君の皮を剥がしにきた
藍ねず
君の皮を剥がしにきた
誰しも秘密はあるものだ。人に言えない趣味、性癖、嗜好、経験、裏面、正体etc…。そして誰しも、他人の秘密は暴きたくなるものだ。
見えてるものには興味を抱かないくせに、見えないものは剥いでも見たくなる。なんとも凶悪な思考であるが、他人の不幸は蜜の味ともいうのだ。他人の秘密は酒の味でもするのだろう。酔って判断力が低下したまま白黒つけようとするのだから標的にされた者は堪ったものではない。
かく言う私も、現在進行形で自分の秘密を暴かれそうになっている。普通に生活していた筈なのだが、どこでどう間違ったのか。いやはや、人間とは暇潰しレーダーが敏感にできている生き物だ。
「ねぇ、あれって
「でしょうね。気にしたら負けですよ」
職員室へ向かう道中、隣にいる笹井だったか笹野だったか忘れたが、取り敢えずよく一緒にいるクラスメイトに確認される。彼女はげんなりとした顔で私の後ろを見ていた。私からすれば背後のストーカーも君も同レベルでどうでもいい。私にとっては高校生であり人間の括りに入れてしまっているのでね。
「やめろって言わなくていいの?」
「別に実害はありませんから」
「潮ちゃんはいつもそうだよね。なんていうか、マイペース?」
「誉め言葉として受け取っておきますね、笹ちゃん」
「その絶妙な距離感を感じる敬語も何とも言えない」
「癖なんですよね。こちらも気にしないで下さい」
通常営業の笑みを向ければ、笹という漢字がついた筈の同級生はため息を吐いた。何度か提出用のノートで叩かれたが痛くも痒くもないので無視しよう。
それより私は、君の頭頂部に張り付いている赤黒いクラゲの方が気になるのだ。
昨日よりデカくなってるな。そろそろ食べてもいいだろうか。美味しそうだなって思ったら腹が鳴るので考えないようにしよう。宙を漂うクラゲ共はさっさと対象に憑きなさい、おやつとして食べちゃうぞ。あ、涎でそう。
彼女は職員室の国語教員の元へ向かい、私は廊下で待機した。待機するならどうして職員室に来たかと言われれば、笹ちゃんに頼まれたからだ。人間とはつるまなければ生きられないのだろうか。まぁいい。
私の視線は今しがた通ってきた廊下に向く。昼休みで生徒がそこそこいる訳だが、その中でも異様にこちらを凝視している奴がいた。
真剣な面持ちの男子生徒。上履きの色から見て学年は一つ下。雑多に埋没しそうな顔の作りだが、首から下げた一眼レフのカメラが個性となった奴。あと、後頭部から背中にかけてドでかいクラゲが張り付いているのも印象的だ。
微笑みを絶やさない私はピースサインを向けてやった訳だが、相手がシャッターを切ることはなかった。ファンサービスを無視するとはいい度胸だな。そのレンズ叩き壊してやろうか。
おっといけない。人間は暴力的だが、暴力を嫌っている矛盾した生物でもある。おいそれと触手を伸ばしたら糾弾されるのが落ちだったな。
私は制服の襟を意味なく整え、ネックレスを揺らしておいた。
***
この数十年、私が人間でないことは誰にもバレずにやってきたつもりだ。
私はこちらで「クラゲ」と呼ばれる生物に近い異端である。
ちょっと昔に殴り合っていた異端がこちらに渡り、楽しいから帰ってこないという情報を得たので、私もやって来たのが今に繋がるきっかけだ。
最初は意気揚々と海にいたのだが、寄ってくる魚やクラゲを腹に入れすぎたのでさっさと陸に撤退した。研究者かなんだか知らないが、危うく人間に駆除される所だったのだ。人間は世界の管理者のつもりかと網を食ったのは幼稚な思い出だ。私も若かったな。
陸に上がって人間に擬態したら、それはそれで苦戦した。常識だとか当たり前なぞ微塵も知らない異端だ。紛れて隠れて学んで馴染んだ。頑張ったものだ。万雷の拍手をくれと叫びたいが、道端で叫んだりその辺の奴に易々と話しかけると通報されるので堪えている。私って良い子だ。
