エピゴーネン

幾太

とある店

彼は生粋の「エピゴーネン」であった。いや、こればかりは「狡猾(こうかつ)」と表した方が言葉として彼に綺麗に当てはまる。


「そういえばこんな話をご存知で?」

酒を持ってきた亭主が接待が落ち着いたか、調子よく話しかけてきた。

彼は以下のように微醺(びくん)をもって話した。

一昔前なんだがね、と言っても4、5年前になるのかな?僕はとある所謂(いわゆる)「エピゴーネン」とやらを見まして。いや、それより「狡猾」というふうに言った方が、言葉として正しい。

先刻(せんこく)言った通り彼は「エピゴーネン」、模倣(もほう)を得意としているんです。ある時は、絵を。ある日は、思想を。またある日は、美味なご馳走を。ひとつのものに拘泥(こうでい)せず様々なものを、模倣しては他者に、あたかも自分が産み落としたかのように振る舞うのです。大層なものを模倣しますんで、もはや尊敬に値する程でございます。

とある日エピゴーネンの彼(以下「彼」と呼ぶ)は、街を浮浪(ふろう)しておりました。すると右手に、ずらずらと瀟洒(しょうしゃ)な絵が羅列(られつ)されていました。絵柄は全て同じようで、店頭に立っている老いた男が描いたとひと目でわかりました。彼は頭の回転が随分(ずいぶん)早く、すぐに模倣を思いつきました。それから彼は棚に右から左へ目を配って行きました。すると他の絵と比べて大分余っている絵がございました。

「ははーん。棚パンパンに詰まっておられる。さては誰1人として買っておらんな。」

彼は何を思いついたかその絵を1枚ほど手に取り、店頭の老いた男に銭を渡しました。途端彼はくるっと身体を回転させ、家路を辿り始めました。右前から歩いてくる老人に声をかけられても応えず、足早に家に入っていきました。家の中は大層汚れていて、大抵のものは埃を被り、階梯(かいてい)はぎしぎしと音を発し、蛇口だって乾ききっておりました。ただ、彼の家の2階の書斎のような場所はどことなく溌剌(はつらつ)とした空気が漂い、清いそよ風が絶え間なく吹き込んできては窓掛(まどかけ)を撫でていました。彼は正面の机に直行し、絵具の準備を始め、先刻買った絵と白紙とを見比べながら、丁寧に鉛筆で模倣していきました。ですがただ写すだけでなく、本来赤でしたところを黒で塗ってみたり、爪を長くしてみたりだとか細かなオリジナリティを随所(ずいしよ)に施していきました。これがきっと彼が「狡猾」と言われる所以(ゆえん)なのでしょう。完成したのは正午過ぎでしたでしょうか。できた途端に彼は家を飛び出し、平生(へいぜい)友人が集っている居酒屋に駆け込みました。そこで彼は

「見ろ、また新しく絵を描いた。なかなかによくできているだろう。今朝は頭が冴えていてな。」

と調子よく皆に話しました。それに皆は微醺な為、煽(おだ)てるように彼を上げました。それにまた調子に乗り、どれ程の期間で仕上げたか、どう描いたか、更にはどうアイデアが生まれたかを捏造(ねつぞう)し話し始めました。これには友人たちも面倒だと察し、1人の友人が些少(さしょう)の銭を彼に渡して絵を奪取(だっしゅ)しました。それから結局1時間程たったでしょうか、自慢に満足し彼はまたまたふらふらと家に帰っていきました。

ある日彼は飯屋で店の中で1番安い飯を一心不乱に頬張っていました。すると右隣にひとつ開けて2人組の男が話しています。大分大声だったので先刻ほどから気になってはいました。いざ耳を傾け聞いてみますと、ある「思想」について語らっていました。纏(まと)めるとこうです。男は何かしら書物を読んでいて、そこに記してあった思想がなかなかに自分と合致したらしいのです。その思想というのが…はて、記憶に遠い。今では朧気(おぼろげ)です。とにかく、その男が堂々たる口調で話していたもんですから、彼は勿論(もちろん)、模倣をしました。酔っては友人に話し、異論を口にすると憤怒(ふんど)する。そんな面倒な仕方をされてしまっては友人も堪らず、今度からはもうその居酒屋には友人はきませんでしたと。

こりゃ最後になるんですけどね、ご馳走。所謂ディナーとやらなのですが、これがてんで美味しくない。ああ、申し訳ない、模倣元は美味なものでございます。ただ彼の作る料理はなかなかに酷い。惨憺(さんたん)たる様相をしてらっしゃる。口に放り込むのも躊躇(ためら)います。彼の家の台所は少し前まで乾ききって食器なども罅(ひび)を伴っておりました。そんな状態で料理を始めるものですから、皿は割れ、水道も薄汚い水を持って来てしまい、てんてこ舞いです。そんな過程を経てできた飯は本当に酷い。米は戞戞(かつかつ)音がなり、ほうれん草には泥が、その他調味料も揃っておらず不安定な味をしていました。いざ作った本人が食べてみますと、自身でも分かるような地獄。相当不味かったらしく即座に吐き出してしまいました。これには流石に心を傷つけられたか彼は料理をその後暫(しばら)く作りませんでしたと。


「はっはっは…ざまぁ無いよ。」

私は嘲笑(ちょうしょう)を放り投げた。

「ふふ…お恥ずかしい」

亭主も笑った。

「なんだ、やけに自嘲的(じちょうてき)では無いか。」

「気づきませんでしたか、実はこれ私のお話です。」

私は驚嘆(きょうたん)を隠せず呆然(ぼうぜん)と口を開けて机に並んだ冷奴(ひややっこ)を見つめた。

「この話を聞いた者は皆途中で『お前さんだろうか。』と口を挟むのです。」

「そうか、なるほど詳細を知っている。さて、どうして居酒屋を。その後彼は暫く作らんと。」

「『暫く』です。模倣したものが悄々(しょうしょう)金になりましたんで。家の修繕だとか、衣替えだったりとかを段々と人並みにできるようになってきて、今日居酒屋を営んでおります。」

「まさかな、驚いた。なかなかに綺麗だのに。よくここまで。」

模倣したもので生きる彼はなんだか生き生きとしていて、背筋が凍(い)てつき酒を飲む手も止まった。

「この酒も、冷奴も模倣か。」

「嫌だなぁ、オリジナルです。」

「なんだ、酒や冷奴に模倣も何もあるか。」

「はは、これは1本取られた。」


戸を開け、息さえ凍る街中に自身を放り込んだ。街のネオンが眼に映れば先刻の恐怖体験だって明るく光彩(こうさい)を放っていた。その晩の家路で見る人の大抵を私は信ぜられなかった。またすれ違う人々も然りだろう。そんな不信な酒が交わされる夜の街は私を一時だけ愚昧化(ぐまいか)してくれる存在だ。このなんとも大きい罪悪感に恍惚(こうこつ)があり、陶酔(とうすい)があり、また模倣がある。私だって亡き兄が遺(のこ)した夜の街の酒を毎週忘れず模倣する。先刻の背筋の凍てつきはなんだったのだろう。そんな思いが、また私を夜の街に追いやる。

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エピゴーネン 幾太 @wara_be

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