のように慕うフランシス国王の娘、姪のようなもの。ウィレミナ王女はウィリアム卿との圧倒的な身長差を補うために、彼の足に自分の足を置いてダンスもどきの足踏みを得意げに披露する。大人たちから見れば可愛らしさが増すばかりの仕草だった。

 ファーストダンスを無事に披露したウィレミナ王女は来賓らいひんにお辞儀をし、国王夫妻のとなりにあつらえた己の席へと戻った。


 ウィリアム卿は周囲の貴族子女たちから飛んでくる視線をかわすためお辞儀をすると、王女同様早々に国王の斜め後ろへと下がった。

「……そうあからさまに避けると令嬢たちが傷つきますよ」

 民に笑顔を向けたままフランシスがそんなことを言うので、ウィリアムはフンと鼻を鳴らす。

「ウィレミナ王女殿下のように邪気や下心がなければ、多少相手をしてもいいのですが」

「君の警戒心の強さはまだほぐれませんね」

 ウィリアムはすぐそばにいる王にも聞こえないように溜め息をついた。

 そもそも二年前、義弟であるフランクが十八歳となり伯爵位を継いだ時点で、ウィリアムは宰相の座も含めた己の立ち位置にフランクを置いてさっさと国政から退くつもりでいた。それをフランシスにより「君がいないと私がダメになるんです」とほだされたせいで未だにここにいる。

 ウィリアムが広間をチラリと見渡すと、彼に熱い視線を飛ばす令嬢たちの向こうにいるフランク伯爵が、元円卓の騎士たち相手に雑談を繰り広げている光景が目に入る。

 実の兄オリヴァーの年と背丈をゆうに越した金髪緑眼のフランクは、義兄の視線に気づくとパッと笑顔になってこちらへ手を振った。

(全く……)

 去年の節目にもウィリアムはフランクを宰相にと推薦したのだが、フランク自身も周囲も首を縦に振らないためにウィリアムは悶々もんもんとしていた。

 ウィリアムはあくまで恩人のフランシスを支えるため、幼いフランクが成人するまでの補佐として一時的に男爵位を授かったに過ぎない。

(それなのに、貴族の令嬢らは宰相という地位にいて若い男だからと色目を使ってくる。その父親たちも娘が宰相夫人となれば影で権力を持てるからと黙認。反吐が出る)

 ウィリアムはさっさと表舞台から消え去って育ての母ローズがいるオリヴァーの生家へ戻りたいのだ。

(秋になればまた人事異動があるし、その時に再びフランクをそう。いや、宰相になるしかない状況に追い込もうか)

 ウィリアムが険しい表情をしていると、椅子に座っていたはずのウィレミナ王女が足元から彼を見上げていた。

「はい、殿下」

 ご用命でしょうか? とウィリアムが聞くとウィレミナ王女はいつものように抱っこをしてほしいと腕を伸ばした。ウィリアムがチラリとフランシスへ視線を送るも、フランシスはまるで気付いていない振りをして娘の相手をするように暗にうながす。

 ウィリアムは貴族令嬢らの相手をしなくて済むと、喜んで王女を抱き上げた。

「ウィリアム様は、ご結婚なさらないの?」

 王の椅子からさらに一歩下がり、カーテンの近くへ逃げたウィリアムへ幼い王女からその話題が出てしまえば、もう逃げ場はなかった。

「私には……忘れられない方がいるのです」

幼い王女はまあ、と花のつぼみのような両手で口元をおおった。

 嘘はついていない。ウィリアムがベルナールだった頃、女神エポナリリーは彼にとって特別な女性だった。神と人という格差のせいで、その純粋な思いは決して叶わないのだと理解していたから、彼は告白する前に身を引いた。

「うつくしい方なの?」

「はい、とても美しい女神でした。今もお美しいと思っています」

「まあ」

 ウィリアムが困ったように笑うと、ウィレミナ王女も二人を盗み見ていた令嬢らも頬を赤く染めた。ウィリアムは男らしいたくましさと美しい流し目によって女性たちの注目の的なのに、彼自身はそのことを知らない。

「ねえ、じゃあ、わたくしが大人になってもウィリアム様におあいてがいらっしゃらなかったら、結婚して?」

 王女の可愛らしい申し出にウィリアムは純粋に嬉しくなったが、「申し訳ございません」と頭を下げた。

「お気持ちは大変に嬉しいのですが、殿下が大人になる頃には私はとっくに年寄りです」

「そんなことないわ。ウィリアム様はとってもかっこいいの」

「この上ない光栄でございます」

 ウィリアム男爵はふわっと柔らかく微笑んだ。




 翌日もブリタニアの朝は普段通りだった。変わったことと言えばウィリアムの体調くらい。どうしてか体の節々がチクチクと痛む。

(そう言えば何日か前からだるさがあるな)

痛みは些細ささいなもので、何かに集中していれば無視できるような程度だった。

(何だろうな……)

