第4話-2

「…………うぅ」

 ベルナールの記憶はいつの間にか飛んでいた。目が覚めた時彼はフカフカの大きな天蓋てんがい付きベッドの中で寝ていて、彼に膝を貸す女性の太ももを感じた。

「誰……」

「私ですベルナール様」

「ああ、リリーか……」

リリーにしては声が落ち着いた大人のもので手足もスラリと長かったが、そんな違和感を気にしていられぬほどベルナールは酷い頭痛に襲われていた。

「二日酔いより酷ぇ……」

「甘い飲み物をお持ちになるとフランシス様がおっしゃっていました」

「何で王子が……ああ、クソ。オリーの奴……何か余計なこと言ったな……」


 ベルナールの意識は再び途切れ、目が覚めるとフランシス王子がサファイアのごとき深い青の瞳でベルナールの顔を覗き込んでいた。

「ベル! 目が覚めましたね。反動がこれほど酷いとはオリヴァーくんも心残りだったでしょう」

起き抜けにフランシス王子の顔を見る羽目になってしまったベルナールは重い頭で何とか起き上がった。すぐに細く滑らかな女性の手が伸びてきてベルナールの頭を抱き寄せる。

「ベルナール様、お加減はいかが?」

リリーは相変わらず大人の姿でいたが、今のベルナールには彼女が子供だろうと大人だろうとどうでもよかった。

「最悪……」

「リンゴの果汁を飲んでください。ハチミツ入りなので甘くて美味しいですよ」

「んな子供の飲み物要らん……」

「それだけ生意気が言えるならだいぶ元気ですね。よかった」

ベルはフランシス王子からリリーを通して手渡された黄金色の飲み物を見てビールを恋しく思ったものの、本能的に水分を口にする。リンゴの爽やかで甘酸っぱい香りが鼻腔びくうを通りハチミツの甘さが疲れ切った頭を満足させた。

「……美味い」

「そうでしょうとも。疲れた頭には甘い物と決まっています」

ベルナールはリリーにもたれかかり静かになった。その様子を見てフランシスは微笑む。

「どうぞごゆっくり。私は執務室しつむしつにいますから、何かあれば呼んでください」

だがフランシスが腰を浮かせるとベルナールは朦朧もうろうとしつつも彼の袖を引っ張った。

「……おい、クソ王子」

「はい」

「オリーは何か言ってたか……?」

「ええ、まあ。更にいくつか伝言を」

「あのクソガキ……何言った……」

「それはベルが回復してからお話ししましょう。では」

 ベルナールは簡単に振り解かれてしまった己の手を見ながら、リリーの優しい子守唄の中に再び沈んだ。




「本日はお集まり頂きありがとうございます」

 ベルナールの回復を待ってから行われたフランシス王子主催の昼食会には円卓の騎士が勢揃いした。

作法も何も知らんとベルが突っぱねてもフランシスは苦い顔の一つも見せなかったため、傭兵は最早もはや抵抗も諦めた。

「では非公式ではありますが、第十代円卓“会食”と参りましょう」


 フランシスがフォークでグラスを鳴らすと王子専属の召使いたちが次々に料理を運び始めた。肉も野菜も山盛りと言う夢のような状況ではあったものの、傭兵ベルは見ているだけで腹がふくれたので実際に口にしたのはほんの少し。後は周囲が料理を取るのを黙って手伝い、話が飛び交うのを耳にしていた。


「随分つまらなさそうにしていますね、ベルナール」

 フランシス王子のはからいにより丸い食卓では料理が来るたび席交換が行われた。新しくベルの左隣に腰かけた第四席アリエル卿は、鶏肉の脚を丸々一本食しながら傭兵の顔を覗き込んだ。

「……貴族の話なんぞ分からん」

「オリヴァー卿の思考を複製した頭でそれはないでしょう。ああ、なるほど言い訳ですね」

「は、話したくないと言う意味でしょうか?」

ベルの右隣には第五席ゴドウィン卿が座っていた。

「あ、あのベルナール。ニンジンの甘煮あまにを取っていただけますか? あ、あと野菜の肉巻きが美味しいですよ」

ベルナールは黙ってゴドウィン卿に大皿を手渡すと口拭き用のナプキンを机に投げ捨て、会食を途中で抜け出した。


 周りに構わず堂々と出て行ってしまったベルナールの背中を見て、彼がいなくなると貴族らは文句を言い始めた。

「やっぱりな。絶対途中で逃げ出すと思った」

「殿下、やはり無理ですよ」

「……オリヴァー卿の頼みですから、私は必ず彼の面倒を見ますよ」


 ──フランシスはベルナールが円卓会議が終わってすぐ倒れた場面を思い出していた。

脂汗を流して顔から血の気が引いた傭兵ベルの口からはまたオリヴァーの幼い声が飛び出した。

「“多分、ベルは残留思念ざんりゅうしねんを使って間を置かず倒れてしまったと思います。フランシス殿下に直接お話ししたいのでご本人をお願い出来ますか?”」

「フランシスはここにおります、オリヴァー卿」

「“よかった。ではこれは伝言ではなくて遺言ゆいごんです、すみません。ベルの意識が全くない時にだけ発動するようにしてあります。フランシス殿下、ベルに何かあったら僕は死んでも死に切れません。なので彼の後見こうけんをお願いしたいのです”」