色々な年代に
学費の出所はかつての私が貯めた金である。金の為に働くとは干からびそうだったが、お陰で今があるのだ。やはり過去の私はスタンディングオベーションを貰うに値しよう。
そして行きついた学生という独特のグループ。ここは私の食欲を満たすには絶好だ。
私の好物は他人に付着したクラゲの念。ここは深海かと疑うほど宙を浮遊するクラゲの影。つつけば柔らかく、噛み応えのあるクラゲ達は人が生み出す思念の一種だ。
ここで注意だが、私にはクラゲ型の思念が見えるのではない。思念がクラゲ型に見えるのだ。他の
クラゲの念は空気を漂い、思念の対象に纏わりつく。Bが「Aは嫌いだ」と思ったら、BのクラゲはAに飛ぶ。他人から色々と思われている奴ほどクラゲに纏わりつかれてる。至極簡単な原理だ。
そして、人間の感情は単純でもない。愛だと思った念が憎悪に変わるなど一瞬であり、嫌いの中にも好きが混じる。尊敬の中には嫉妬が渦巻き、悔しさには羨望が隠れることもある。
多様なクラゲは色を変え、大きさを変え、重さも変わって纏わりつく。笹ちゃんの頭に乗った赤黒いクラゲは激しめの妬みに、スパイスとして嘲笑や不満が練り込まれているようだ。
「うーん、潮ちゃん、痛み止めもってない?」
「持ってませんね。頭でも痛いんですか?」
「せいかーい。最近みょーに頭が重いっていうか、痛いっていうか、スッキリしないんだよねぇ」
「部活のし過ぎでは?」
「ちゃんとオーバーワークにならないようにしてるもん」
「そうでしたか」
机に上体を乗せた笹ちゃん。彼女の頭には大きくなったクラゲが張り付いており、私は喉の奥で唾を飲んだ。
「では、潮秘伝のマッサージしましょう」
「……痛くなくなる?」
「保証します」
微笑を浮かべて席を立ち、人知れず指関節を鳴らす。笹ちゃんはタオルを机に敷いて顔を伏せた。単純でいい子だ。こういった子に私は好感を持つ方なのだが、部活などでは逆なのだろうか。
手に力を入れた私は、赤黒いクラゲに向かって指を突き立てる。冷たく柔らかい質感に手を包まれ、突き抜けた先で笹ちゃんの頭部に触れた。
思念のクラゲが触手を伸ばし、私の手首に絡みつく。笑ってしまう抵抗を無視してクラスメイトの頭を揉み解せば、結果的にクラゲの思念もかき混ぜた。パスタを食べる前にソースと麺を絡めるようなものだ。美味しくなれよ。
指先から掌に神経を集中させる。擬態の皮膚の内側へ、思念のクラゲを吸っていく。私の触手で吸収する。
腹に落ちたクラゲは美味であり、思念は瞬く間に小さくなった。私の皮膚は余すことなく思念を吸い込み、溶解して飲み下す。
食事の終了と同時に頭部タッチを終え、私は軽く胃の上を擦った。顔を上げた笹ちゃんは目を瞬かせて、花が咲いたように顔を明るくする。
「凄い! 痛くないよ潮ちゃん!」
「それは良かったです」
こちらも美味しかったです。ご馳走様。
何も知らないクラスメイトは喜びに顔を緩め、私は彼女の体に視線を向ける。
肩や背中、太腿にも張り付いた多くのクラゲ。それらはまだ食べるには早そうだ。突発的な思念だと味が薄い。もっとしっかり味が付き、重たい想いが私の好みだ。
嬉しそうな笹ちゃんを見つめる私は、目元を柔和に細めておいた。
「また、不調があったら教えて下さいね」
***
さてさて、人畜無害な私の後をつける生徒についてだが、興味がなさ過ぎて調べることを怠っていた。それは私の傲慢かもしれないが、もやしのような子どもの一人だ。どうとでもできると思うだろ。こちとら凶暴で独特な異端達と殴り合い啜り合った歴戦の覇者だぞ。生きているのが無敗の証拠だ。
「潮先輩」
「なんでしょうか、ストーカー」
「す⁉ ストーカーじゃないですよ!」
「ストーカーでしょ。どう見ても」