 ウィリアムは不調を感じつつも、人に言うほどではないからと三日ほど放置してしまった。

 その晩、仕事を早めに切り上げた彼は早々に寝床へ入った。

(忙しかったし、疲れたのだろう)

本人も深刻にとらえていなかった。

 しかし痛む体を抱えて四日目の朝。ウィリアムは目が覚めてもぼうっとして意識がはっきりせず、出仕の時間が迫っても体に力が入らなかった。

(何かおかしい……)

 今は三人ほどいる彼の従騎士エスクワイアも、今日は運悪く全員が休みだった。

(起きなければ……このままでは皆に迷惑をかけてしまう……)

焦る気持ちとは裏腹にウィリアムの体は言うことを聞いてくれない。

(どうしよう)

 さすがにここまでくればウィリアムもこれがただの疲れだとは思わない。しかし体は一向に言うことを聞かない。ウィリアムはふと弱気になった。

(このまま誰にも気付かれずに死ぬのだろうか。まあ、これまでを思うと寝床で死ねるのは随分穏やかな終わり方だが……むなしいものだな)


 九時を過ぎてもウィリアムが顔を出さなかったことから、遅刻に気付いたフランク伯爵が急いで様子を見にきた時、ウィリアムは顔を真っ白にして昏睡こんすいしていた。




 フランシス国王も取り乱す勢いで心配し宮廷に仕える医師や魔術師をウィリアムの診察へ向かわせたが、はっきりした病名も打開策もわからなかった。

 眠っている彼にハーブを漬けたワインを飲ませると顔に赤みが戻るくらいの改善策しかなく、ウィリアムの従騎士や医者が交代で世話をすることになった。

 ウィリアムは元々フランク伯爵を後釜にすえる気で彼を鍛えていたため政務は滞らずに済んだが、普段なら一緒に仕事をして支えてくれる義兄あにがおらず、フランクは本来の優秀さを発揮できない状態でてんてこまい。

 そうして。ウィリアム卿が倒れてから十日が過ぎてしまった。




 ウィリアムは体調が良くなるどころか悪くなる一方で、死の予感は日に日に増していた。

 フランシス国王は自分の庇護下に置くことを条件に、神や精霊から取り戻したウィリアムにこんな終わり方をして欲しくない。治療になるなら何でも試したい気持ちと、下手なことをすればウィリアムが死んでしまう状況に挟まれてもがいていた。

(何が英雄だ、国王だ! 弟のように大切にしてきた騎士一人助けられないのか、私は……!)

 フランシスが頭を抱えた時だった。ブリタニアのとりでの入り口に妙なことを口走る少女が現れたと報告が入った。

「怪しい少女が申すには、自分は竜でベルという男に助けられたと……」

「竜! あの子か! すぐ通せ! すぐに!」

 ウィリアム卿がその昔助けた岩竜の卵だと気付いたフランシスは、わらにもすがる思いで門扉を開けさせた。


 フランシスの前に通された少女は、腕や足にすり傷や切り傷を作っていながらも鍛え抜かれた野生みのある大変美しい、利発そうな少女だった。

 赤褐色の髪と灰色に近い白い肌は無機質に見えるが、作り物ではなく生き物特有の弾力さを持っている。そして何よりその瞳から放たれる威圧感が、彼女を竜だと物語らせていた。

 服はここまで来るのにいかに冒険をしてきたのか分かるくらい布が擦れていて、元の色はわからない。女性ならこの時代、堂々と出すことを恥じらう素足すら勲章くんしょうのようだった。

「竜の子ですね。実はベル、今はウィリアムと言うのですが、彼に危機が訪れていて……」

 竜の子アビーは自ら名乗る前に告げられた衝撃の真実に目を見張った。


「何この寝床! 切り落とした木と綿わただけ!?」

 岩竜の娘はア−−ブ−−ウィ−−−と風が岩の隙間を通るような音で名乗った。人間には正確な名が聞き取れないためアビーと呼ぶことになった少女は、ウィリアムが寝かされていた部屋を見て愕然がくぜんとした。

「信じらんない! 人間ってやっぱりこんな寝床ばっかりなの!? 花も草もない、土も岩もないこーんな、切り出した小さい石の部屋で寝てんの!?」

 アビーは一緒に彼の部屋を訪れたフランシス国王をきつくにらんでからウィリアムのそばへ寄った。彼女は手の甲でそっとウィリアムの紺色の髪と肌を撫でる。

「君には具体的な症状がわかりますか?」

「……こので彼はどのくらい過ごしたの? 一年? 二年? 森に出かけたのはいつ?」

「長期的な外出という意味でしたら、遠征におもむいていた七年前までが……」

「七年!? 弱るはずだよ!」

 アビーは一瞬顔を真っ赤にして怒ったが、フーッと息を深く吐いて気を落ち着けると人間たちに指示を飛ばす。

「まだ生えてピンピンしてる花を土ごと持ってきて! 青々とした枝も! 寝床は干し草でいいからたっぷり用意して! 食べるものは木の実! リンゴでもブドウでもいいから新鮮なやつ!」