「お約束します」

「“ベルは王侯貴族を嫌っていると伝えたはずですが、正しくは憎んでいます。それも一朝一夕いっちょういっせきで出来上がったものではありません。彼は僕たちの先祖である円卓の騎士たちが迫害した一族の一つ、その末裔です”」

「何と……」

「“詳しくはベル本人が身の上を話せるようになってから聞いてください。僕からはとても言えません、彼のためにも。ベルは一人で生きていた時間も長く、その生い立ちもあって円卓の皆さんを信用できるまでには長い年月がかかると思います。一生信用出来ないかも知れません。それでも彼を見捨てないで欲しいのです”」

「はい」

「“彼は人が想像する以上に過酷な中で生きてきました。なのに心根こころねには温かいものを残していて、本当にいい人なんです。見ず知らずの、憎いはずの貴族の息子である僕に本当に良くしてくれました。歳の離れた兄弟のように接してくれました。僕が将来やりたいことを話したら応援してくれました。そんな彼がこのあと野垂のたにでもしたら墓から飛び出て世界を呪ってやります”」

「オリヴァー卿ならやりかねませんね」

「“ほかの円卓の皆さんも、もし聞いていたらお願いします。彼を見捨てないで。彼のような人を見捨てると言うことは弱きを助ける円卓の規律きりつに反します。命よりも重い誇りを失うことになります。どうかそれだけは決してしないでください。お願いします”」

騎士たちは幼いながらに立派な騎士の心を持ったオリヴァー卿の、必死の訴えを胸に刻んでいた。

「“先程のものに加え、これだけの文章量を再現すればベルは十日は動けないはずです。残念ながらこの残留思念ざんりゅうしねんと言う方法は現実的ではありませんでした。術者は僕とベルが最初で最後になると思います。ベルには本当に負担をかけて……ごめんよベル。僕に残された時間は少ないです。怪我をしたところに流行り病とは運がありませんでした。ベルは頑丈なので僕と違って病気にはなりません。円卓の皆さんにも移さないでしょう”」

フランシスの脳裏には横たわる傭兵ベルの頭に手を添え、遺言を書き込んでいるオリヴァーの小さな背中が浮かび上がっていた。

「“ベル、本当に今までありがとう。一緒に暮らしてて楽しかった。それから、君をこんなことに巻き込んでごめんなさい。でもベルならきっとやりげてくれると信じています。君が多くの友人と家族に囲まれることを願っています。さようなら。また来世で出会えたら嬉しいです”」

オリヴァーはそう言うとベルの頭から手を離した。オリヴァーの本当に最後の声を聞いた円卓の騎士たちは、みな押し黙った──。


 フランシスは回想から帰ってくると自らも立ち上がり傭兵の後を追った。

「すみません、皆さんはどうぞ食事の続きを」


 傭兵は与えられた広すぎる部屋に戻ると旅の支度を整え、ベッドで楽しそうにぬいぐるみを愛でる少女リリーのそばへ腰かけた。

「そろそろ行くぞ」

「もう少しゆっくりなさったらいいのに」

「こんなところに長居ながいできるか」

「フランシス様は心の底からベルナール様を心配なさっておいでです」

リリーはそう言いつつもベルナールがつと言えばすぐにそうするのだと分かっていたので、自分も支度を整えた。

 薄青色のローブを身につけた精霊の少女と薄汚れた黒いローブに身を包んだ傭兵が部屋を出る頃、フランシス王子が追いついた。

「ベル! ベルナール!」

傭兵は背後の王子をチラリと見たものの足を止めはしなかった。

「ベル!」

「うるせぇ」

「あと二日でいいのでここに居てください」

「何故」

「私の父上がこの別棟べつむねに来るのです」

フランシスの父親、つまり王国の頂点が現れたら傭兵はとても正気でいられないだろうと、より早足になった。

「私はオリヴァー卿に君の後見こうけんを頼まれました」

「……何だと?」

傭兵ベルが立ち止まって振り返るとフランシスは息を整えた。

「私の後見人はもちろん父上である陛下です。私から頼み込めば陛下も嫌な顔はしないはずです。ですから」

嫌がられると分かっていてもフランシスはベルナールの手を握った。振り解かれないように強く。

「私が君の後見人こうけんにんになると言う話を陛下の前できちんとしたいのです。オリヴァー卿が君に残した遺言ゆいごんも、全て話しておきたいのです」

ベルナールは嫌そうに、しかしゆっくりフランシスの手を振り解いた。

「お願いします。あとほんの二日でいいですから」

「……オリーが何を余計に喋ったか知らんが」

傭兵ベルナールは王家別宅の豪奢ごうしゃな壁紙を睨みながら話した。

「あいつの遺言は自分で聞いたし最期さいご看取みとった。今さら蒸し返すな」

「ベル……」

「その呼び方をしていいのは主人オリーだけだ」

傭兵ベルナールはリリーの手を引いてフランシスに背を向けた。フランシス王子はその後ろからオリヴァーもついて行ったように思えて、哀しそうに顔をゆがめた。

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