第10話 わかったのはおっぱいの大きさ

 人生ではじめて異性との下校イベントを終えた翌日。


 僕はこれまた生まれてはじめて一睡もせずに学校に来ていた。


 と言っても、清野との下校イベントで胸キュンドキドキして夜も眠れなかったというわけではない。


 帰宅して早々に部屋にこもり、清野のVtuberキャラクターのデザインに没頭していたからだ。


 昨晩は夕食も食べず、姉には「今日はコンビニか出前を頼んで」と伝えた。


 おかげで姉から「部屋で如何わしいことでもしているんじゃないか」と、不審……というか、好奇の目で見られてしまった。


 時折り部屋のドアの向こうから姉の「部屋で何をしてるの? お姉ちゃんが手伝おうか? ハァハァ」なんて興奮した声が聞こえてきたけどガン無視した。


 そんな感じで夜通しイラストを描き続けて、10体以上のキャラを作ったのだけれど、一昨日までと違ってすごく手応えを感じていた。


 きっと「清野らしさ」がなんとなく理解できたからだろう。


「おはよう東小薗く──て、どど、どうしたの!? まるで夢の中でサキュバスに精気を吸い取られた後の抜け殻系男子みたいな顔になってるけど!?」


「……」


 早朝の昇降口。


 下駄箱の影から現れた清野が、まるで事前に準備していたかのような説明口調で言った。


 まさか僕のことを待っていたのか!? ──とか思ったけど、すぐに乗富や三星を待っていたんだと気づき、軽く死にたくなった。


 しかし、瞬時にサキュバスなんて例えが出てくるって、やっぱりオタクだな。


 抜け殻系男子って言葉ははじめて聞いたけど。


「昨日って何かアニメあったっけ? あっ、もしかして『族長』の配信? 本当に精気吸われちゃった系?」


「そういうわけじゃない」


 淫魔系Vtuberの族長は「夜な夜な配信で男子リスナーの精力を吸い取っている」という設定だけど、んなわけないだろ。

 

 そもそも昨日の配信は観てないし。


 清野が目を輝かせながら尋ねてくる。


「昨日の族長配信ってどうだった? 実は配信が始まるのを正座待機してたんだけど、寝落ちしちゃったんだよね。あ……でも、後でアーカイブ観るつもりだから、感想はネタバレ無しでお願いします」


 こいつ……昨日の漫画プレゼンに続いて無茶振りしてきやがって!


 族長配信は観てないし、観ていたとしても完徹状態の僕にそんな難易度が高い感想を考えられるわけないだろ。


 などと考えながらぼーっとしてたら、本気で心配になったのか清野が不安げな表情で顔を覗き込んできた。


「……ねぇ、本当に大丈夫?」


「あ……だ、大丈夫。寝てないだけだから」


「寝てないって、ホントに朝まで族長の配信観てたの?」


「違うよ。昨日、家に帰ってからキャラデザをやってたんだ」


「……えっ!? うそっ!?」


 ギョッと目を見張る清野。


「まさかキャラデザって、私の!?」


「そ、そう」


「私のキャラ、徹夜で描いてくれてたの!?」


「う、うん。そう……だけど」


 そう返すと、清野はなぜかシュンと肩を落とした。


「ど、どうしたの?」


「ごめん。昨日一緒に帰ろうって言ったのは、別にキャラを早く描けって急かしてたわけじゃないんだ。なんだか悩んでるみたいだったから、手助けになればいいなって──」


「あ、いやいやいやいや、違う違う。徹夜しちゃったのはそういう理由じゃなくて、描きはじめたら止まらなくなっただけなんだ。誰に急かされたってわけじゃなく、ただ、好きでやっちゃったっていうか……」


 慌てて返すと、清野がちらりと上目遣いで僕を見た。


「そう、なの?」


「う、うん。だから清野さんは気にしなくていいから」


「……それなら、よかった」


 清野がほっと安堵したように微笑む。


 その笑顔に心がざわついてしまった。


 クソ。何を必死にフォローしてんだよ。それに、誤解がとけたからって安堵なんかして。こんなやつ、どうでもいいだろ。


 いや、どうでもよくはないけどさ。


 ……あれ? どうでもよくないの? どっちだっけ?


