第27話

「……クション」


「──はっ」


 俺は、聞き慣れた声で目を覚ました。

 周りを見渡す。

 白いシーツ、白い天井、白い壁。


「ここは、病院……か?」


「いいえ、私の借りている宿屋ですよ、ハジメさん」


!!

 

 隣を見れば、いつもお世話になっている行商人さんがそこにいた。

 ベッドの横に腰掛けて、こちらを見つめている。

 

「あれ、行商人さん、なんで……っていうか、あれ、その目──」


「え、 目がどうかしました?」


 そう言いながら、行商人さんは自分の顔を背ける。


「ごめん、今、行商人さんの目がいつもと違う色に見えたんだけど」


 俺が知っている行商人さんの目の色は夜の闇のような紺色だ。だが、今さっき見えた色は、まるで宝石のエメラルドのような──


「え、なんのことですか?」


 そう言いながら、行商人さんがこちらを向く。

 その目は、見慣れた紺色だった。


「おかしいなぁ。たしかにさっき──」

 

「勘違いじゃないですか? ハジメさん、きっと寝ぼけてたんですよ」


「そうかな? それにさっき、起き抜けに『──クション』って何か不思議な言葉を聞いたような気がする。あれはいったい──」


「ハックション! あー、ここ、なんだか冷えますね」


「いや、むしろ熱いと思うけど……」


「ハハハハハ、デスヨネー……」


 行商人さんが、何かを誤魔化しているのは気になったけど、よく考えてみれば、今はそんなこと、どうでもいいのだった。


 自分の体を見ると、あちこち包帯が巻かれているし、ベッドの横の棚にはポーションが置いてある。

 この状況から察するに、きっと憲兵団に袋叩きにされた俺を、行商人さんが介抱してくれたのだ。

 なによりもまず先に、お礼を言わなきゃならない。


「ありがとう、俺を助けてくれて」


「いえいえ、当然のことをしたまでですよ。ここ街でお店を構えるところを探していたら、たまたま通りかかっただけなので。ただ、何があったんですか? どうしてハジメさんがあんなことに……」


「うん、俺も全部の事情を知っているわけではないんだけど……」


 俺は行商人さんに今日あったことを話した。

 俺の財布を盗んだ泥棒を憲兵団の団長が捕まえてくれたこと。そして、財布を返してもらおうとしたら、副団長が出てきて──

 行商人さんが神妙な顔をする。


「なるほど……私もこの街に来たばかりなのであまり詳しくはないんですが、グレイブルの憲兵団の汚職と職権乱用はこの辺りでは結構有名みたいです。そしてその糸を引いているのが、副団長であるカガネという男らしいです」


 副団長、カガネ……。

 あのひどく縁起の悪そうな男か。

 

「前団長が事故で命を落としてから、憲兵団の実権を事実的に彼が支配しているようですね。水の独占販売、取得物横領と、やりたい放題やっているみたいです。逆らう市民や異議を唱える団員は軒並み逮捕して投獄されているとか」


「なんて奴だ……」


 その酷さはこの身に受けて目の当たりにしている。

 こんなのが日常茶飯事だというのか。


「でも、そんなことしたら街の人達だって出て行くんじゃないのか? もしくは、不満を持つ人達で集まって反乱軍を組織したりだとか……」


「それが結構ややこしい話でして、街唯一の水源である湖ともう一つ、憲兵団が独占しているものがあるんです」


「それは──?」


 いったい何を独占したら民衆の反乱を防げるというのだろうか。


「ダンジョンです」


 ダンジョンを、独占?

 それがいったい何の関係があるのだろうか?


「メインストリートの一番奥にある、白い石でできた宮殿。あれはこの街の憲兵団の本部であると同時に、この街のダンジョンでもあるんです。憲兵団はダンジョンを探索者に開放せず独占し、兵士を使って定期的に探索することで、中の財宝やモンスターからドロップした金銭を街で使って豪遊しているんです」


 つまり、憲兵団はこの街で一番金を使う太客ということか。

 なるほど、それなら納得がいく。

 水代にお金を取られてもそれ以上のお金を還元してくれるならある程度は納得ができるということだろう。


「でも流石に500mlで5ギルは高い気がするけど」


「え? ハジメさんそんなに取られたんですか? この街で売られている値段でも、たぶんもっと安いと思いますけど」


 ここで行商人さんから衝撃の情報が入る。

 どうやら俺は他所者ということでさらに値上げされていたらしい。

 憲兵団、とことん許せねぇ……。


「いや、結局俺はその後財布を盗まれたから水は買えなかったんだけど……」


「あ、でしたらこれ、どうぞ」


 行商人さんが荷物から取り出したのは、革袋に入った水だった。


「ありがたい!」


 正直、ずっと喉が乾いて仕方がなかったのだ。

 俺はゴクゴクと一気に飲み干してしまう。

 めちゃくちゃうまい。

 五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡るとは、このことだ。


「はい、1コルになります」


「えっ」


「嘘ですよ。嘘」


 茶目っ気たっぷりに笑ってみせる。

 そんな行商人さんには本当に心を洗われる。

 この街に来てからずっと、ろくな目にあっていなかったからかもしれない。

 そういえば、と俺はずっと聞いていなかったことを思い出した。


「行商人さん、名前はなんていうの?」


「え、名前、ですか?」


「うん、ずっと“行商人”さんじゃあ呼びずらいかなって」


 すると行商人さんはモジモジと縮こまってしまった。

 もしかして、何か気にしている名前だったりするのだろうか。


「えっと、もちろん無理にとは言わないけど」


「いえ、大丈夫です。私はミクって言います」


 なんだ、全然普通の名前じゃないか。


「素敵な名前だね。ミクさん、お水と、それから俺を助けてくれて、本当にありがとう」


「いえいえ……そんなそんな……」


 すごく照れている。

 思った以上に謙虚な人なのかもしれない。

 不意に窓の外を見ると。もう日が暮れようとしていた。どうやら、かなり厄介になってしまったらしい。

 俺はベッドから起き上がる。


「それじゃあ、これ以上お世話になるわけにもいかないし、俺は失礼するよ」


「そんな、もっとゆっくりしていってもいいのに……」


「いや、もう十分休ませてもらったよ。それに、たっぷりお礼をしないといけない相手が、他にもいるからさ」


 俺は窓から見える宮殿を睨みつける。


「そうですか。たぶん止めても無駄でしょうから、無理だけしないようにお願いします。ハジメさんは、うちのお得意様ですからね。あと、私にお手伝いできることがあれば、何でも言ってくださいね」


 ミクはグッと拳を握ってみせる。


「ありがとう、でもホントに気持ちだけで──」


 そこまで言って、俺は窓の外をもう一度見て、あることを思いついた。


「あのさ、もし良ければだけど、黒い布とか、売ってたりするかな?」

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