想像して欲しい。自分の靴箱に手紙が入っている光景を。扉のついていない開放的な靴箱だ。そこに入れたローファーの上に〈校舎裏で待ってます〉なんて書かれていたら怪しむであろう。しかも校舎ってどの校舎だよ。
誰かの恨みを買った記憶はなかったので、特に喧嘩するつもりはなく校舎の裏を徘徊した。五分ほどして発見したのは礼のストーカーだ。私を見るや否や距離を取り、カメラを両手で構えている。
「それで何のご用件で?」
「潮先輩、貴方、な、なにか、不思議な力を持ってる人なんじゃないですか!」
震える手が持ったレンズ。そこから私を覗き見る彼は、私に対する警戒を強めるばかりだ。
で、私が不思議な力を持ってる「人」だって?
そう思ってる時点で間違ってるよ、餓鬼。
私は微笑を浮かべて、小首を傾げてやった。
「さて、なんのことですか?」
「と、惚けないでくださいよ! 俺は見たんです、貴方が生徒や先生にしてる変な行動の数々を!」
カメラを離したストーカーが制服のあらゆるポケットに手を突っ込み、隠し撮りの数々を見せてくる。まぁ、隠し撮りと言っても全て気づいてたけどな。撮らせてたんだよ、なんていうのは大人げないか。
写っているのは私が他人の背中などに手を軽く伸ばしている姿である。思念は写真に写らないので、私がちょっと変な動作をしているように思えたのだろう。
ぶれてない所を見るに、ストーカーの写真の腕がいいことは確かだ。私が思念を取るのは知人でない限り一瞬なのでね。その速度を的確に切り取るのだから、称賛しようかな。
「これ、貴方にだけ何か見てるんですよね。何かしてるんですよね! そうですよね!」
「ゴミがついてたんで取っただけですよ」
「こんな速度で取る必要あります!?」
「ゴミついてたよって他人に指摘されるの恥ずかしくないですか?」
「この! 1ヶ月で!? 三十二回も人のゴミ取るって、どんな人なんですか先輩は!」
「目が良いんですかね」
微笑んだままストーカーへ歩み寄る。彼は怖気づいたように数歩後退したが、私の範囲から出るような速度ではない。
私はストーカーの手から写真を取った。ふむ、放置するにしても撮らせすぎたかな。後輩が威勢よく吼える材料を与えてしまったのだから。
「先輩の不思議な力、それは人を癒したり、穏やかにする力ではないですか? 先輩が触ろうとした人はみんな元気になってるように見えました!」
「レンズを通してものを見過ぎでは? 貴方のいいように解釈されているように思えるのですが」
「先輩!」
食い下がるなコイツ、鬱陶しい。
私は左手に持った写真を握り潰す。一息でゴミと化した写真にストーカーは唖然とし、私は表情を崩さなかった。圧倒的な力の差があれば相手も引き下がるかと思ったんだけど。あれだろ、人間って自分がまったく歯が立たない相手には歯向かわないだろ。お前も私に歯向かうな。
「ストーカー」
「す、すとーかーじゃ、」
「ストーカー」
「だから、す、」
「ストーカー」
「……はぃ」
よしよし良い子だ。
ストーカーは顔色を悪くして校舎にぶつかる。残念だな、もう下がれないぞ。お前が校舎裏を選んだんだから、逃げ場を失っているのはお前のせいだ。
私は握り潰した写真をスカートのポケットに突っ込み、目を細めた。
「君は私に何をしてほしいんでしょうか」
「ぁ、っ、」
「君は、私が普通の人間ではないと決めつけていますね。私がどれだけ否定しても、君は私を否定する」
校舎を軽く蹴る。冷や汗を流すストーカーの腹部横、ちょっと右にずらせば鳩尾を蹴っていただろう。蹴ってもよかったが、吐かれても面倒だしな。力で黙らせるのは簡単だが、コイツには効果が弱そうだ。最善手ではないと思われる。
私はストーカーを見つめる。弱々しい目を私から逸らさないので、それだけの何かがあるんだろ?