 寝不足で頭が回ってないから、よくわからん!


「そ、それで、描いてきたキャラなんだけど」


 混乱してきた頭をリセットさせようと、僕は話をキャラデザの件に戻した。


「昼休みにマルチメディア室で確認してもらってもいいかな? ここでスマホ画面で見てもらってもいいんだけど、パソコンの画面でちゃんと確認して欲しいし……それに、周りの目もあるし」


 ちらりと横目で周囲を見る。


 登校してきた生徒たちが物珍しそうに僕たちを見ていた。


 ここで長話をするのは良くない。それに、下手をしたら周りにVtuberのことがバレてしまうかもしれないし。


「そうだね、わかった。ありがとう。じゃあ楽しみにしとくね」


 清野が嬉しそうな顔でうなずく。


 そんな彼女が、ふと思い出したように続けた。


「あ、そうだ。これ東小薗くんにあげる」


 清野がバッグの中から取り出したのは、小さなチロルチョコだった。


「……え、何でチョコ?」


「チョコってカフェインが含まれてるらしくて、眠気覚ましに良いんだよ。私もよく食べてるんだ」


「あ、ありがとう。でも、どうしてチョコを持ってるの?」


「え?」


「だって、昨日は夜ふかししてないんだよね?」


 族長配信を待ってる間に寝落ちしたって言ってたし。


 不思議に思っていると、清野は気まずそうに目を泳がせ始めた。


「あ〜、それは、ね」


「……?」


「べ、別にお腹空いた時のためにチョコを常備してるとか、そんなんじゃないからね?」


 恥ずかしそうに頬を赤らめる清野。


 あ〜、そういうことね。小腹対策用のチョコか。


「これはたまたま持ってたの。だから食い意地が張ってるとか思わないでね?」


「わ、わかった」


 と言いつつも、つい冷めた視線を投げつけてしまう僕。


 今更感がハンパない。


 昨日、ドヤ顔で「お昼も弁当だけじゃ足りないんだよね」とか言ってたくせに。


 というか、昨日あんなに僕の前でガツガツ牛丼食ってたくせに、チョコを常備してることを恥ずかしがるって、基準どこだよ。


 昨日、多少こいつのことは理解できたと思ったけど……やっぱりよくわからん。



+++



 ようやく午前の授業が終わった。


 なんとか睡魔地獄を乗り越えることができたけれど、授業の内容は全く頭に入ってこなかった。


 特に2時限目の現代社会がやばかった。つまらない授業と相まって、教師が念仏みたいな喋り方なのだ。


 しかし、だからといって居眠りをするわけにはいかなかった。


 授業態度如何によって、昼休みにマルチメディア室を使えなくなってしまう。


 あそこはすべての生徒が利用できるわけではなく、担任に許可をもらえた生徒だけが使える特別な場所なのだ。


 まぁ、僕の成績はクラス上位に入っているので大丈夫だとは思うけど、許可が降りなくなってから焦っても遅い。


 というわけで、今日も無事に担任の増山先生から許可がもらえたので、約束通り清野とマルチメディア室にやってきた。


「……よし」


 教室に誰もいないことを確認して、清野と中に入る。


 いつもの席についた僕は、ポケットからイラストが入ったUSBメモリを取り出した。


「とりあえず10体描いてみたんだ」


「じゅ、10体!?」 


 隣りの席に着いた清野が、目を丸くした。


「10キャラも描いてくれたの!?」


「あ、いや、描いたけど10体全部を確認してもらうってわけじゃなくて、その中から一番良いと思うものを見てもらおうかと思ってる」


「あ、そうなんだ。でも、普通に10体全部見たいけど……」


「……え? ホント? じゃあ、それは後で」


 てっきり、ドン引きされたのかと思ったけど勘違いだったか。


