土台叶わぬ恋
枯れ尾花
第1話 神様の悪戯
「きりーつ!きおつけぇ!れい・・・・・・・・ちゃくせきぃー」
静謐な教室に木霊する元気な声。
鳥のさえずり、自転車のキックスタンドを蹴り上げる音、そして木々の揺れ。
まるで日常の音とダンデムしていると言っていい。
そんな始まりの音に僕は体を火照らす。
下半身の辺りからゾワゾワと何かに侵食されるように名状しがたい何かが広がる。
そろそろ認めなければいけないのかもしれない。
このバカげた衝動を。
「それでは今日は・・・・・・・・6月11日なので・・・・11番の小林さん!お願いしまぁす」
「はい!」
元気よく返事した彼女はその勢いのままに席を立つ。
僕の体はそんな彼女とは裏腹にその瞬間メキメキと音が鳴る。
だいぶ脆くなってきたらしい。
閑話休題。
小林さんはこのクラスの学級委員長である。
容姿端麗、頭脳明晰。
何事も一瀉千里に行う彼女は負け知らず。
この齢にして達観した物の見方を身につけていた。
しかしその才能は時として悲劇を生むわけで。
周囲との大きな差から生まれるのは嫉妬やらなんやら。
そこから発展して疎外、陰口・・・・そしていじめ。
現に威風堂々と教壇まで歩く彼女を一瞥するクラスメイトやひそひそと陰口にいそしむものは僕からでもすぐにわかる。
「いてぇ!」
僕の足を誰かが蹴る。
僕はすぐに蹴られた方向へ振り返った。
「おい!蹴るなよ、佐藤!」
「ちっ!お高くとまりやがって」
このクラスでは朝の会と呼ばれる、授業が始まる10分前に先生が連絡事項を告げる会がある。
先生が連絡事項を告げ終わった後、『先生あのね』と呼ばれる前日にあった出来事などをスピーチする催しがある。
それは楽しいことやうれしかったこと、もしくは日常の些細なことなどなんでもいいから1分間みんなの前でお話しするというこの時代らしい生徒主体型の教育の一環だった。
「先生あのね。私は昨日夢を見ました。遠い遠い星になる夢。足元に広がる沼に耽溺して体中が発光する。自分自身が発光しているのに私の視界は夜のように深い闇。私自身は夜であり、他人からは星の私。その矛盾に貫かれた体は思うように動かない新機軸の世界。でも何かが抜け落ちたこと、そしてそのおかげで体が軽くなったことに嬉々としている。抗うことはできない。助けを呼ぶことだってできない。なにしろ喉が空洞になっていたから。白磁のような床でただただのたうち回るだけ。そして・・・・・・・・目が覚めると・・・・・・・・」
小林さんのスピーチを最初は肘をついたりこそこそと隣同士で話していたクラスメイトは次第に彼女の夢に引き込まれていた。
不気味で奇妙で摩訶不思議。
抽象的で核心を得ない彼女の話。
そんな夢を語る彼女の顔は何かに取り憑かれたように目が据わっていて、それでいて何かを覚悟したような。
怪異に例えるならそれは鬼のよう。
クラスの中の誰とも目が合わない、どこか彼方を見ている。
ほくそ笑む口元からまた続きが紡がれ始めた。
「・・・・・・・・まぁただ寝違えて体中が痺れてただけなんだけどね。いやぁ恥ずかしい。そのせいでうなされてたのかなぁ?」
彼女は普段の根明な笑顔を浮かべ、ドジを告白した。
森閑した教室から言葉が解放され、笑顔が戻る。
精悍な顔立ちをしていた先生から「ありがとうございました。さすが小林さんね。オチまで考えられてすごいじゃない」とお褒めの言葉をいただいていた。
クラス中が歓喜に溺れ、視野狭窄になるさなか僕だけは見えていた。
というか常に僕の視界には映っていた。
・・・・・・・・小刻みに震える小林さんの足が。
そう、彼女は怖いくらいに要領もよかった。
彼女の机の上にはいつも何もない。
筆箱もノートも教科書も。
息苦しい学校生活の中で何故か彼女の上だけは解放感に満ち溢れていた。
だからと言ってそれは諸手を上げて喜べるものではなく、むしろ悲しい才能だった。
出会った当初は周りの生徒たちと同様に机の上は煩雑していた。
とは言え、女の子である。
ピンク、水色、ライトグリーン・・・・・・・・みたいな淡い色がもはや目に濃く残るくらいに敷き詰められていた。
何たる矛盾。
どれだけ淡くともたくさんあればもうそれは淡くない。
・・・・?