「では肯定してあげましょう。私は他人に影響できる人間です。さぁ、どうしますか?」
「え、」
「どうしますか? と聞いているんです」
私の圧が後輩の奥歯を震わせる。私は満面の笑みを浮かべ、ストーカーのカメラをつついた。レンズ、割ってもいいけど高いよな。弁償とか嫌だし目立つのも好かない。転校手続きとか、させるなよ?
「ねぇ、ストーカー。君は私が普通ではない人間だとして、どうしてほしかったんですか? 写真を撮ってテレビに売る? ネットに晒す? 私を揺する?」
「お、おれは、ッ」
ストーカーが私を正面から見返す。私は相手を見つめて、面白そうな空気を嗅ぎ取った。ストーカーの後頭部では、深海色のクラゲが肥大化している。
「ぉ、俺の家族を、助けて欲しいッ、です!」
***
「俺の家、その、最近変で……」
萎んだ声で説明をしたストーカー。私は相手に珈琲を奢らせ、人気のない公園で、愛想よく話を聞いてやった。
要約すればこうだ。
2ヶ月前から両親が兄ばかり構うようになった。兄が行きたい場所へ行き、兄の欲しい物を買い与え、兄が食べたいものばかり食卓に並ぶ。ストーカーのことは二の次であり、両親ともども兄の言う事を何よりも優先にするのだとか。
常に柔和な兄が絶対の家。兄の意見には必ず首を縦に振る。兄の機嫌を損ねることは決してしない。そうするように、家の空気が張り詰めているらしい。
ふむ。
「それは家族の問題では?」
「違うんですって! 兄ちゃんはそんな我儘な人じゃなかったし、急に人が変わったみたいになっちゃって」
「遅い反抗期でしょうか」
「そ、そういうんでもないです。なんか、突然、兄ちゃんが怖くなって、兄ちゃんの言う事は絶対で、ほんと、今の家おかしくて」
「元は優しい人だったんでしょう? 話をしてみたら良いではないですか」
「元は確かにそうですケど!」
「ほら、元のお兄さんを思い出して。怖くない時のお兄さんを」
「兄ちゃんは、優シくて、勉強ができて、高校の時は生徒会長もして、スポーツ万能デ、ほんとに自慢の兄チゃんです!」
「ほらもっと。小さい頃の思い出は?」
「小さい頃から、兄ちゃんは、優シクて、勉強ができて、スポーツ万ノウデした!」
「もっと、具体的に」
「具体的、って」
私は見つめる。ベンチの隣に座ったストーカーの頭を。
後頭部にいるクラゲの触手が動き、ストーカーの顎や首に巻き付いている。のっぺりと頭に張り付いているクラゲが見えない後輩は、徐々に目の焦点が合わなくなってきた。
「お兄さんとの思い出を話してごらんなさい。話せるものならば」
「兄ちゃんは、兄ちゃんとハ、ずっと、仲良シです。俺は兄ちゃんがスきで、兄ちゃんも俺を大事にしテくれてました」
「雑だな」
私は後輩のクラゲに指を突き立てる。ストーカーからすれば、私が宙で変な手をしているように見えるのだろう。気にしないけど。どうせ今のコイツは現状を理解できてないんだから。
ストーカーの顔色が悪くなる。ゆっくりと上体を倒した後輩を支えた私は、深海色のクラゲから指を抜いた。
これはマーキングだ。
この人間は自分の獲物だという印。自分が食べるのだという証。私が手を出しても不快感を与えられるクラゲだ。触っているのも嫌なんだよな、気味悪いから。
深海色のクラゲは大きさを増した。後輩は完全に意識を失っている。これは、マーキング相手に伝わったかもな。
「……面倒だなぁ」
「ならソイツ返せよ」
ベンチの背もたれに手が乗せられる。音もなく、気配もなく。
