掬えなかった水

麻木香豆

第1話

 とある専業主婦がいた。化粧気もなく、引っ詰め髪でベビーカーに赤ん坊、片方の手には手を繋いだり離したりのヨチヨチの歩きたいけど抱っこもしたい男の子と共に街を歩いていた。買い物の帰りであろう、大きな袋をベビーカーについているフックにかけて重くなったベビーカーをひいている。

 アンバランスなベビーカー。今にでも倒れてしまうのだろうか、でも行き交う人々はそれには目をやろうとはしない。


 その時だった。歩いている男の子が転んだ。大きく泣き叫んだところでようやく近くの老人が駆け寄るが、それに気を取られてベビーカーがロックがかかっていなかったのであろう、大きな荷物をぶら下げているのにも関わらずに反対方向に動いたのだ。母親も老人も気づかない。


 がしゃん


 その音でようやく母親は振り向きベビーカーが移動してしまったということに気づいてさらに倒れてしまったことに気づく。

 が、その倒れたベビーカーを自分の体で庇った人がいた。音はベビーカーにぶら下がっていた買い物の荷物が落ちた音。


 それを庇った人は真新しい制服を着た若い警察官であった。

「ほぎゃぁああああああ」

 赤ん坊の声に母親は周りの人は集まる。

「よかったぁ。助かったなぁ」

 とゆっくり身体とベビーカーを起こして赤ちゃんを覗き込む警察官。彼はまだ新人でここに赴任してきたばかりの冬月シバというものである。

「大丈夫ですかっ……ありがとうございます……」

 その母親は冬月に深々とお辞儀する。

「大丈夫、俺は。それよりも赤ちゃん抱いてあげて。泣いてるよ」

「あ、ああ……花ちゃん、花ちゃん」

 冬月に頭を何度も下げながらようやく我が子をベビーカーからベルトを外して抱き上げた。


「わぁあああああん」

 赤ん坊ともう一人、先で転けた彼女の息子も泣いている。冬月は頭を撫でてやる。


「大丈夫大丈夫。少し擦りむいただけだから、お兄さんの持ってる自然ジャーの絆創膏貼ってあげるから泣き止んで」

 とにかっと笑うと男の子は泣きながら冬月を見てこう言った。


「自然ジャーはもう終わったよ」

 意外とはっきりというものだから冬月はエッという顔をしたがすぐに笑い、傷口を見て絆創膏を貼る。そこまで血は出ていない。


「そーなの? すぐ変わるねぇ。最近薬局で安かったから買ったんだけどそういうわけか。お兄さんは君よりも大きいからそういう番組をあまり見ないんだ。はい、これで君の傷口は守られた。おうち帰ってからちゃんと消毒してもらうんだな」

「ありがとう」

「どういたしまして、えらいぞちゃんと返事ができて」

 気づけば男の子は笑顔になっていた。母親は赤ん坊を抱きながら再び冬月に頭を下げた。

「そんなに感謝されるほどではありませんよ。この辺は凹凸が激しいから今日みたいに買い物されるのであれば少し遠回りになりますが裏道を通るといいですよ。それに買い物タクシーをお子さんをお持ちの方は……」

 と冬月が言ってるさあか、母親は首を横に振る。


「タクシーだなんて……これくらい平気です。ご丁寧にありがとうございました」

 とか細い声で再度お礼をする。冬月は立ち上がりベビーカーに荷物をつけてやり、ベビーカーを支え母親が赤ん坊を乗せたのを確認する。

「では、お気をつけて。お兄ちゃんもしっかり歩きなよ」

「うん!」

 すっかりもう笑顔だ。母親は眉毛を下げてペコ、と頭を下げた。


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