 僕はパソコンに挿したUSBメモリから、1枚のイラストを取り出す。


 画面に写ったのは、黒の髪に青のメッシュが入ったボブカットの女の子だった。


 衣装は白と青を基調とした、学生服をアレンジしたデザイン。


 顔は少し目尻が下がっていて可愛い印象だが、スクエア型のメガネをつけているので真面目な雰囲気がある。


 このキャラが10体描いた中でイチオシのキャラだった。


「これって」


「う、うん。清野さんの雰囲気をそのままキャラクターにしてみたんだ。普段はおとなしいけどゲーム・アニメのことになると情熱的になる、みたいな設定のキャラなんだけど……」


 僕がデザインしたのは、意外性のかけらもないストレートに清野のイメージを表現した「清楚キャラ」だった。


「で、でも、清楚キャラにしたのにはちゃんと理由があるんだ。昨日、清野さんと一緒に帰ってわかったんだ。清楚キャラを演じている芸能人の清野さんと、オタク活動をしている清野さん……そのどっちも清野さんを語る上で大切な要素だって。『清楚だけどオタク』っていうギャップが、清野さんの魅力なんだ。だから、それをそのままキャラクターで表現した」


 褐色系や小悪魔系など色々描いてみたけど、一番「これだ」と思ったキャラがこの子だった。


 結果的に原点に戻ったって感じだけど、必然性を感じて戻った原点には、すごく説得力があった。


 清野の分身を担ってもらうのは、この子しかいないと思った。


「えと……人ってギャップに魅力を感じるものだと思ってるんだ。普通だったら絶対にありえない組み合わせ……例えば、ギャルなのにオタクに優しいとか、不良なのに喧嘩が苦手だとか、不真面目なのにマナーやルールに厳しいとか……だから、『清楚なのにオタク』っていうことをストレートに表現するのが、やっぱり一番いいと思う……んだけど……ええと」


 言葉が尻すぼみになってしまったのは、清野の表情が強張ったままだったからだ。


 何も言葉を発しようとしない清野の目は、じっとモニタのイラストを見ている。


 見ている、というより睨みつけているという表現が正しいかもしれない。


 その横顔に一抹の不安を覚えてしまう。


 もしかして……気に入ってもらえなかったのだろうか。


 清野は先日、「かすみたんみたいなデザインがいいかも」と言っていた。


 それに、その前は「もぐらたんや族長みたいなデザインも捨てがたい」とも言っていた。


 今回出したキャラデザは、それらとは大きく逸するもの。


 清野の見た目そのままのイメージ……いわば、清野の事務所が彼女に課している「清楚系」なのだ。


 静まり返ったマルチメディア室に、パソコンの冷却ファンの音だけが響く。


 これは他のデザインも見てもらったほうが良いか。


 そう思って、別のイラストを開こうとしたときだった。


「……て」


 ぽつり、と清野の口から声が漏れた。


「て、て……てぇてぇ!」


「っ!?」


 マルチメディア室に清野の奇声がこだました。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って東小薗くん! 何この子、メチャカワなんだけど! えと、あの、何だろう! 尊すぎてしんどいのにうまく言葉に表現できなくてしんどい!」


 清野はパソコンのモニタを食らいつこうと言わんばかりの勢いで両手でつかみ、マジマジとイラストを吟味しはじめる。


「待って待って! 顔も可愛いし、衣装も可愛いし、この前髪パッツンがたまらん! 無理無理無理! だめだつらい! 好きすぎるっ! てか、描き込みすごすぎない!? イヤリングとかネックレスとか小物まできっちり描いてるし……それになにこれ、後ろ姿まであるんですけど! そこまで描く必要ある!?」


