六話 道中

 旧校舎と本校舎を繋ぐ長い通路を歩くこと数分、本校舎の入り口が見えて来た。手入れが十分にされていないのかところどころ錆が目立つ扉を開くと、まるで別世界にでも来たかのような衝撃を受ける。

 旧校舎と違いどこまでも続いているような長い廊下は圧巻で、汚れ、シミ、傷の一つもない景色はもはや感動するほどだ。

 つい一ヶ月ほど前まで通っていた光景が今はただただ懐かしく、自分がどれだけ恵まれた環境で学びを得ていたのかが痛いほど骨身にこたえる。

 木造校舎の汚れ、シミ、傷だらけの窓、廊下。歩く度に聞こえて来るのは今にも抜けそうな痛い音。建付けの悪い扉に常時点滅しているライト。不規則的に開いている小さな穴から吹き込む風がこの時期にはとにかく辛い。

 おまけに正門からも遠く、あまつさえ食堂、購買を利用するだけでもこの労力。落ちるところまで落ちたとは現状、まさに俺らのことだ。


「しかし、分かっていたけど、注目されてるな」


 隣を歩く圭地が零した言葉に顔を上げる。本校舎に入ってしばらく、廊下を歩いている、またはすれ違う生徒全員の視線が興味深そうに、はたまた軽蔑、侮蔑を含みながら俺たちを包む。

 よくよく耳を澄ましてみれば、陰口のようなものも聞こえ、中にはあからさま聞こえるように話している奴らも目立つ。

 学園側が認めた問題児だから何を言ってもいいと思っているのだろうか。確かにこういう状況を作り出したのは紛れもない自分自身ではあるが、その前に俺らは人間だ。機械のように感情がない訳でも何を言われても心が痛まない訳でもない。

 正直、不快だしあまりいい気分はしないし出来ることなら今すぐ旧校舎に戻りたいものだが、ここまで来てという葛藤もある。

 今は言わばチャンスなのだ。今この機を逃したら今後、食堂を利用する機会は回ってこないだろう。

 この環境に毎日身を投じるくらいなら、少し遠くてもコンビニまで昼食を買いに行った方が心身ともに快適なことは間違いないのだから。

 とはいえ、これはあくまで俺単体の意見でしかなく、出来れば同じ意見を持つ者がいればいいのだが。……ああ、よかった。

 すぐそこにいた。


「ねぇ、圭地。やっぱりコンビニにしない?」


 制服の裾を掴みながら蓮が小声でそう諭す。小声なのは周りを気にしてか、それとも単純に声を出せるほどの精神状態じゃないのか。

 どちらにせよ、味方がいるということは何とも心強い。


「ここまで来て帰るのか?せっかく来たんだし食べて行こうぜ!」


「でも……」


 積極的な圭地とは対照的に消極的な蓮。後ろの方から二人のやり取りを眺めていると不意に蓮がこちらに振り返る。

 何事かと思いつつ言葉を待つ。


「凪もコンビニの方がいいよね?」


 そう来たか。蓮は俺に意見や同意を求め仲間を増やそうとしているようだった。まさか振られるとは思わず、言葉を返すまで少々の時間を要する。


「ここまで来たんだし食堂の方がいいよな?」


 圭地まで参戦してきたら俺はいよいよ頭を悩ませ首を傾げる他なくなる。二人に聞かれている以上、どちらかを切り捨ててどちらかの肩を持たなくてはいけなくなるのは必至。

 しかし、どちらが正解かなんて分らないし、どちらが不正解かも分からない。こういう時は自分の直感を信じろと言われているが、どちらを選んだとて片方の好感度が下がることは避けられない。

 ……詰みか。


「凪!」


「凪」


「……こ、ここまで来たからな」


 目を逸らしながら呟くように言う。気まずくて蓮とは目を合わせられないよ。


「さっすが!分かってるな!」


 上機嫌に鼻を鳴らしながら圭地は一歩前を歩いて行く。その背中を眺めながらちらりと隣に立つ蓮に視線を落とす。

 すると向こうもちょうど顔を上げ、ばっちりと目が合った。


「凪、信じてたのに……」


 キュッと心臓が締まり、ザクっと抉られるような感覚に襲われる。蓮のさながら色のない目が妙に恐怖心を煽る。

 どうすれば良かったのだろうか。終わった後で考えても答えは出て来ない。


「ご、ごめ……」


「なんてね」


 一転、何とも嬉しそうな声が耳を衝く。顔を上げるとペロッと舌を出し、いたずらが成功した子供のように無邪気な笑顔の蓮がそこにはいた。


「え……」


「少しからかってみた。ごめんね」


 頭の整理が追い付かず、何が何だか分からない。


「凪が僕に同意しないことは分かっていたからね。最大限、いじわるさせてもらったよ」


 どうやら俺ははなから信用をものにしていなかったらしく、蓮のおもちゃにされていたらしい。

 理解が追い付くと同時に全身の力が抜けて行くのを感じる。ここに至るまでの数分、俺は無駄な気を張っていたようだ。


「はぁあ~……」


 大きく重いため息を零す。一先ずは好感度的なのは下がっていないようで安心した。


「そういうのやめてくれよ……」


「ごめんね。でも、圭地の味方をした時、僕、少しだけ寂しかったな」


「……俺はお前が怖いよ」


「そう?良かった」


 楽しそうに笑う蓮をよそに俺は腰を上げ立ち上がる。


「行くぞ。圭地に追いつかないと」


「そうだね」


 見えない背中を追うように歩く。思えば、蓮と二人きりで歩くのはこれが初めてだ。とはいえ、まだ二日目。

 あまりにも早すぎる展開だ。


「あ、そうだ」


 少し歩いたところで何かを思い出したかのように蓮が声を上げる。


「まだ、何か?」


 これ以上は持たない。


「違う違うよ。」


 両手を振り否定の意を示す蓮。それが終わるとこちらに体を向けて来た。そこからは一瞬のことだった。

 一歩近づいて来たかと思えば、耳元に熱い吐息がくすぐったく届く。


「いつか僕の味方になってね」


 ゾワッと背中に何かが走り聞き終わるのと同時に足早に蓮から距離を取る。耳を手で覆うと、微かに残る熱が手の平の冷気を溶かした。

 顔が燃えるように熱くなっていき、視界がぐるぐると回るような感覚に陥る。回っているかのような視界の中で蓮の表情が色濃く映えている。


「ふふっ」


 小悪魔的とでもいうのだろうか。そこに俺の知っている、または知っていた蓮はいない。


「不意打ち成功かな?」


「……もう、やめてくれ……」


 俺の言葉に蓮は今一度、楽しそうに笑うのだった。

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