十二話 信じなきゃ
「さすがにか……」
代表戦当日。アラームが鳴るよりも早く目を覚ました。運が良いのか、とりあえずは遅刻の心配がなくなったことに安堵しホッと胸を撫で下ろす。
よくよく冷静になって考えれば、もっと危惧すべきことは他にもあるが、今の俺には何よりも遅刻をしないことの方が大切だった。
「……?」
妙に胸がざわついていることに気付く。胸元に手を置くと心臓がいつもよりも早く鼓動を打っている気がした。まるで遠足前の子供のように落ち着きがない。
今日の代表戦を楽しみにしているとでも言うのだろうか。……まさかそんな訳ないだろう。少なくとも俺は楽しみではない。
答えのない心情に首を傾げつつベッドから下り洗面所へ向かう。
「行って来ます」
相も変わらずうす暗い廊下に言葉を投げいつもよりも少し、いや、大分早く寮を出る。
こんなに早く寮を出た記憶がないので、この時間に通学路を歩いているのは僅かに違和感がある。見慣れた、通い慣れた景色がいつもよりも少しだけ違く見える気がする。
通学路脇を彩る桜の木から落ちてくる葉が時折、春の暖かな風に運ばれ頬を優しく撫でる。校舎が変わり見えていたもの何もかもがガラリと変わってしまったが、通学路のこの桜だけは不平なく、俺を包む。
そのあまりの美しさに足を止め写真を取ろうとした時、聞き慣れた声が俺を呼んだ。
「お!凪!」
上げていた顔を下げ声のした方を見ると片手を上げ笑う圭地と蓮が小走りでこちらに向かって来ていた。
「早いな凪!」
「おはよう凪」
「ああ、おはよう。二人はいつもこの時間なのか?」
「ああ!凪は珍しいな!いつもはこの時間じゃないだろ?」
「たまたま早起きしちゃてな。二度寝して遅刻する訳にも行かないからそのまま来た」
「そうか!じゃあ、一緒に行こうぜ!」
圭地が肩に手を回して来る。
「そうだな。でも、その前に撮ってもいいか?」
「何をだ?」
首を傾げる二人に答えるように桜の木を指差す。
「綺麗だから写真に収めたくてな。少し時間くれ」
「おおー!確かに綺麗だな!蓮!俺たちも撮ろうぜ!」
「うん、そうだね」
三人揃って何枚か写真を撮る。こういう時に時代の進化を感じる。吹く風で手がぶれる中でも綺麗に写真に納まる桜たち。
特に三枚目の写真は特に綺麗だ。放課後に写真立てでも買いに行こうかと思った。
「……こんなもんか。俺は終わった。二人は?」
「俺も終わったぜ!」
「僕もいいよ」
三人それぞれ満足するものが撮れたらしく、数分の制止を経て再び歩き出す。
「見ろよ俺の!すげぇよく撮れてないか?!」
興奮気味で見せて来る圭地の手元を覗き込む。
「本当だ。でも、こことか少しぶれてるね」
確かに写真の隅っこの方がぼやけている。けど、主役が映えすぎてて、そこまで気になるほどのことではないと思う。
「いいだろ別に!それくらい!てか、蓮はどうなんだよ!人のこと言えるのかよ!?」
「僕もそこまで自信はないんだけど……」
言いながら画面を見せて来る。
「どうかな?」
「ぼやけもないし、角度もいい。圭地よりはいい写真だな」
「くっそー!なら、凪だ!お前はどうなんだ?!」
言いながら圭地は俺の手元から奪い取る。
「あ……」
「わぁ、これ本当に凪が撮ったの?」
画面を覗き込んですぐ、蓮が感嘆したような声を漏らす。
「まあ。変か?」
「いやいや、むしろ逆だよ。凪って写真家の才能あるんじゃないの?」
そこまで素直に褒めれられるとは思わず、恥ずかしさでボワッと体が熱を帯び始める。写真自体、そこまで頻繁に撮る訳ではなく、趣味と呼べるほどお熱な訳でもない。目を引くものがあればそれを収めようとするのは人の性と言うもので、今日もたまたまそれが働いただけのこと。
もし仮にそんなものを持っていたなら、学園にいる間だけでも少なからず剣の才能に恵まれていたいものだ。
「ねぇ、これ後で僕のスマホに送ってくれないかな?」
「こんなんでいいならいくらでも。それよりも」
俺はここで言葉を切りちらりと圭地の方へと視線を流す。それに釣られ蓮もそちらに目をやると、俺のスマホを握ったままフルフルと小刻みに肩を震わせている圭地がいた。