とにかく目にはよくないということが言いたい。
閑話休題。
いつからだろう。
始まりは唐突だった気がする。
最初は宿題プリント。
その次は消しゴム。
その次は筆箱。
その次は・・・・その次は・・・・その次は・・・・その次は・・・・その次は・・・・その次は・・・・
そして何もなくなっていった。
まるで等活地獄。
笑えるのは序盤だけ。いや、序盤ですら常人は笑えない。
外面を気にする彼女にとって問題事は死活問題。
要領のいい彼女にはたたらを踏むことさえ許されなかった。
模範少女。
彼女の立ち位置はまさにその字のごとく。
先生に報告するということだってできただろうに。
でも彼女は何もしなかった。
何でもない風を装った。
根明な笑顔を絶やさなかった。
そんな笑顔が僕には能面のように張り付いている気がした。
僕はそれを見ることしかできなかった。
震える彼女を感じることしか出来なかった。
僕という存在は残念ながら足手まといにもならない存在だったからだ。
僕の体のように・・・・・・・・
怖いくらいに要領がいい。
彼女は机の上に何もなくとも授業についていくことが出来た。
『度』というのは基本的に超えない方がこの日本では生きやすいらしい。
肝だけは『度』を抜かれると、とんでもなく猟奇的で殺伐とした言葉になってしまうけれど。
閑話休題。
次は・・・・の連鎖の途中、彼女はおそらく気づいたのだろう。
いつか教科書がいかれるということに。
そして彼女は実行した。
・・・・・・・・容姿端麗、頭脳明晰、極めつけに要領がいい。
彼女は事前に教科書を模写していたらしい。
・・・・・・・・嫌な予感はよく的中する。
というか今回の件についてはもはや予定調和だったのかもしれない。
やはり彼女の教科書は至る所のごみ箱に捨てられたらしい。
ある日彼女の机の中にズタズタに刻まれ汚れ切った教科書が入っていた。
その後、そのかつて教科書と呼ばれていた紙の束は放課後、彼女の手によって名前の部分を黒く塗りつぶされ、どこかへ消えた。
問題事は死活問題。
それらの教科書はどこかに埋められたのか、流されたのか、はたまた燃やされたのか。
真実は分からない。
けれどもうどこにもないんだろう。
異変にはすぐに気づいた。
慄然とした『先生あのね』が終わり少しした頃、1時間目開始のチャイムが鳴り授業が始まる。
訥々と聞こえていた雑談もその瞬間にピタリと止まった。
「きりーつ!きおつけぇ!れい・・・・・・・・ちゃくせきぃー」
小林さんの声がその森閑した教室に轟・・・・・・・・かなかった。
学級委員長の仕事の1つである号令。
何事にも真摯に取り組む、真面目で律儀な彼女がこの日初めて号令を忘れた。
晴天の霹靂。
僕の体が青龍偃月刀で切り刻まれ廃材とされたかのような衝撃が走った。
「小林さん。小林さん。号令、忘れてるよ!どうしたの?」
僕は必死に声をかける。
だが届かない。
それもそうだろう。
だって・・・・・・・・
「小林さん。号令、お願いします」
見かねた先生が小林さんに声をかける。
その声に応じ彼女は「きりーつ!きおつけぇ!れい・・・・・・・・ちゃくせきぃー」と普段通り言った。
普段通り。極めて普段どおり。
極めて。極めて。極めた先にあるのはロボットのような心に左右されない作業じみた行動、言動。
それは心に左右されないばかりか、心そのものがない。
もっと早く。もっと早く僕以外の誰かが気づくべきだったこと。
すでに彼女の心に迷いはなかったみたいだ。
時間はまるで川のように自然に流れ、昼食をまたいだ。
その間彼女はまるで置物のように、されど僕と2人きりの濃密な時間を過ごした?
