第五章 羊魔老ナギ。 第二十八話 カマドウマ。
始めに異変に気づいたのは、子供の誕生日を祝っていた男だった。興奮する子供を漸く寝かしつけ、ケーキの食べ過ぎで裏返りそうな胃を落ち着かせようと、夜風に当たりにきたのだ。普段通り、岩穴の街は夜になっても熱気が取れず、しかし夜風は澄んで冷たく心地よかった。薄暗い裏庭から眺める月明かりに浮かぶ断崖絶壁が男は好きだった。 小さなころから慣れ親しんできたのもあるが、それだけが原因ではなかった。今でも初めてこの絶壁を認識した日のことを覚えてる。ある日突然、裏庭から続く断崖絶壁が途方も無い高さを持っていることに気が付いた。あまりに高いその頂点を見ようとしてひっくりかえったのも、母が優しく助け起こしてくれたのもしっかりと覚えている。父にせがみ、断崖 絶壁の上へと、恐ろしい魔術師が住んでいる灰色の塔があるところまで連れて行ってもらったのも覚えている。今は二人とももう居ないが、この絶壁とともに何時迄も自分の魂のそばに居るのだと男は信じて居た。愛を込めた男の眼差しの先で、崖の陰が揺らいだ。何だろう?と思わず言葉が零れた時、偶然、彼の大切な妻が裏庭に出てくる。洗い物が終わったのだろう。
どうかしたの?
いや、崖が……
ほんと、崖が好きねぇ。飽きないの?
いや、そうじゃなくて、と言いかけた男の頭の天辺から黒い波が覆いかぶさった。男はゆっくりと倒れ込んだ。暗がりに目が慣れて居なかった妻は何が起こったか分からず、心 配そうに声をかけながら、男に近づく。雨かとおもった。最初、彼女は。しかしすぐにそれは大切な夫から吹き出していると気づき、黒い何かが夫を覆いつくし、
ぶちぶち、めきめき、ぽきくちゃ……
それが血であることに気が付いた妻は、同時に夫が無数の虫に食われ息絶えようとしているのだと知った。悲鳴を上げようとしたところで自分の足が食われ足首が食いちぎられ倒れ込み歯も舌も喉も食いつかれ悲鳴を上げることさえできずに息絶えた。
彼らの大切な子供たちは、この時は、カマドウマの餌食にならずにすんだ。そして両親を襲った悲劇を知らないまま、死ぬこととなる。
もうすぐ街を覆い尽くす、混乱と狂気の中で。
呪われたカマドウマの群れは、静かに街を下り、途中出くわした不幸な人々を、家畜を、餌食にしながら目的地へと進んでいく……。
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