「圭地?どうしたの?」
奇妙な様子の圭地を心配し蓮が顔を覗き込んだと同時にバッ勢い良く顔を上げた。かと思えば、俺の方へと走って来て、ガッと肩を掴んで離さない。
「凪!」
「な、何?」
鬼気迫る勢いの圭地に一歩距離を取りたくなるが、肩を強く固定されている為、それは叶わない。
本当に何事。
「俺に綺麗に撮るコツを教えてくれ!」
これでもかと言うほどに頭と腰を曲げ懇願するように叫ぶ圭地。何を言うのかと覚悟を決め身構えていただけ予想以上に拍子抜けな内容に全身から力が抜けて行くのが分かる。
その場にへたり込みそうになるのをくっと堪え、ひとまず話を聞く態勢を作る。
「詳しく聞いてもいいか?」
「おう!あまりにも綺麗だったから兄妹たちにも見せようと思ったんだけど、さすがにぼやけがあるのを送るのはまずいだろ?だから、凪みたいに綺麗に撮ったのを送りたいんだ!」
「根に持ったなら謝るからこっち見ないでよ!」
「何のことだ?」
「もう!」
二人のやり取りに苦笑しながら一つの提案を圭地にしてみる。
「なら、さっき俺が撮った奴送ろうか?」
そうすると圭地は首を横に振る。
「ありがたいけど、やっぱり自分で撮った奴を送りたいんだ。俺が見た景色を皆にも見て欲しいからさ」
圭地らしいと言えばらしい回答だ。しかし、それ以上にどこまでの兄妹思いの圭地が眩しく見えてしょうがない。
「分かった」
「いいのか!?ありがとな!」
嬉しさが頂点に達したのか圭地は勢いそのままに抱き着いて来る。身長差の関係か胸元に顔が埋まり、少し、いや、結構息苦しい。
「け、圭地……死ぬ……」
「わ、悪い!」
腕を軽く二、三回叩いたところで視界は明るく喉は正常な空気の循環を取り戻す。何度か深呼吸をし顔を上げると心配そうに眉を曲げた圭地と目が合う。
「じゃあ、まず……」
教えるとはいえ、俺もそこまで写真を撮ることに関しての知識や技術を持ち合わせている訳ではない。なのでそれとなく、自分が知っている、やっていることを教える。
正直、俺のような素人が数分教えたとてすぐに上達する保証なんてないし、綺麗な写真が撮れる可能性はない。
可能性はないはずなのだが……。
「お!これはどうだ?綺麗に撮れてないか?」
圭地に標準装備されている飲み込みの速さのおかげか教えて間もなく、葉の散り具合や陽の光の差し具合が完璧といっていいほどの誰もが納得するような写真が撮れた。
コンクール的なのに出展しても余裕で賞が取れそうなレベルだ。
「いいと思う。圭地はどう?」
「凪がいいなら俺も満足だ!早速送るな!ありがとな凪!」
背を向け夢中でスマホを操作する圭地の背中を眺めているとくいくいと制服の裾を引かれる。目を向ければ頬を膨らませ不満気な表情で眉をこれでもかと曲げている蓮が俺を見上げていた。
「僕のこと忘れてないかな……?」
「……悪い。つい夢中になってな」
気まずさと蓮から発せられる得体のしれないオーラから逃げるように顔を逸らしながら答える。答えとしてはこれ以上ないほどに無難なもののはずだったのに、何故か蓮は益々に不機嫌なオーラを増幅させる。
「それに圭地に抱き着かれてたし……。僕だってされたことないのに……」
本人は小声のつもりなのだろうが、がっつりと細部まで聞こえた。蓮の名誉の為に耳を塞ごうかとも思ったが、そんなことをしてしまえば、聞こえていたことがバレて蓮の機嫌が今以上に悪いものになってしまう。
聞こえているけど聞こえないふりとかいうよく分からないものに徹しながら蓮の言葉を待つ。
「……」
「……」
待てど暮らせど蓮は何も言わない。どころか表情一つ動かす気配がない。俺と同じで相手の言葉を待っているのだろうか。
そういうことなら。
「……ごめん」
「……凪」
「なんだ……」
恐る恐る視線を動かす。すると蓮は制服の襟元を掴みぐいっと距離を詰めて来た。すぐ眼前には蓮の整った顔がある。
ただ、一つだけ違うのはその目にはおよそ色や感情と言ったものがないという点だ。
