第八話
ふたたび屋敷を訪れたアネットに、バーネットは手紙を渡した。読み終えたアネットは、手紙を大切そうに胸に押し当てて「よかった」とつぶやく。
「一つだけ教えて。手紙に書いてあったことを知っていたの?」
「いいえ。でも、どうにかしたくて必死でした」
「何も手に入らなかったとしても?」
「はい、何も手に入らなかったとしても。どれだけみっともなくてぶざまでも、あの人を失うほど辛いことはないですから」
アネットは微笑んだ。探していた希望を見つけ、心細いながらも立ち向かう決意を固めたまなざしで。
バーネットはそれをどこかで見たと思った。何度追い返されても、王妃に面会を求め続けたときだ。あのときは気づけなかったが、この少女のおとなしそうな表面に、いったん決意すれば何にも揺るがない、石のような硬い芯が隠されている。
その勇敢な姿は、自分がガウェインと共にあったときの結びつきと、この少女とガウェインの結びつきの違いをも明確にしていた。
──それで結ばれなかった、と言われたら仕方がない。
バーネットの心に、初恋が色あせる一抹のさびしさと、もういいのだというあきらめの風が吹いた。
「私……」
バーネットは心に浮かぶと同時に口にした。気持ちに迷いが入りこむ前に言ってしまいたかった。
「もし必要なら証言に立ってもいいわ。サー・モードレッドがすなおに自分の行いを認めるとは思わない」
「本当ですか? 裁きを受けるかもしれないのに……」
アネットがとまどって止めようとする。普通なら喜んでいいはずだ。バーネットは観念したように、大きなため息をついた。
「あなたの言葉を借りるなら、たったいま私も、ぶざまな姿を晒したとしてもガウェイン様を失うほうが辛いと思ったのよ」
緊張しているはずの空間に似つかわしくない、軽やかな声でバーネットは言った。弱さをさらけ出したからこそ、おとずれた雪溶けだった。
■□■□■
名誉の法廷がいよいよ近づき、ガウェインは腹の底でうずくような焦りに駆られていた。いまだ王妃が犯人でないとする明確な証拠は見つけられていない。
──ランスロットとの一騎打ちは避けられないか。
恐ろしいのは一騎打ちでなく、そのあとだ。どちらが勝ってもアーサー王の宮廷に与える打撃ははかり知れない。二人でアーサー王を支えられたものを、一人で対処していかなければならないのだ。
ガウェインの深いため息は月に照らされて白い霧となった。
夜おそくに戻ったタウンハウスは暗く、もうあかるい陽に照らされることのないように静まり返っていた。居間に入ると、主人の帰りを待っていたように暖炉の火がぱちぱちと燃えていた。
有り難いとばかりに手をかざして暖をとる。ふと、居間の入り口で影がうごいてガウェインは顔をあげた。
「……眠っていなかったのですか?」
「ええ、目が覚めてしまって……。気になさらないでください」
アネットがやわらかな足音を立て隣にやってきた。同じく手をかざす。暖炉の灯に照らされた彼女はいつにもまして華奢に見えた。
「すこし痩せましたか。あまり眠れていないのでは?」
「こんなときに気持ちよく眠っていたら、お父様に叱られてしまいそうです」
静かに話すアネットを見て、ガウェインはやるせない気持ちになった。──もし、自分を心配させまいと笑っているのだとしたら。遠慮して本心を押し殺しているのだとしたら……。
「あなたの父上殿に手紙を送らせていただきました。あなたが今後困らないように書き添えてあります」
「………」
アネットは無言で火を見つめた。ガウェインは続けた。
「私にはあなたを守る責任があります。死んだからといって、レディを守護できなければ騎士の名が泣きますから」
死、という言葉にアネットは顔を上げた。愛くるしい瞳は濡れて、唇がうっすら開いている。ガウェインはどんな哀しい言葉を聞くだろうと身構えた。だがアネットは唇を硬く結んで、
「私に考えがあります」と言った。
サー・モードレッドに名誉の法廷をとり下げてもらうよう嘆願します、とアネットは打ち明けた。真っすぐガウェインを見つめ、すでに決心を固めた潔さがあった。
「……モードレッドを説得するのは難しいですよ。それが分かった上で、交渉する手がかりがあると?」
アネットは頷く。この数日間、彼女が動き回っていたことはガウェインの耳にも入っていた。
「ええ。任せていただきたいのです」
「その〝手がかり〟について、私に話してくださらないのですね?」
ガウェインの問いかけに、アネットはまつげの影を頬に落としながら「はい」と小さく言った。
ガウェインは平静を保ったが、みぞおちを打たれたように声も立てられなかった。アネットが堂々と隠しごとをしたのだ。
──あの顔色をうかがうばかりだった少女が……。
これまでと全く逆だ。いつもガウェインが先回りし、機会をうかがってからアネットに伝えることが多かった。今度はアネットが動き回り、その上〝話せない〟のだと言う。
アネットは不安そうに、黙ったままのガウェインを見上げた。
「やはり任せていただくことは難しいですか? 心配だと思いますが……」
「いいえ、そういうことではないのです」
ガウェインはあおく優しい瞳で少女を見つめた。「ながらく人に『信じて待っていてほしい』と言われなかったので、驚いてしまいました。
