十六話 凪と木皿儀
「あら、ちょうど良かったわ」
保健室に着いたと同時に扉が開き木皿儀が顔を出した。
「ん?何かあったのか?」
「彼が目を覚ましたわ」
扉の方に目をやりながら木皿儀は言う。そしてその朗報を聞いて一番嬉しそうにしたのは他でもない圭地だった。
「そうか!良かった!」
ケガ人ということを忘れさせるくらいに笑い、安堵にホッと胸を撫で下ろす。
「私は別の用事があるから後は任せたわ」
「おう!ありがとな」
そうして俺の隣を通り過ぎていく、はずだった。視界の端に映る木皿儀は不意に足を止めこちらに振り返る。
「……篠町くん借りてもいいかしら?」
唐突に飛び出る自分の名前。三人揃って木皿儀を見る。
「凪に用事だったのか?」
「それとは別よ。無理なら強制はしないけれど、その場合はどうなっても知らないわよ」
それ脅し。
「圭地たちは先に行って顔を見せてやってくれ。俺もすぐ行く」
「いいのかよ?」
「すぐ終わるだろうし大丈夫」
けがによる痛みも最初に比べたら大分収まって来たし、今なら多少歩いても問題はない。
「凪がそう言うならいいけどよ。すぐ来るんだぞ!」
「ああ」
釘を刺すように俺を指差し圭地と蓮は保健室へと入っていく。ガラッと扉が閉まり切ると、廊下と二人の間に何とも言えない空気が流れる。
これは疑いようのないほどの気まずさ……!女子と二人きりなんて状況が初めてすぎて最適解が分からないが、とりあえず相手の顔色を窺うために振り返るか。
「怪我の具合はどうかしら?」
顔を合わせて最初に聞かれたのがそれだった。恐らく痛みはないか、とか歩けるか、とかを聞いているのだろう。
「大分マシになったよ。まだ痛みはあるけど、歩く分には何ら問題ないと思う」
敬語がいいのかタメ口がいいのか分からず、よく分からない口調になってしまった。
「そう。じゃあ、私に着いて来て」
こちらの返答を待たず木皿儀は背を向けて歩き出す。
「どこに行くんだ?」
「着いてくれば分かるわ。……無理ならここでもいいけれど」
足を止め同じようなことを聞いて来たのは木皿儀なりの優しさなのだろう。当初抱いていた印象と相違点が生まれ、思わず頬が緩む
「何かしらその顔は?」
ギロッという擬音が似合いそうなほどの鋭い睨みを受けてもなお、頬の緩みは一向に収まる気配を見せない。
「ごめんごめん。木皿儀って思ってたよりも優しいんだなって思って」
そう返すと木皿儀の頬が僅かに赤みを帯びる。
「けが人を心配するのは普通でしょう?」
それなりに恥ずかしさを感じているのか顔を背けながら木皿儀は返す。
「そうだったな」
「くだらないことを言っている暇があるなら早く着いてきなさい」
木皿儀なりの照れ隠しなのかフンっと鼻を鳴らしたかと思えば、背を向け足早に廊下の奥へと消えていく。
「ははっ」
人が人に感じていた第一印象というものはふとした瞬間に一気に崩れ落ちる。これがいわゆるギャップいう奴なのだろうか。
「早く来なさい」
「ごめん」
木皿儀が今一度呼びに来るまでその場で一人気持ちが悪いくらいに笑っていたのは内緒。
「ここでいいかしら」
そうして連れて来られたのは旧校舎と本校舎を繋ぐ長い長い廊下。学園の周りにあまり高い建物がないおかげか放課後には目を奪われるくらいに綺麗な夕日が曇りなく、欠けることなく見れる。
写真にでも収めたいけど、朝日や夕日を写真に収めるのはとても難しい。とは言え、設定の問題でどうにかなるのだろうか。
機械音痴すぎてよく分からない。
「何であなたを呼んだか分かるかしら?」
ぬるっと問題を振られたので考える。木皿儀が俺を呼んだ理由か……。正直、いくら考えても答えは出て来ない。
一年の時もそうだが、二年に進級してから木皿儀とこうしてまともに話したのは今日が初めてだ。なので心当たりと呼べるものがない。しかし、俺にはなくても木皿儀にはあるんだろう。
