第2話 招かれざる依頼人
アパートの中はほとんど空き家と変わらないほど閑散としていた。どうせ仮住まいだ。警察に嗅ぎつけられたら場所を変えなきゃならない。
置いてあるのはテーブルと仕事をしている風に装うためにファイルを入れた本棚。それからコンビニ弁当を温めるための電子レンジくらい。こいつも少しの間、休暇になるかもしれない。なんていったって久しぶりの大金が入ったんだからな。
「さて、今日は何を食いに行くか」
寿司か、ステーキか、それとも焼き肉か。高そうなワインをボトルで買ってくるか。
そんなことが頭に浮かぶ。三食菓子パンと半額弁当の生活は少しの間忘れよう。
なんでも屋とは言っているが、殺しの依頼を受けないとなると、依頼の数はそう多くない。それに犯罪を依頼するやつらなんてどいつもこいつも血の気が多くて気が短い。そのせいで今日のように途中で契約が打ち切りになることはよくあることだった。
「今回はバカみたいに羽振りよく前金出してくれたからな」
今度から前金の最低額をつけようか。そうすれば勝手に契約を解消されても食い
その時だった。
地震でも起きたかというけたたましい音とともに、鍵をかけていたドアがぶち破られる。それと同時に大量の水が津波のように襲いかかってきた。
「警察のくせして容赦ねえな。はずれだったら弁償すんのか?」
水魔法の津波を障壁で
「——疾れ、鮮血の咆哮」
さっきはザコの依頼人相手だったんでちょっと控えめだったが、魔法警察相手なら部屋が壊れない程度にぶっぱなしても構わないだろう。体に巻き付けるように構えた右手を大きく薙ぎ払う。
「
結界を張ったアパートのドアをぶち破るくらいだ。何人がかりで来たのかは知らないが、不意打ちが成功しなけりゃ所詮ザコの集まりだ。ドアの破られた空間に向かって赤い牙が
「さて、今日は何人で来たんだ?」
破られた玄関から顔を出す。その瞬間、俺の体が水でできた鳥かごのような牢に包まれた。
とっさに魔法で破壊しようと薙ぎ払ったが、形を持たない水はすり抜けるように血の牙が混じり合っていくだけだった。
「バカな、俺の魔法で破れないなんてあるか?」
魔法使いを取り締まる魔法警察の中でも、俺たちのような賞金首を狙う奴らは指折りの強力な魔法を持っている。そんな奴らが束になって襲ってきても、俺は後れをとったことなんて一度もない。
その俺の魔法が、ぶつかって弾けるでもなく一方的に打ち消された。
「噂以上の力だな。
スーツ姿の四十歳ほどの男がズレたサングラスを戻しながら、溜息交じりに俺の二つ名を呼んだ。
悪名高い賞金首には魔法警察から二つ名がつけられる。隠語としての役割を持ちつつ、犯罪者と同じ名を持つ魔法使いを無関係な非難から守る意味もあるらしい。
俺は家族を捨てる前から持っていたダンという名前を使っているが、俺を追ってくる警察やら賞金首狩りたちからは
サングラスの奥にある瞳は俺のことを鋭くにらみつけている。その顔に俺は覚えがあった。
「魔法警察はついに
「関係ない。私は君に依頼をしにきただけだ」
「水原家の当主、
たっぷりと嫌味を込めて言った俺の言葉に天河は何も答えない。
魔法界を牛耳る名家が四つある。
政治、学問、スポーツ、宗教。それぞれの分野で力を持ち、魔法界だけでなく非魔法使いの社会でも強い影響力を持っている。それらをまとめて四秀家と呼ぶ。
「君はなんでも屋なんだろう? 断ると言うのなら、このまま二度と戻れぬ牢獄の奥深くに幽閉して、死を待ってもらうだけだが」
「どっちが悪人がわかったもんじゃねえな」
もう一度、水牢に魔法の牙を突き立てるが、先刻と同じように溶けて消えるだけだった。油断していたとはいえ、この状況から逃げ出すのは簡単じゃない。
「わかった。依頼を聞いてやる」
「物分かりがよくて助かる。では行こうか」
天河が指を鳴らすと、俺を捕らえていた水牢がただの水の固まりになって俺を包み込む。息が止まるかと思ったのは一瞬で、水からもがき出て空気を吸い込むと、見慣れたアパートの前から、コンクリート建ての一軒家の前に出ていた。
シンプルで飾り気はないが、機能的で無駄がない。そしてやたらとデカい。まるで学校みたいだった。
教育界に強い影響力を持つ水原家らしい、論理的機能美な家なのだろう。
しかし、転移魔法か。俺も何度か研究したことはあったが、結局完成には辿りつかなかった。それをこの男はあっさりとやってのけた。四秀家の名前はただの飾りつけた看板というわけでもなさそうだ。
「さぁ、こっちだ」
「もう檻はいいのか? 手錠でもかけるか?」
「ここは水原家の土地だ。強力な結界で守られている。私の水牢を破れない君では脱出は無理だ」
好き放題言ってくれるが、さっきの水牢を破れなかったのは事実だ。真正面からやり合うのは分が悪い。まぁいい。依頼というからにはちゃんと報酬は出るんだろう。せいぜい大金をせしめてから、大手を振って逃げてやればいいさ。
いったん諦めた自分に言い訳をしながら、俺は天河の後を慎重についていった。
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