 アビーはトドメと言わんばかりに喧々けんけんと吠えた。

「今のビリーは魔力がすっからかんだよ!」




 岩竜の子アビーは自らも森へ向かってモミの枝をいくつかむしってきて、ウィリアムの従者たちが用意した干し草の中に、特に頭の周辺にくるように混ぜ込んだ。

 アビーは干し草で作った大きなにシーツを被せ、その上へ軽々と抱き上げたウィリアムを寝かせる。そしてさらに、

「よいしょ」

彼女は添い寝のようにウィリアムの頭を抱え込んで横になった。

 フランシスらウィリアムの身内は目の前の光景を唖然あぜんとしてながめる。

「……その、くっついて寝る必要は……」

アビーは金色の瞳でギロリと人間たちをにらんだ。人々はその気迫に気圧けおされる。

「黙って」

「も、申し訳ない……。しかしその、婚姻こんいん前の男女が同じ寝床に入ることは……」

「こんいん?」

「結婚の約束をする、という意味です」

「けっこん……?」

「夫婦になることです」

「ああ、じゃあ大丈夫」

アビーは当然のように呆気に取られるフランシスに言い放つ。

「あたしとビリーはつがいだから」

「つがい……?」

「夫婦」

「初耳ですが……」

「会って顔見て、触って気付いた」

「さ、触って気付くものなんですか?」

 アビーはそれ以上はうるさいぞと言わんばかりに目をつむって本格的に横になる。

 フランシスたちはお互いの顔とアビーとウィリアムの様子を交互に見た。

「……ひとまず、回復できそう、ですかね?」




 岩竜の子アビーは魔力を枯らして衰弱し切り、眠り込んでいるウィリアムを気遣いながら甲斐甲斐しく世話をした。ウィリアムは顔に赤みが戻ってきて時々目を開けるようになり、少女はその度に飲み物や食べ物を一口ずつ差し出す。

 ウィリアムは本能的に飲み物と食べ物を口にしながらゆっくり回復し、五日目にはぼんやりとだが意識をしっかり持てた。

「なに食べる? 今あるのはブドウとリンゴ」

 ウィリアムは己の頭を膝に抱える、岩のような白っぽい灰色の肌のアビーをぼんやりと見上げた。

「……君、あの時の卵ですか?」

ウィリアムは魔力の波動から彼女を感覚的に理解した。

「うん、そうだよ。助けてもらったからお礼に来たの。でもビリーが倒れててびっくりした。私ア−−ブ−−ウィ−−−。人間たちは聞き取れないみたいでアビーって呼んでた」

「……アビー」

 つがいとなる男に愛称を呼ばれて、アビーは年頃の娘らしく頬をゆるめる。

「うん。あ、ほらリンゴとブドウどっち?」

 ウィリアムはアビーが目の前に掲げた二つの果物のうち、リンゴに目を向けた。

「リンゴね」

 アビーはこの三日でだいぶ扱い慣れたナイフでリンゴを一口サイズに切っていく。

「……俺、倒れたんですっけ?」

「そうだよー。もう十五日、半月ぐらい」

「そんなに……」

 ウィリアムはハッとして体を起こそうとする。

「まだ起きちゃダメ!」

「政務が……」

「今は自分のことだけ気にして!」

 アビーはウィリアムの肩を掴むと彼を干し草の寝床へと押し付ける。

「ほらリンゴ」

 ウィリアムはみずみずしいリンゴを口の中へと転がされる。

「ん……」

「美味しい?」

「……はい」

 アビーはウィリアムが食べ切れる分だけリンゴを与え、使い終えたナイフをそばに置かれた木皿の上に置き、今朝もいだばかりのモミの木の枝をウィリアムの顔の前に差し出した。

 青々とした緑の香りをかぐと、ウィリアムは体の奥底から満たされる。

「いい香りですね……」

「ビリー、魔力が枯渇してたんだよ」

「……魔力って枯れるんですか?」

「暗炎の子は人間より竜に近い存在だよ? 森の中で生活しなきゃ、魔力の補充できないよ」

「そう言うものですか……」

「特に、こんな土の香りもしない狭い場所、自然に削られて小さくなった訳じゃなく人の手で切り出した石の中じゃ、呼吸できなくて当然」

アビーは半分はウィリアム自身に怒りつつモミの枝を彼の枕元に並べる。

「自分で森に行こうと思わなかったの? 本能的に知ってるはずでしょ?」

「忙しいのでここ五年、狩りも遠出も控えていたんです……」

「ばっかみたい!」

アビーからすれば実際に大馬鹿者なので、彼女はつがいの額をピンと指で弾いた。

「いたっ」

「とにかく、今は森や岩や川の大いなる力に囲まれながら寝ること」

「……わかりました」

 弱り切ったウィリアムは普段なら回る頭もなく、無意識で彼女をつがいと認めていたために、婚約すらしていない男女が同じ寝床で眠っている状況にツッコミすらしなかった。

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