第9話 そして清野を理解する
清野の食欲は、本当にハンパなかった。
僕が頼んだ並盛の「4種のチーズ牛丼」を食べ終わる前に、ギガ盛りの明太マヨ牛丼を食べ終わったのだ。
メニューを確認したところ、ギガ盛りは並盛の3杯の量があるらしい。
涼しい顔でペロッと平らげていたけど、そのスリムな体のどこに並盛の3倍のメシが入っているのか。
さらに驚いたことに、「シメで唐揚げ頼もうかな?」とか言っていた。
こいつの満腹中枢はどうなってるんだ。
このままチンタラ食べてたら、清野のエンゲル係数がヤバいことになりそうだったので急いで牛丼を掻き込んで、お店を後にした。
そんなに長い時間いた感じではなかったのだけど、外はすっかり暗くなっていた。僕は姉と二人暮らしなので門限はないけれど、清野は大丈夫なのだろうか。
「き、清野さんは時間とか大丈夫?」
「ん、そろそろ帰らないとだけど……もう一箇所行きたいところがあるんだよね。良いかな?」
「え? う、うん、僕は良いけど」
でも、どこに行くんだろう。
時間があまりないってことは、長居する場所じゃないと思うけど。
変にドキドキしつつ、僕は清野の後を付いていく。
やがて清野は、とある店の前で足を止めた。
「……ここって」
「そ、本屋」
到着したのは、牛丼屋から5分ほど歩いた所にある小さな書店だった。
僕もたまにこの書店に立ち寄ることがある。大きさの割に品揃えが良くて、大抵の書籍は取り扱っているのだ。
「私、本屋って大好きなんだよね。何ていうか……意外な出会いがあるからさ」
「……意外な出会い?」
「そ。たまに知らない面白そうな本とばったり出会えることがあるじゃない? 毎回ってわけじゃないけど、2、3回に1回くらいは胸キュンな出会いがあるから、つい行っちゃうんだよね」
それはわかる気がする。
僕もこの書店に立ち寄るときは、何か面白そうな本は無いか漠然と考えているときだ。
漫画やラノベの新刊を買うときはネットを利用して、清野が言う「出会い」を求めてるときはリアルの書店を利用するようにしている。
多分、清野も同じなのだろう。
書店に入った僕たちの足は、自然と漫画コーナーに向かった。
清野も漫画を読むんだ……と思ったけど、清野も僕と同じオタクだった。
「あ、これ、『ロデオン』の作者の新作じゃない?」
清野が新刊コーナーに平積みされていた本を手に取った。
ロデオンというのは、半年前にアニメ化もされたダークファンタジーの漫画で、グロテスクな表現も多く、男性を中心に人気を博している。
なるほど。清野はそういう系もイケる口か。
「それ読んだよ。意外と良かった」
「ホント? どこが良かった?」
「え?」
「私にどこがエモキュンだったか、簡潔にプレゼンしてください。周りに迷惑になっちゃうから小声でね? はいどうぞ」
「……え? は? え?」
いきなり無茶振りするな。そんなの急に答えられるわけ無いだろ。
……と思ったけど、ここで語れなければオタクとして失格な気がしてしまった。
いいだろう。エモキュンなところをお前に教えてやる。
「ええと、その漫画は『主人公のリーマンが隣に住んでる女子高生とご飯を食べる』ってだけの『日常系』の漫画なんだけど、まず、本当にロデオンの作者が描いたのかって思うくらいに路線が違くて。ゆるい感じがすごく癒やされるんだ」
「ふむふむ……」
真剣な眼差しで頷く清野。
そんなふうに真面目に聞かれると、なんだか恥ずかしい。
「それで、一緒にご飯を食べる家族が欲しかった女子高生と、体を壊して食生活を見直さなければいけなかったリーマンの利害が一致して食卓を囲むことになるんだけど、お互いに一歩一歩あゆみ寄って行く感じが良くって」
「ほうほう」
「あと、絵はもちろん最高なんだけど、キャラクターも最高でね。とにかく全部が美しすぎて目が幸せになるっていうか」
「あ〜ね。それはなんとなくわかる。表紙の主人公のシコみがすでにやばいもん。この少し病んでる感じが推せる」
「……」
清野の口から出た「シコみ」という言葉に、妙にドキドキとしてしまった。
「ありがとう東小薗くん。すごい面白そうだから買ってみる。読んだら私も感想言うね」
「……う、うん」
安心した。どうやらプレゼンはうまくいったらしい。
新刊コーナーに並んである本を眺めながら、清野が続けざまに尋ねてきた。
「東小薗くんって、本は読むほう?」
僕は一瞬、返答をためらってしまった。
本は読んでいることは読んでいるのだけれど、あまり一般女子が好まないものだったからだ。
だけど、相手がオタクであることを思い出し、正直に答えることにした。
「漫画とかラノベとかは結構読んでるかな」
「へぇ、ラノベも読んでるんだ。今は何を読んでるの?」
「今読んでるのは──」
そうして僕たちはラノベコーナーに行って、お互いに読んでいるラノベを推し合った。
どうやら清野はラブコメが好きらしい。