そうでなきゃわざわざここに連れて来たりはしないだろうしな。考えて首をひねる度に頭が混乱していくのが分かる。
俺がハッピーな頭をしていたら「告白か!?」と胸を躍らせているところだが、あいにくそんな雰囲気は微塵も感じないし、仮に告白だったとしてもそれはそれで首をひねっていただろう。
お手上げ、降参。そんな諦めの文字たちが浮かび上がって来たところで見かねた様子の木皿儀が口を開く。
「ヒント、刀」
「刀ねぇ」
ヒントをもらったせいでますます混乱が酷くなる。が、もしかしてという心当たりがすぐに出て来た。
「質問いいか?」
「えぇ」
なのでこちらから何個か質問をしてみる。
「木皿儀が知りたいのは代表戦の時のことか?」
「ええ」
頷いたのを確認し続けて質問を飛ばす。
「木皿儀が知りたいことは一つか?それとも複数あるか?」
「後者ね。現状あなたに聞きたいことは増えるかもしれないけれど、二つだけよ」
「そっか。じゃあ、それは俺と俺の刀に関することか?」
その質問をした時、ふっと木皿儀が笑った気がした。まるでその質問が飛んでくるのを待っていたかのように、理解していたかのように。
「ええ。ではなければわざわざあなたをこんなところまで連れてはこないわ。こん人気がないところになんて」
答え合わせは終了。木皿儀の言葉に嘘はない。その全てが本音のようだ。今のやり取りで木皿儀の意図は大体把握出来た。だが、俺では木皿儀の知的欲求を満たすことは恐らく出来ないだろう。と、なれば木皿儀の中で話題と化しているこいつに直接頼る他ないのだが、こんなところで無闇矢鱈に出す訳には行かない。
代表戦の時はどうにか大きな被害を出さなかったようだが、今度もそうなるとは限らない。
「そろそろいいかしら?」
しびれを切らしたといった様子で木皿儀は髪を搔き上げ俺を見る。
「満足のいく答えが得られなくてもいいか?」
「問題ないわ。私自身が納得出来ればそれでいいもの」
言質は取った。こいつに頼るくらいなら俺の知っていことを知っている範囲で隠さず木皿儀に話す方がいい。
「まず一つ、代表戦二試合目から三試合目にかけて。あの時、戦っていたのは誰?」
誰、と聞かれてなんと返すのが正解なのだろうか。俺自身こいつについて何一つ分かっていないし。せいぜい分かっていることといえば、刀を握ることでこいつと意識が入れ替わってしまうということくらいだ。
せいぜい分かっていることと言えば、容姿と名前くらいだろうか。
「正直いえば俺も知らないんだ」
「知らないってどういうこと?」
「俺であっておれじゃないって奴かな。まあ、二重人格的な?そんな感じだ」
苦笑気味に答えると木皿儀は顎に手を置き何やら考え込む様子を見せた。
「二つ、入れ替わる条件は何?」
「今は無理だけど、刀を握ることかな。握った瞬間、否応何にこいつと入れ替わる」
「そう。刀は何でもいいのかしら?それともあれだけ?」
「あれだけだな。何なら証拠見せてやろうか?」
「是非、お願いするわ……!」
余程興味津々なのか木皿儀は僅かに目を輝かせながら一歩距離を詰めて来た。年相応、ギャップもいいところだな。
「じゃあ、刀出してくれ」
「ここで?訓練場以外での刀の顕現は確か校則で禁止されているはずよ」
「確かにな。けど、こうも書いてある。『どうしても必要な場合にのみ、最低限の制約を持って訓練場以外での刀の顕現を許可する』と。今がそのどうしてもの時だと思うけど?」
「……あなたって意外と悪いのね。砂砂良くんのせいかしら」
呆れ小さくため息を零しながら木皿儀は渋々自分の刀を顕現させる。ろうそくの火のようにオレンジがかった赤色が特徴的な刀身を持った刀だった。
「これでいいかしら?」
「ああ。借りてもいいか?」
「ええ」
そうして木皿儀の手から刀を受け取ろうとした時、
バチッ!