「う、後ろ姿は見せる機会がないから必要無いといえば無いんだけど……デザインをするためには必要かなと……」


「すご! 東小薗くんのこだわり&ラブみ強い! 私のバイブスが鬼なんだけど!」


「あ、ありがとう。そ、そこまで大絶賛してくれるなんて、僕も嬉しい……」


「や、や、ホント最&高だよ! 清楚キャラにしてくれた理由も納得だもん! そうだよね! 確かにかすみたんもギャップ萌えだもんね! わかりみ強い!」


 そして清野はくるっとこちらを振り向いたかと思うと──突然、僕に抱きついてきた。


「ホントにありがとうっ! 私にピッタリの最っ高のキャラだよ! すごく嬉しいっ!」


「……」


 あれ、なんで僕、清野に抱きしめられてルンダ?


 寝不足で頭の処理能力が旧型のパソコン並に遅くなっている僕には到底理解できない状況だった。


 状況が処理しきれなくなった僕の頭は、自然と体に与えられている刺激に全神経を集中させる。


 刺激。


 つまり僕の胸部に当たっている、清野のふくよかなふたつのソレの感触に。


「やっぱり東小薗くんは天才すぎるっ!」


 ムニュ。


「私の性癖をピンポイントで突いてくるなんて、すごすぎるでしょ! 感謝! これは圧倒的感謝!」


 ムニュ。ムニュ。


 さっきから清野が何か言ってるぽいけど、全く耳に入ってこないな。


 うん、このまま幸せの奔流に飲み込まれていこう──と思ったけど、清野はあっさりと僕から離れて再びモニタに食いついた。


 ああ、なんだよ畜生。


「あ〜、何回見てもてぇてぇすぎる。早くこの子になりたい……」


「あ、チョット待って、この子はこれでまだ完成じゃなくて……ここからさらに詰めていく予定だから」


 そう補足すると、清野は首がもげるかと思うくらいに深々と頷いた。


「わかった! それじゃあ、私は何をすればいいかな?」


「え? ええと、べ、別に清野さんは何も……」


「あ、そうだ! とりあえずお礼をしなきゃね! いくら課金すればいい?」


 いや、課金とか言うな。


 妙に生々しいから。


「お、お金はいらないよ。この一件で僕も色々と勉強させてもらったし、何ていうか……絵描きとして成長できた気がするんだ。だ、だから、お礼はそれだけで十分っていうか」


「は!? ダメだよ! 成果物にはちゃんとした報酬がないと! そんなのプロじゃないよ!」


「……」


 僕はプロのイラストレーターじゃないんだけど、とは心の中で返す。


「とにかく、何かお礼をさせてもらわないと私の気がすまないし、爆発しかけてる私の胸が沈静化しないっ!」


「……胸」


 そう言われて、僕の視線は自然と清野の胸に吸い寄せられてしまう。


 あれがさっき僕の体に密着していたブツか。


 なるほど。ネットにあったDカップという情報は真実だな。


 ……じゃなくて!


「わ、わかったよ。じゃあ……今度ご飯でもおごってくれれば、それでいいから……」


 妙な罪悪感に駆られた僕は慌てて返す。


 奢ってと言っても、昼に購買部の焼きそばパンでも買ってくれればそれでいい。


 ──と、その程度に思っていたのだが。


「オッケ! わかった! じゃあ、今日の放課後ね!」 


「……は? 放課後?」


「そ! 早速、キャラ誕生祝いを兼ねて、ご飯に行こうよ!」


「あ、いや、ごめん。僕が言った『奢って』って、そういう重い感じのヤツじゃなくてもっと軽めの」


「心配しないで。今日は牛丼屋じゃなくて、ちゃんとした所にいくから」


 ニッコリと眩しいほどの笑顔を覗かせて、サムズアップする清野。


 だからそういうことを言ってるんじゃなくてだな。


 あ、お前、何スマホでさっそく店を検索しようとしてるんだ!


 てか、少しは僕の話を聞いてくれっ!


 ああもう、なんなんだよこいつは!

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