第2章
第13話 ママになった僕の日常
見なくてもいいのに見てしまって、予想通りに見たくもないものが待っていて嫌な気分になる。
そういう経験をしたことがある人は多いだろう。
何を隠そう、僕はしょっちゅう経験している。
陽キャどものウェーイで溢れかえっているSNSとか、僕が描いたイラストをディスってるヤツのSNSを見ては鬱々とした気分になる。
嫌な気分になるなら、見なければいいのにと我ながら思う。
前にこの心理は一体どこから来るのかと疑問に思って調べてみたけど、どうやら「何かに対して怒りたい」という欲求があるから、らしい。
現実世界で嫌なことがあって、直接不満をぶつけたいけどそういうわけにもいかず、手軽な怒れる相手を見つけているのだとか。
ディスられているみたいで軽く死にたくなったけど、激しく納得してしまった。
人は生きていると何かしらの不満を抱えてしまう。だからその不満を発散させるために、怒ってもいい相手を必死に探している。
今、こうして学校の登校時間にコンビニに立ち寄って、清野が載っている雑誌を見ているのも同じだ。
僕は怒りたいのだ。
なんでコイツはこうも可愛いのか。
なんでこうもけしからんおっぱいをしているのか。
それなのにオタクでアニメ好きでVtuberをやりたいとか、実に腹ただしい。
「……そろそろ制作を進めないとな」
清野に改めてVtuber活動を手伝うことを宣言してから、すでに3日が経った。
あれから細部を詰めてキャライラストは完成したけど、それ以外の部分はまだ何も進んでいない。
一応、髪の毛や衣装など各パーツを分解してはいるけど、やり方があっているのかはわからない。
今日あたり、時間を取ってじっくり調べてみるか。
そういえば、清野も調べてみるって言ってたな。何か有用な情報はなかったか確認してみよう。
そう考えた僕は、お昼ごはん用のパンが入っている買い物カゴの中に雑誌を入れた。
言っておくが、この雑誌を買うのは必要なことなのだ。
これは僕の中に溜まった怒りを発散させる、いわば配管の安全弁。
断じて可愛い清野の写真でナニを致そうとか、そういう下世話なことを考えているわけではない。決して!
「……あっ」
と、足早にレジに向かおうとしたとき、背後から声がした。
振り向いた瞬間、ギョッとしてしまう。
菓子パンコーナーに、清野(本物)が立っていたからだ。
「あ〜!」
そんな清野は、面白いものを見つけたと言いたげにニヤニヤしながら、しゃなりしゃなりと寄ってきた。
「おはよ、東小薗くん」
「お、おはよう」
「むむ、朝から買い食いはいかんぞ〜?」
「……」
どう反応すればいいのか、軽く混乱してしまった。
多分、最後のセリフは担任の増山先生のマネだろうけど、壊滅的に似てない。
そんな清野が続ける。
「……あ、今、そっちだって! って思ったでしょ」
「い、いや」
「どっじゃ〜ん。残念でした。私は買い食いじゃありませ〜ん」
などとほざきながら、清野はいちごクリームを挟んだケーキみたいなパンをこれみよがしに見せてくる。
いや、なにが残念でしたなのかが全くわからんのだが。
「それ、買い食いじゃないの?」
「……え? どう見ても違うでしょ」
「それ、いつ食べるつもりなの?」
「ん〜……これから?」
「さいですか」
やっぱりただの買い食いじゃないか。本当に何言ってんだこいつ。
てか、朝からハードなもの食べますね。
「あれ? その雑誌……」
と、清野の視線がカゴの中の雑誌に落ちる。
ぶわっと背中に汗が吹き出てきた。
「こっ、これは、あの、ええと……お姉ちゃんに頼まれて」
とか言い訳をしていると、清野がカゴから雑誌を取り出してパラパラとページめくりはじめた。
「あっ、これは」
そしてとあるページで手を止めて、わざとらしくこちらに見せてくる。
「むむむっ……この子、可愛いモデルさんだな!」
「……」
どうやら自分が出ていることをアピールしたいらしい。
清野が出てるから買おうとしてるんだけど──などと本当のことは言えるわけがなく。
「そ、それって清野さん……なの?」
「えへへ、わかっちゃった? そうだよ。今度出演するドラマ特集でインタビューされた記事も載ってるんだ」