懸想しているのは僕だけか。
僕の一方的な片思い。
華奢な体と小さなお尻が僕の体と触れ合う。
僕の冷たい部分に時折彼女の小さな手が触れる。
その瞬間、僕のその部分は恥ずかしげもなく火照り、後ろへ下がる。
リノリウムの床を滑りながら。
閑話休題。
彼女の昼食は今、何もない机の中へしまわれている。
汁物から何から何まで全て。
前述したとおり彼女は華奢で、その見た目通り食は細い。
昼食を食べる時間は人より少し長くかかるものの・・・・・・・・普段は残さずすべて平らげていた。
「小林さん、少しくらい食べないとつらいよ。この後だってまだ2教科残っているんだから。」
返事はない。
いや、返事はなくていい。1口でも食べてほしかった。
しかし彼女はまるでこの世界から乖離したような落ち着きと虚ろな表情を崩さなかった。
社会、国語が終わり苛烈な眠気から覚めたクラスメイトたちはワーキャーと騒ぎ始めていた。
今日どこで遊ぶか、何をしようか。
各々が勘案し、意見をまとめる。
そんな中僕はクラスメイト達の狂喜乱舞によって生まれる振動に身を任していた。
つまりは暇。特に何もすることがなかった。
「皆さん。静かにしてください」
先生の怒声交じり声が響き渡る。
しかしそんなことで収まるはずもなく。
先生はため息を1つこぼし、強引に終礼を推し進めた。
事務作業でも残っているのだろう。
こういう場面で叱らないといった優しさは甘えだ。
こういう場面で叱れないのは弱さだ。
こういうやつからはいろんなものが零れ落ちる。
こういうやつは零れ落ちてからしか気づかない。
こういうやつの手からは何も生まれない。
残酷な未来の残滓に泣き崩れる自分を肴に酔いしれることしか出来ない。
運命には抗えない。
僕には彼女に安い同情しかしてやれることはなかった。
閑散とした教室。
僕が1人きりでいる時間。
空は徐々にオレンジ色になるのと裏腹に、少しずつ空気が冷える。
カラスの鳴き声がどこか遠くから、されど鮮明に僕の中に入ってくる。
・・・・・・・・これが普段の放課後。
でも今日は違った。
閑散とした教室に僕と彼女。
本来1人きりの時間に2人きり。
空の色に染まるかのように僕の体は火照る。
カラスの鳴き声は聞こえない。
感じるのは彼女の鼓動。
心臓がポンプの役割を果たしている音。
彼女はまだ生きている。
「小林さん。今日は帰らないんだね」
「はぁ。ようやく1人になれた」
「そうだね」
「何かに期待するのって本当に疲れるのね。知ってたんだけど。そう思うたびに次は期待しないようにしようって思うのに」
「そうだね」
「自分勝手だよね。わがままだよね。1人で生きるって決めたのに。誰にも迷惑かけないようにって思ってたのに。やっぱりどこかで誰かがって思っちゃう」
「仕方ないよ」
「でもね、でもね。それも今日で終わりにするんだ」
「終わり?」
「この腐った世界に、この腐った箱に初めての仕返しをしてやるの。清廉な私の体を使って、私を厭う輩にプレゼント。満天の星より私たち人間は1つの超新星を欲しがるのよね。光芒だって残さない。一瞬。その方が私も楽だしね」
「そうなんだ」
僕には何かを変えることも、ましてや何かを言うこともできない。
そんな僕に彼女の決意を曲げることなんて到底不可能だった。
だからこそ僕は彼女を見届ける。
僕だけは彼女に最後まで寄り添う。
僕だけは彼女を肯定する。
だって僕は彼女のことが好きだから。
だから僕も期待する。
叶わないわがままを願う。
「好きだよ、
「椅子さん、最後までありがとう。そしてよろしく」
茫洋とした世界の小さな箱の中に大きな、そして潰れた叫び声が木霊する。
足元に真っ赤なコールタールのようなものが流れた。
その液体は妙に生暖かく、僕の冷たい部分を温める。
小さな背中が僕を大胆に占領した。
彼女は初めて僕に体を預けてくれた。
僕は彼女の燐光を最後まで見届け、そして彼女の下へ向かった。
強がりで見栄っ張りで脆い彼女の最後を見届ける。
僕は彼女の未来を創る。
今度は優しい世界で。僕と一緒に。
土台叶わぬ恋 枯れ尾花 @hitomu
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