はっきり言えば怖い。はっきり言わなくても怖い。
「……」
固唾を飲み蓮の言葉を待っていると、
「ふっ」
蓮は笑った。楽しそうに。笑ったのだ。そこに先ほどまでの威圧的なオーラはない。俺の知る、知っていた蓮が戻って来た。
蓮はパッと手を離すといたずらが成功した子供のようにペロッと舌を出す。
「ごめんね。少しからかってみた。どうだったかな?」
本日二度目の脱力感。今度こそ地面にへたり込む。そんな俺を見下ろしながら蓮は無邪気に笑う。
「そういうのやめてくれ」
「ごめんごめん」
蓮が差し出した手を取り立ち上がる。
「でも……」
そんな声が聞こえたと同時に耳元に熱い吐息がかかる。
「仲間外れにされたのは悲しかったかな?」
「悪かったからあまりからかわないでくれ……」
「ふふっ」
背中にゾクッとした寒気とは違うものが走り心臓から発せられた熱が瞬く間に全身を駆け巡り体を支配した。
「はぁあ……」
今後は蓮を敵に回さないように気を付けようと誓った。そうこうしているうちに写真を送り終えたのか圭地が振り返る。
「悪い、待たせた……って凪、顔赤くないか?風邪か?」
「ああ、いや……別に……」
答えようとした時、いつの間にか圭地の背後に移動していた蓮と目が合ったのだが、静かにゆっくりと首を横に振ったので、慌てて口を噤む。
それ以上は許さないと言われているようだった。
「そんなことよりも早く行こうよ。このままじゃ遅刻するよ?」
言われて時間を見ると写真を撮るのに夢中になり過ぎていて、いつの間にか結構な時間が経っていた。この段階で気付けてよかった、気付くのがもう少し遅かったらあわや遅刻するところだった。
「そうだな!代表戦の前に遅刻する訳には行かないよな!」
楽しかった時間も終わり、圭地の言葉で一気に現実に引き戻される。そうだった。今日は代表戦本番だ。
今から数時間後、俺の頑張り次第で隔離教室組の未来が決まると言ってもいいほどの責任を背負っていたことを思い出す。
思い出すと手汗が滲み始める。僅かに後悔の念が生まれたのも同時だった。俺でいいのだろうか。本当に俺なんかが圭地や柳たちと一緒に戦うに値するのか。
考えれば考えるほどキリのない悪い思考の沼にハマっていく。もし負けたら?自信だけじゃ才能を持つ者には勝てない。
別に圭地や柳を信用していない訳ではない。ただ、代表戦は団体戦だ。たった一人の負けが大きく響く場合だってある。
その役目が俺に回って来たら?何も出来ないまま他の二人に投げるのか?投げたことによって二人が負けたら?
……考えるなよ。今、そんなこと考えても意味ないだろ。意味がないことは分かっていても一度考えてしまったものはそう簡単に解けない。
頭を振っても抱えても、まるでしがみ付いているように落ちない。
自分に圭地のような自信があれば。自分に柳のような思い切りがあれば。
「ダメだ……」
「凪!」
呼ばれて顔を上げる。
「俺らを信じろ。負けても俺と柳が取り戻すから。だから、そんな暗い顔するな!」
……ああ、何やってんだ。圭地に気を遣わせるなんて。
「それとも俺らじゃ力不足か?」
「そんなことは……!」
「なら、な?」
にこやかに笑う圭地。その笑顔だけで俺の中の曇り空が僅かに晴れた気がする。
「そう、だな……。悪い」
「お!顔を上げたな!やっぱり凪はそうでなくちゃな!」
二人の背中を追い隣に並ぶ。
「代表戦勝って俺らの強さを見せ付けてやろうぜ!」
「うん」
「ああ。頑張ろうな」
桜舞い散る代表戦朝。
一度揺らいだ心は再び型にはまり俺に前を向く自信を与えてくれた。
二つに一つの選択肢。
当然狙うは勝利のみ。
俺には圭地のような自信はないし、柳のような思い切りもない。
けれど、信じる、信じてくれる仲間がいる。
それだけでいいのだ。
特別な才能も、目を見張るくらいの強さも要らない。
今はただ恥のない戦いを。
さあ、始めようか。
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