顔を真上に向けた私は、目を細めて笑っている男を見た。
黒い髪に埋没した個性。ブランドものの服に身を包み、シャツの襟からはネックレスが下がっていた。目鼻立ちが後輩と似ていると思うのだが、雰囲気は完全に私を下に見てやがる。
私は満面の笑みを浮かべ、ストーカーのクラゲに再び指を突き立てた。男――十中八九ストーカーの「兄」は、頬を微かに痙攣させる。
私はクラゲを引っ掻き回し、食いもしない食材で遊んだ。指先から伝わる敵意に不快感は増すが、私を見下ろしている男の方が不快だ。敬語も剥がれちゃうな。
「誰に向かって指図してんだ」
「……あ?」
「返して欲しかったら敬語を使えよ、擬態野郎」
兄の瞳孔が細くなる。開いた口からは青い舌が覗き、私に向かって鋭く伸ばしやがった。
私はストーカーを脇に抱えてベンチを蹴る。視界の端で木製のベンチは二つに割れ、兄の口には青い舌が仕舞われた。瞳孔の細い目は左右で違う方を向いてる。
口の端を広げた男は、青い舌を下品に覗かせた。
「お前、なんだ?」
「敬語を使えって言ってんだろ」
私はストーカーを地面に捨てる。起きない後輩はそのまま眠ってろ。起きると面倒だ。ここは公園だしな、すぐに終わらせよう。
指関節を鳴らし、ネックレスを襟から引き抜く。それを見た瞬間に兄は腰を低くし、私同様にネックレスに手をかけた。
赤の他人同士が身に着けた、同じネックレス。
それは擬態の証。同郷の証明。
私達は、同時にネックレスを引き千切る。
さぁ、曝け出そうか。
私の被った皮が剥がれていく。頭の先からずるりと剥けて、粘度を高めて溶け落ちる。
剥がれろ私の偽の皮。私を下に見る擬態野郎を、殴る為には人では駄目だ。
かろうじて残った五本の指で顔の皮を引き剥がす。肌の下から出てくるのは私の体。透明度の高い体には何十という腕があり、光りを浴びて鈍く輝く。水に浮いた油の色とでも表現しよう。あの色は好きだよ。決して交わらない結果が生んだ美しい色だ。
私の目の前では、皮を溶かした同郷が大きな目玉を忙しなく動かしている。周りの色を反映し、染まって姿を変える奴。カメレオンを彷彿とさせる兄は、青い舌を醜く伸ばした。
私は多眼を開眼し、触手を青い舌に巻き付ける。ブランド物の服に身を包み、黒髪を残した無様なカメレオン。そんな生半可な奴に擬態を解いた私が負ける筈もない。
同郷は勢いよく体を捻り、私の触手から舌を逃がす。足を失った私は宙に漂い、夕暮れの公園で揺らめいた。
やっぱりこっちの方が楽だなぁ。でも擬態してないと通報されかねないし、UMAとか言われそうだし。そんなことされたら人間を食べちゃうかもしれない。駄目だ駄目だ。郷に入っては郷に従えというやつだな。我慢我慢。私って、やっぱり良い子。
カメレオンは視線を私で固定し、青い舌で地面を殴っていた。土埃が軽く舞い、地面が微かに凹んでいる。
「浮遊物如きが、何で邪魔する。俺の食事だとっとと失せろ」
「お前の態度が気に喰わねぇからだよ。雑な仕事しやがって。紛れ込むならもっと上手くしろよ、下手糞が」
カメレオンが緑の肌を赤く色づかせる。かと思えば、相手は背景に透過するように色を変え、公園から姿を消した。宙を漂う私は多眼を瞬かせ、公園内を見回してみる。
見えないなぁ。うん、見えない。見えないけど、どうせそろそろ頃合いだろ。
予想したところで、背後で倒れる音がする。
振り返ると笑えてきた。表情のない私に笑みなど浮かべることは出来ないが、多くの目を細めることは出来るのだ。