アニメ化された王道のラブコメから、WEB小説が書籍化したものまで幅広く読んでいた。清野に勧められたものの中で、いくつか面白そうな作品があったので僕も買うことにした。
それらか僕たちは、雑誌コーナーに向かった。
「あ」
清野が足を止め、雑誌を手に取った。
「どっじゃ〜ん」
妙な効果音を添えて清野が見せてきたのは、とあるファッション誌の特集ページだった。
そこに書かれていたのは「イケてる女子の部屋着特集」なるコーナーで、可愛い服を着た女性がこちらにほほえみかけている。
なんだか見覚えがある顔だけど──。
「……あ、そ、それって」
「そ、私。だいぶ前に撮影したやつだけどね」
随分と雰囲気が違うけど、そこに写っていたのは間違いなく清野だった。
全面にファスナーがついている大きめのグレーのジップアップパーカー。その下にピンクのタンクトップシャツと、ショートパンツ。
制服のときと違って、何ていうか……大人のオーラがやばい。
「どう?」
「ど、ど、どうって?」
「感想ちょうだい?」
手を耳に当てて小首をかしげ、僕の返事を待つ清野。
瞬間湯沸かし器のように顔が熱くなり、体中から汗が吹き出した。
「い……い、良いと思う……けど」
「……え、それだけ?」
「あ、う、ええと……そ、それだけ……じゃなくて」
「ん」
「か……かわ、可愛……い……です」
「えへへ、ありがとう」
清野が少しだけ頬を赤く染めて満足そうに微笑む。一方の僕の顔は、きっと爆発するかと思うくらいに真っ赤になっているに違いない。
クソォォッ! 何なんだこれは!
本人を前に「可愛い」なんてアホみたいなセリフを!
完全に罰ゲームじゃないか!
恥ずかしさで死にかけてしまった僕は、その羞恥心を紛らわすために清野に尋ねた。
「……そ、それ、買うの?」
「うん。こういう雑誌はあんまり買わないんだけど、自分が出てるときは買うようにしてるんだ」
「き、記念に?」
「ん〜、そういうんじゃなくて、チェックするためかな」
清野はパラパラと雑誌をめくりながら続ける。
「もっとこういう撮られ方をすればよかったな〜って反省したり、一緒に撮影したモデルさんの写真を見て勉強したりとかさ。時間を置いて見返すといろいろと気づく事があるんだよね」
ギョッとしてしまったのは、身に覚えがある話だったからだ。
そんな僕を見て、清野が尋ねる。
「どうしたの?」
「あ、い、いや。イラストでも似たようなことがあるから驚いたっていうか……似てるなって」
「似てる?」
「う、うん。例えば、夜描いたイラストを朝見返すと、塗り残しとかデッサンが崩れているところとか見つけられるんだ。だから、そういうチェックは朝にやるようにしてる」
「そうなんだ。本当に似てるね。じゃあ、私たち、似た者同士ってことかな?」
「……」
少し恥ずかしそうに微笑む清野。返す言葉をなくしてしまったのは、そんな彼女の仕草に悶絶したからというわけではない。
はっきり言って意外だった。清野がそこまで本気でモデルという仕事に取り組んでいるとは思わなかった。
てっきり優れた容姿に生まれたことにあぐらをかいて、適当にやっているんだろうと高をくくっていた。
それが陽キャという「強い人間」として生まれた者の「特権」だと思っていた。
だけど──違っていた。
清野も僕と同じだった。
改めて、清野という人間のことを何も知らなかったのだと痛感した。
「あ、あの……清野さんは、芸能人をやってるときの自分と、アニメとかゲームを語ってるときの自分、どっちが好きなの?」
つい、そんなことを清野に尋ねてみた。
彼女は悩む素振りも見せず即答する。
「どっちも好きかな」
「え?」
つい、キョトンとしてしまった。
「意外だった?」
「う、うん。てっきり自分の素顔が出せる後者が好きなのかと思ってた」
「どっちも同じくらい好きだよ。だって、清楚キャラを演じてる自分も、アニメ語ってる自分も、どっちも大切な私だもん」
その言葉に、はっと気付かされた気がした。
芸能人の清野も、オタクの清野も自分自身。
そこに優劣なんてなく、同じくらいに好き。
僕には到底無理な考え方だけど……そう考えられるのが清野という人間なのか。
「どっちも、清野……か」
「そ。どっちも可愛いラムりんだよ」
自分で可愛いとか言うなよ。
いや、実際に可愛いんだけどさ。
というか、普通の女子がそんな事を言ったら「何勘違いしてんだコイツ」ってなるけど、清野だとそう思わないからズルい。
三星の言葉じゃないけど、マジで無敵だろ。
やっぱりコイツは陽キャの女王で、僕とは相容れない人種。
だけどと、僕は清野をチラリと見て思う。
なんだか少しだけ、清野のことがわかった気がする。
これなら──彼女らしいキャラクターが描けるかもしれない。
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