正直にいうと、とても嬉しいです。あなたがどれだけ勇気をふりしぼって言ってくれたのか分かるから。どうして『任せられない』と言うでしょう」
その言葉は、ガウェインにも返ってくるようだった。アネットは自分にありったけの信頼と愛情を抱き、勇気をふりしぼって付いて来てくれた。今度は、ガウェインがアネットに信頼を示す番だった。
「──マイレディ。あなたへの奉仕はいつも私に誇りを思い起こさせます。強さをあたえ、真に大切なものは何か教えてくれる」
ガウェインの真剣な言葉に、アネットは自分を軽んじるような言葉を返した。
「いいえ……私自身は大した存在ではありません。でも、ガウェインさまが元々持っていらっしゃるものを、私の何かが思い起こさせるのでしょう」
控えめな言葉は、一部で真実だった。アネット自身が与えるのではない。だが彼女の言動が、存在が、ガウェインに無限の力を湧き起こさせるのだ。
それはまさしく〝騎士道〟だった。騎士とは己の戦いから逃げず、弱き者を守り、忠義を大切にし、嘘をつかず、不正と悪に立ち向かわなければならない。きっと騎士がレディを必要とするのは、己の力を振るう正義を知り、限界を超えた強さを手に入れるためなのだ。
「私も同じです」
アネットはガウェインの青い瞳を見つめかえして言った。
「私を価値あるものと思ってくださるなら……それはガウェインさまがいるからです。
私がたった一人で孤独だと思っていたとき、周りが怖くて、何も出来ませんでした。でもガウェインさまと出会い、もっと強くなりたいと必死にもがくようになりました。この強さはあなたがくれたものです。私の心はあなたと共にあります。この先もずっと一緒に」
──ずっと一緒に。
その言葉はガウェインのなかでしんと響き渡った。ガウェインは呼吸をして、ずっと、の意味を噛みしめる。
──私は今、その言葉を口にすることはできるだろうか。
ガウェインは大切だと思っている王への忠義や一族の誇りのために、命を献げる覚悟をしている男だ。そこにアネットをいたわる言葉があったとしても、突きつめれば彼女を置いていく覚悟がある。
となりにいるアネットが、とても遠い距離にいるようにガウェインは思った。距離を置いたのは自分だ。立ち止まったその場所から、わずかな一歩を踏み出せないでいる。自らの覚悟に繋がれて。
言葉を返せないまま、ガウェインは目をそらして暖炉の火を見た。腹の底でうずくような焦りがよみがえって来ていた。
「ガウェインさま……」
彼の心を感じ取ったのだろうか。アネットは弱々しく笑った。
「この小娘が、殿方の求める真の騎士道を理解しているとは言いません。ですが短い間でもガウェインさまと共にあって、あなたの心と真剣に向き合ってきたつもりです。どうか私に心のうちを明かしてください。私がそれに足る相手であると思ってくださるのならば」
「………」
ガウェインは再びアネットを見た。そうして、自分の心にどんな思いが湧き上がってくるか試した。
アネットはじっと黙っている。
──踏み出すときは、今なのかもしれない。
アネットと出会ってからの日々が思い出された。彼女の勇気におどろかされ、ガウェインは何度も自分を奮い立たせることができた。数日後に命を失うかもしれない今、アネットから離れて戦うのだと思うと、するどく胸がしめつけられるのを、ガウェインは感じた。
──この手を握ったままでいい、とアネットは言っている。
ガウェインが大切に思うものを抱えたまま、この手を離さなくていいとアネットは言っている。彼の覚悟を知ってなお、そばにいると。
腹の底でうずくような焦りがおさまり、かわりに暖かでおだやかな感覚が広がっていくのをガウェインは感じた。なぜ彼女を置いていくつもりだったのだろう。アネットと共にいて、彼女と結ばれることを心から望んでいるのに。
「誓います。名誉の法廷で、生きて戻ることを」
ガウェインはアネットの手をとり、固く握りしめて言った。
「アーサー王陛下と、一族の誇りと、あなたと共に生きる未来のために。どれだけ困難な戦いになっても、かならず生きて戻りましょう。
ですからアネット、許してくれますか。名誉の法廷にのぞむ前に、あなたを妻にしたいという自分勝手な望みを告げることを」
「………」
アネットはおどろいて目を見開き、口に手をやった──…その手を動かすと、唇は嬉しさにほころんでいる。ええ、と彼女は涙ぐみながら何度も頷いた。
「ガウェインさまに望んでいただけるなら……喜んで、私は受け入れます」
暖炉の火よりもあかるく頬は色づき、瞳はよろこびに溢れていた。ガウェインは今までに味わったことのない多幸感が手足の先にまでみなぎって、アネットを抱きよせた。
──この人とともに行くのだ。私も、彼女も、覚悟を決めたのなら歩んでいける。
翌朝、二人は教会に足を運んだ。ひざまずいて司祭の言葉に頷き、神の前で永遠の愛を誓い合った。
花よめのベールを上げ、静かに唇を交わして微笑みあう。その瞬間、キャメロットにも、イングランドにも、二人ほど幸せな人間はいなかった。身も心もそばにあるのが感じられた。
いつまでも、いつまでも、この瞬間が続いてほしいと願った。
<つづく>
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