「っ……!?」
俺の手に触れた瞬間、刀との間に小さな電気が走り弾き飛ばされるように地面に落ちる。
「これで分かっただろ?俺はこいつ以外の刀を握れないんだ」
「そうだったのね……。よく分かったわ」
木皿儀は刀を仕舞いながらそう返す。
「これで二つ。もういいか?」
「最後に一つだけいいかしら?」
言ってた通り一つ増えたな。まあ、一つ増えたところで答える疲労に違いはないが。
「何だ?」
「あなたはどこでその刀を手に入れたの?召刀の儀でこんな刀出ていたら教員が見逃すはずないわ。となるとここに来るずっと以前に手に入れたことになるわよね?どうなの?」
分かってはいたけれど、とうとうそこに触れるか。聞かれたからには答えるのが筋と言うものだが、事この疑問に関しては固く口を噤みたい気持ちに襲われる。
言いたくないし、思い出したくもない。話していい話でも、聞いてて気分のいい話でもないからだ。
上手く表情に出さないように努めているが、見えない部分、心中は酷く乱されていた。
「……答えられない……かしら?」
「ああ、悪い。そのことについては話したくないんだ」
「そう。なら、仕方ないわね」
納得のいく説明をしたつもりはないのに木皿儀はあっさりと身を引いた。そのことに驚いて、思わず聞き返してしまった。
「いいのか?」
「ええ」
すると木皿儀はサラッと肯定する。
「人間誰しも話したくないことの一つや二つ抱えているものよ。私は相手の心を犠牲にしてまで自身の疑問と欲求を満たす趣味はないの。それにある程度の答えは得たわ」
「そっか。……悪いな」
「何に対する謝罪かしら?」
「用事あったのに時間取らせたからさ。悪いなって」
「特に急ぎの用事という訳ではないから問題ないわ。……それにあなたとの会話はそこそこに楽しめたわ」
「……っ」
夕日に照らされた木皿儀の横顔に自然な笑顔がよく映えた。そのあまりの儚さに一瞬だけ見惚れてしまう。
息をするのも忘れるとはまさに今の俺にぴったりな言葉だ。
「何かしら?」
顔を凝視された木皿儀はすぐにさっきまでの冷たさを感じさせる表情へと戻り、目を細め懐疑的に俺を見た。
「……あ、いや、悪い」
慌てて顔を逸らし夕日の方を見る。今なら夕日の赤のおかげで頬の紅潮には気付かれないだろ。
木皿儀の笑顔が脳に張り付いてまともに顔を見れない。
「?」
首を傾げている木皿儀の姿が視界の端に映り、そちらに視線が引っ張られそうになるのを気合で止める。
俺、ちょろいなぁ。
「まあ、いいわ。時間を取らせたのはこちらも同じだし、今日は付き合ってくれてありがとう」
「ああ……うん」
「私は用事があるからもう行くけど、あなたも早く行った方がいいんじゃないかしら?」
言われて時間を見る。木皿儀と話していただけで三十分近くが経っていた。すぐに行くと言って三十分。大嘘つきにもほどがある。
圭地たち待ちくたびれて怒ってるだろうなぁ。
「ああ、そうだな」
重い足を動かして保健室へと向かう。
「篠町くん」
そんな俺を止める声。何事かと振り返ると小さく手を振っている木皿儀が目に入る。
「また、明日」
それだけ言うと木皿儀は背を向け本校舎の方へと歩いて行った。
「……また、明日」
遠のく背中に手を振り、誰にも聞こえない声で返す。
「行くか」
さっきまでの重い足取りはどこへやら。不思議なくらいに軽くなった足で俺はまた保健室を目指すのだった。
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