ドヤる清野は「記事、読んでよ」と、そっと僕に雑誌を手渡してくる。
ドラマってあれか。この前ファミレスでいきなりセリフの練習したやつか。
「そういえば撮影って、まだなの?」
「もうすぐクランクインだよ」
「……? クランクイン?」
「あ、撮影が始まるってこと」
おお、専門用語なんか使って、なんだか業界人っぽいな。
いや、実際に清野は業界人なんだけどさ。
「だからマネージャの蒲田さんから『節制しろ』って言われてて、渋々従ってるんだよね」
「……へぇ」
そうかそうか。
片手にケーキみたいなパンを持ってるヤツが言うセリフじゃないけどな。
「それでね、私、気づいたの。蒲田さんが節制しろって言うのは、私が太っちゃったら撮影に影響が出ちゃうからでしょ?」
「多分、そうだね」
「でもさ、私が太ってるかどうかなんて比較対象がなきゃわからないじゃない?」
「まぁ、そうかもしれない」
「だったら一緒にドラマに出演する北岸あかねちゃんとか、里原舞ちゃんをご飯に誘って私と同じものを食べてもらったら、私が太ったことにはならないよね?」
「うん、まぁ、そうな…………え?」
つい賛同しかけてしまった。
一体どういうことだ。全く意味がわからん。
全員デブになったらデブが基準になるから、自分が太ったことにならないって言いたいのか?
ああ、なるほど。なるほどなるほど。
こいつ、やっぱりアホだ。
「ねぇ、これって大発見じゃない? 私天才かもって思ったもん」
「ある意味天才だとは思う」
「あ、東小薗くんもそう思う? へへ、照れるなぁ」
「思うけど、やらないほうがいいよ」
「……え? なんで?」
「絶対マネージャさんに怒られるし、誰も得しないから」
「……?」
清野が激しく首を捻っていると、彼女の後ろから背の小さな女子が近づいてきた。
ショートヘアで小動物っぽい雰囲気の女子。僕たちのクラスメイトであり、清野の親友でもある乗富みどりだ。
「ラムりん、おっす〜」
「……あ、みどり、おはよ〜。あれ? 今日は朝練なかったんだっけ?」
「ん、試合前だからね〜。てか、朝からヤバいもん食おうとしてんね?」
「こ、これはお昼ごはんなの!」
さらっと嘘ついたなこいつ。さっきこれから食べるって言ってたじゃないか。
「まぁ、いいや。早く学校行こうよ」
「うん! ……あ、チョット待って」
乗冨とレジに向かおうとしていた清野は、すすっと僕に顔を近づけてくる。
いきなり何!? とのけぞってしまった僕の耳元で清野がささやく。
「昨日、Vtuberのやり方について色々調べてみたんだ。だから……お昼休みに話そ?」
「あ、う、うん。わわ、わかった」
なんとかそう返せたが、ヤバいくらいに僕の心臓がバクバクいっていた。
いきなりキスされるかと思った。
いや、そんなわけはないんだけどさ! てか、確かにVtuberの件はバレないようにしないといけないけどさ、もうちょっとやり方があるだろ!
「それじゃあ、学校でね」
小さく手を振って、清野がレジで会計をすませて乗冨と出ていった。
去り際に僕と目があった乗富が、清野に「珍しい人と話してたけど、なにかあったの?」と尋ねていた。
不思議に思って当然だ。
Vtuberの件がなければ、こうしてコンビニの中で顔をあわせても話しかけられることすらなかったはずなのだ。
でも、こんな関係が続くのも、清野のキャラができるまで。
それが終われば、今までの関係にもどる。
同じ教室で、授業を受けるだけの関係に──。
「……」
瞬間、なんだか経験したことのないモヤモヤが胸中に渦巻いた。
何だこれは。
もしかして、こういう関係が終わるのを残念だとか思ってるのか?
「……いやいや、ありえないから」
バカか僕は。なんで残念とか思う必要がある。
姉以外のオタク仲間がいるのは嬉しいけど、一緒にいると疲れるし、ハチャメチャなことにつきあわされるし、迷惑極まりない。
むしろ、元の関係に戻ったらせいせいするはずだろ。
僕はそう自分に言い聞かせつつ、清野に渡された雑誌を握りしめてレジへと向かうのだった。
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