ストーカーの近くで倒れているカメレオン。四肢を痙攣させている同郷は大きな目を忙しなく揺らしていた。肌の色も点滅するように変わり、大量の汗が浮いている。
「おやおや、おや」
「な、なんで、おれ、」
カメレオンの呂律が回らなくなっていく。無様な姿に私の機嫌はよくなり、敬語を使ってやることにした。
「効いてますねぇ、効いてますね、私の毒」
「ど……」
私は触手を傘のように広げて、カメレオンの上空で静止する。痙攣している同郷の目には捕食される色が浮かんでいた。良い顔だ。
私はゆったりと触手でカメレオンを包み、動けぬ体を笑ってやった。
「クラゲの触手には毒があるんですよ。学びましたね。今なら、謝れば許してあげますよ。マーキングしているその子も貴方にあげましょう」
「は、ッ、は、はッ!」
「あぁ、そっか、毒が回って喋れないんですね。それも軽率に舌を伸ばした貴方の落ち度。私の触手を甘く見た貴方の慢心」
「ッ、か、ゃ、あ゛」
「私に敵意を向けたのに、謝らない貴方はやっぱり許せないなぁ」
同郷の呼吸が荒くある。浅く早く空気を吐き、私の触手の中で震えている。
多眼を細めた私は、許す気のない相手に口を開けた。
***
「潮ちゃん、やっぱりいるよ、あのストーカー」
「無視ですよ、笹ちゃん」
今日も笹ちゃんに付き添って職員室に向かう。今日は科学のノートを提出に来たようだ。彼女はちょっと提出物を出すのが遅いらしい。まったく仕方がない。私の癇に障らない限りはついて来てやろう。
私は職員室に入った笹ちゃんを廊下で待つ。視界の隅にはカメラを持った後輩が立っており、今日も私にレンズを向けていた。後頭部にいた深海色のクラゲはなくなっており、私が顔を向ければシャッターを切ったようだ。
私は口角を上げてストーカーに近づく。まさか近づかれるとは考えていなかったのか。相手は慌てて後退したが、すぐに階段の手すりにぶつかっていた。周りの生徒は私達を横目に見て、何事が噂しながら去って行く。後輩をカツアゲする先輩に見えてないといいな、面倒な噂は御免だ。
「せ、先輩、」
「こんにちは、ストーカー。なんで私に付き纏ってるんですか?」
あのカメレオンは美味しく「ご馳走様」した。だからお前の家の問題は解決したのだ。お前の記憶も正常に戻っただろ。歪んでいた息苦しい日々のことは忘れて、ちょっとだけ寝惚けた気分で日常に戻った。お前には元より
だから私をストーカーする理由はなくなったと思う。なのにお前はカメラを向け続けるのだから、今度はなんだと思ってしまうではないか。
後輩が私に写真を見せる。私の一瞬を切り取った、三十二枚の写真だ。
……。
「よ、よく分からないんですけど、俺のデータに沢山の先輩がいました!」
「へぇ」
「そこで先輩は不思議な行動を取ってる気がして、」
「ほぉ」
「も、もしかしたら、何か、不思議な人なんじゃないかと思って!」
「うんうん」
ストーカーが写真の束を制服のポケットに分けて突っ込む。私は顎に手を添えて、ゆっくり両目で弧を描いた。
威勢のいいストーカーは、両手でしっかりとカメラを構えている。
「俺は、貴方の秘密を、探ってますッ」
……ふむ。
やっぱり叩き壊すべきだったな、そのカメラ。
満面の笑みを浮かべた私は取り敢えず、カメラのレンズに指紋をつけてやった。
君の皮を剥がしにきた 藍ねず @oreta-sin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます