第38話 陰キャオタクですけど

『あ、えと……音、大丈夫かな? ……うん、よし、いいね。それじゃあ、はい! どっじゃ〜ん! おはろ〜! 黒神ラムリー配信はじまりましたよ。みんな元気?』


 黒神ラムリーがこちらに手を振ると、ぽつぽつと流れていたコメント欄が一気に加速しはじめた。


『……おお、おおお、沢山のコメントありがとう! 「元気だよ」、「楽しみにしてました」、「声可愛い」……わ〜、ありがと〜! 私も2回目の配信楽しみにしてたよ〜! というか、人多すぎて草なんだけど。あはは』


 ラムリーが笑うと、つられてこっちまで笑顔になってしまった。


 黒神ラムリーの第二回目配信は、超・大盛況だ。


 チャンネル登録者数はもうすぐ5万人に届きそうな勢いで、視聴者数も1万人を突破している。普通にすごすぎる。


 もぐらちゃんにリツイートされた時点で、これは人気Vtuberの仲間入りか? なんて思っちゃったけど、これはマジで覇権を取れそうな勢いだ。


 ああ、何だか涙が出そう。


 僕が描いたキャラが沢山の人に愛されるって、こんなにも脳汁がヤバいんだな。


「失礼します。ご注文は何になさいますか?」


 しみじみと感慨にひたっていると、店員から声をかけられた。


 そこで僕は、清野の家の近くにあるジャックポットカフェに居ることを思い出す。


 ヤバイヤバイ。つい、ラムリー配信に熱中してしまっていた。


 僕は慌ててアイスオレをひとつ頼んでから、ラムリー配信に戻った。


 僕がここにいるのは、トラブルが起きたときに清野の家に急行するためなのだけど、「例の件」について、配信後に清野に相談する予定だったからだ。


 例の件。


 今朝、寧音ちゃんに「のげらのママになって」と頼まれた件だ。


 結局、受けるかどうかの返事は保留することにした。


 いくらもぐらちゃんのお願いだからといって……いや、もぐらちゃんのお願いだからこそ、二つ返事で了承することなんてできなかった。


 理由は単純明快だ。


 僕がのげらちゃんのママになるということは、もぐらちゃんを引退させる──つまり、僕の手でもぐらちゃんに引導を渡すということになる。


 そんなの、絶対やりたくない。


 僕だって早くもぐらちゃんに活動を再開してほしいと願っている、いちファンなのだ。


 それに、僕がのげらちゃんのママになるということは、姉の顔に泥を塗ることにもなる。


 寧音ちゃんが選んだのは神絵師の姉ではなく、一目惚れしたという素人の僕。


 そんな事実を突きつけられて、姉が傷つかないわけがない。


 多分、今以上に生活が荒んでしまうだろう。


 そんなことは、絶対避けなければならない。


 僕が平穏な毎日を送るために!


 しかし、と、スマホ画面の中で楽しそうに話しているラムリーを見て思う。


 清野はもぐらちゃんの件について、どう考えているのだろう。


 清野は黒神ラムリーの活動をする前に、「清楚キャラを演じる自分もオタクな自分も好きだ」と言った。


 だけど、例えば事務所から黒神ラムリーの活動を禁止されたとき、清野はどちらを選ぶのだろう。


 潔く黒神ラムリーを捨てるのか。


 それとも、寧音ちゃんみたいに自分の「本当の姿」を選ぶのか。


『よしっ、それじゃあゲームやるよ!』


 ラムリーが声高に言った。


 どうやら雑談コーナーを切り上げて、ゲーム配信をはじめるらしい。


『今日やりたいゲームはこれです。じゃじゃ〜ん。EPEX〜。みんな知ってる? 知ってるよね? 私、このゲーム得意なんだ』


 得意げに言うラムリーだったが、リスナーから「ドヤって雑魚死するまでがセットなんですね」、「やられるのが得意なの?」みたいなコメントが流れてくる。


 すっかりそういうキャラが定着しているみたいだ。


 なんだか、微笑ましい。


『え、ちょ、待って!? どゆこと!? 言っとくけど、本当に得意なんだからね!? ラムりんのエイム見てびびんなよ、お前ら!?』


 などと息巻いてプレイを始めるラムリー……だったが、すぐに雑魚死していた。


 うむ。鉄板のお約束展開。


 もしかして盛り上げるためにわざとやったのかと思ったけど、悔しそうに「今のは『空海も筆の誤り』だから」なんて言い訳をしてたから普通にやられたんだろうな。


 ちなみに、清野よ。


 筆を誤ったのは空海じゃなくて、弘法だ。


+++


 配信が終わってすぐ、清野がジャックポットカフェに現れた。


 フードにくまの耳がついたモコモコのパーカー姿で。


 可愛いすぎてカフェオレを吹き出しそうになってしまった。


「おつかれ〜……って、どしたの? そんなキョロキョロして」


「あ、いや……また乗冨さんが現れないかなって」


「だから大丈夫だって。みどり、今日は部活だから」


 今日、こうして清野と会うことになったのは乗冨は部活だと聞いたからだけど、サボって現れる可能性は否定できない。


 バスケ部のエースだからサボらないなんて常識は通用しなさそうだもん。あいつ。


「ねぇねぇ、それよりさ! 配信、みた?」


 モコモコパーカーの袖でニヤける口元を隠しながら清野が尋ねてきた。


「う、うん。見たよ。すごい盛り上がりだったね」


「だよね!? すごい沢山の人が観にきてて驚いちゃった!」


 あの後、ラムリーはEPEXを1時間ほどやって、2回目の雑談タイムで君パンのことを熱く語って配信を終了した。


「視聴者数みたら1万人超えてて、えええええってなったもん。まだあの緊張ひきずってるよ〜」


 などと言いながら、アイスミルクティーといちごのシフォンケーキを頼む清野。


 全然緊張してるふうには見えないけど。てか、そのケーキ、本当に好きなんだな。


 しかし、あのリスナーの数を前に臆することなく楽しく話せるのは、やはり芸能活動で培った胆力のたまものか。


「今日はもぐらたゃにも会えたし、なんて最高の日なんだろう。バイブス爆アガりだわ」


「……あ、そうだ。今朝相談された『例の話』なんだけど」


 店員がテーブルを離れたタイミングを見計らって、例の件を清野に相談することにした。


「え? 例の話? あ、寧音たんの?」


「う、うん」


「そうだ。すっかり忘れてたけど、どうするの?」


「正直、すごい迷ってる。だって、のげらちゃんのママになるってことは、もぐらちゃんを引退させるってことだし」


「……あ〜、そっか。そういうことになるのか」


「それに、僕のお姉ちゃんってもぐらちゃんの絵師ママだから、この依頼を受けるのってお姉ちゃんに悪いかなって」


「プライドを傷つける的な?」


「そう。この依頼が仕事なら折り合いはつくだろうけど、完全に寧音ちゃんの好みだからさ。余計に傷つきそうっていうか」


「ん〜……」


 清野が水の入ったグラスに口をつけながら、しばし考える。


「……でも、それは大丈夫じゃないかな。私、イラスト業界のことはよくわからないけど、プロってそういうもんじゃないかなって思うし」


「そ、そうなの?」


「うん。雑誌でもいきなり無名のモデルさんに代わるなんてことはあるけど、それって別に普通のことだから誰も気にしてないよ」


 そうなんだ。


 てっきりドロドロとした妬みの連鎖とか、怨憎が渦巻いているのかと思ってた。


 そういう「切り替え」や「割り切り」が出来るのがプロってことなのだろうか。


「それに、東小薗くんが断ったとしても、寧音たんは別の絵師さんにお願いすると思うし、結局もぐらたゃは引退することになるんじゃないかな?」


「……」


 多分、というか絶対そうなるだろう。


 のげらちゃんに戻るという決意は固そうだったし。


 だとしたら、別に責任感を覚える必要なんてない、か?


 でも、やっぱり僕がとどめを刺す感じになるのは辛い。


 寧音ちゃんの力になりたいけど、もぐらちゃんを引退させる最後のひと押しになるのは嫌だ。


 メチャクチャ身勝手な意見だけど。


「お待たせしました。いちごのシフォンケーキと、アイスミルクティーでございます」


「……おっ、来た来た」


 シフォンケーキとミルクティーがテーブルの上に置かれた瞬間、清野がスマホを取り出し、パシャパシャと写真を撮りはじめる。


「やっぱりここのシフォンケーキ、メチャえるよね」


「それ、インスタにあげるの?」


「そうだよ。清野有朱アカウントにアップするんだ。明日撮影があるから、そのときに現場で撮った写真と一緒に──」


 と、清野がハッとなにかに気づいたように顔を上げ、僕を見た。


「あ、そうだ。東小薗くん」


 そして、そっと顔を近づけ、静かな声で言う。


「明日、仕事現場に遊びに来ない?」


「……え?」


 ぽかんと清野を見る。


「し、仕事現場って?」


「撮影の現場だよ。明日、雑誌の撮影があるんだよね。ほら、そういうところを見たら、寧音たんの件のヒントになるんじゃないかな?」


 楽しそうに清野が言う。


 確かに色々なプロが集まる仕事現場を見学すれば、何かしらヒントが得られるかもしれない。


 だけど、僕の頭は大混乱だった。


 そんなところにお邪魔していいの?


 …………僕、ただの陰キャオタクですけど?


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