第10話
次に目を覚ました時、俺はベッドの上にいた。
知らない部屋だ。ベッドと、簡単な調度品しかない。
俺はボスモンスターの一撃を食らって、ヤマトたちパーティメンバーに見捨てられ、死んだはずでは?
だとしたらここは天国か? それとも地獄か?
わけもわからずポカンとしていると、不意にドアが開いて、白い髭を蓄えた老人が入って来た。
「おや、起きなさったか」
老人は手にスープを持っていた。
神様だとしたらあまりに牧歌的だ。
「ここは?」
「大都市オランゲルの陰に隠れた小さな民宿じゃよ。安心せい。宿代は貰っとる。ゆっくり休みなされ」
「そんな、俺、宿代なんて……払ってません」
「ああ、血だらけのお前さんを担いで来た娘さんが払っていきなさった」
血だらけ。やはり俺はまた死にかけたのか。
いや、今度こそ本当に俺の命は失われたように思う。それくらいの傷だった。
だが、だとしたら俺はなぜ、生きている──?
「お前さんの命なら、あの娘さんが救っていきなさった。いやあ、あんなスキル、初めて見たわ。長生きはするもんじゃわい」
「命を救う、スキル? それって──」
ヤマトが言っていたことを思い出した。死んだ人間を生き返らせるユニークスキルを持った人間がいると。
俺は運良く、ダンジョンを通りかかったユニークスキル持ちの探索者に助けられた、ということだろうか?
だとしたらこんなことをしている暇はない。
「おじいさん、俺を助けてくれたその人、どんな人でした?」
「はて……顔はフードで良く見えんかったが……そうじゃの、目が世にも珍しい翡翠の色をしとったのう」
翡翠色の目。
こちらの世界でも珍しいなら、それを手がかりに探せば、会えるかもしれない。
「ありがとう、おじいさん」
俺がベッドを飛び出そうとするのを、じいさんが慌てて押しとどめる。
「待て待て。どこに行くつもりじゃ」
「その助けてくれた人に、お礼を言わないと。まだ遠くに行ってないかもしれない」
「いや、残念ながらそれは無理じゃろう。娘さんがお前さんをここに送り届けてから、もう三日は経っとる。今すぐ追いつくのは不可能じゃろうて」
「三日⁉︎」
自分がそんなに眠っていたとは知らなかった。
俺のお腹がグゥーっと間抜けな音を立てる。
「腹の方がよほど正直じゃわい。どれ、こんなものでよければ、食べて行きなされ。娘さんを追いかけるのはそれからでも遅くはないじゃろう」
じいさんが俺に持っていたスープを差し出す。
真っ白いスープにオレンジ色の野菜が浮かんでいる。
俺は受け取ると、スプーンで野菜をすくった。
「いただきます」
「ほほ。召し上がれ」
ゆっくりスプーンを口に持っていくと、クリーミーなスープが口いっぱいに広がって、下が痺れるほど美味しかった。
スープ自体もさることながら、三日ぶりの食事というのもあって、俺は夢中でスプーンを口に運んだ。
その間、じいさんは横で俺に、いったい何があったのかを尋ねた。
俺はスープを飲みながらダンジョンで起きたことについてかいつまんで話した。
「ふむ。そうか、そんなことが……」
じいさんはベッドの隣りの椅子に腰掛けた。
「旅人さん、あんたが体験した出来事は、酷いことじゃ。同情するに余りある。同じことが街中で起きれば、すぐに憲兵が駆けつけ、陪審員が然るべき罰を下すじゃろうて」
そう言ってじいさんは少し髭を触り、間を置く。
「しかしな、残念ながらダンジョンでは、そういった事件は珍しくない。クリアしたものに莫大な財宝が手に入るダンジョンではな、人々の野望や欲望といった部分が、とかく表に出やすい。自治自衛をうたっておる探索者ギルドもそれほど役に立たんと聞く。特に旅人さん、あんたのような他所者にはな。これからも探索者を続けるつもりならば、こういったことはもっと起こると考えておく必要があるじゃろう」
俺はスプーンを止め、スープに写る自分の顔を見た。
こういったこと。
裏切り。謀略。殺人。盗難。扇動。
人間の負の面が起こす災厄。
ダンジョンではそれがいとも簡単に起こるという。
だとしたらこの世界は、なんて残酷なのだろう。
だが俺はまた、この世界で生きていかなければならない。
この身一つで。
もしまた同じことが起きたとして、今の俺に対処する方法があるだろうか。
スープに写る俺の顔は苦しそうに歪んでいた。
すると、じいさんが言った。
「どうじゃろう。あんたさえ良ければ、ここでわしと一緒に暮らすというのは」
俺はじいさんの顔を見た。
その顔は優しそうに笑っていた。
「ばあさんと死に別れ、息子も孫もなく一人、小さな民宿をしている貧しいじじいだが、食いぶちが一人増えるくらい、ワケない。わしとしても若い荷物持ちが一人いてくれると助かるんじゃが、どうじゃろう?」
それは、願ってもいない申し出だった。
今の俺はこの世界で一人、金なし、家なし、使えるスキルなしの男だ。仮に働くとしても、この世界のことをろくに知らない俺ではできることは限られてくる。こんな俺を雇ってくれるところなんてそうそうない。
しかも宿付き飯付きとくれば、まず死ぬことはない。この世界のことを調べながら、のんびりスローライフをおくることができる。
俺はじいさんの方を向いて言った。
「ごめんなさい。とてもありがたい申し出ですが、断らせてください」
俺を助けてくれた少女を追いかけるとして、彼女がいつ見つかるかわからない以上、ここでずっと働くことはできない。
それに、俺には他にも、やることがある。それは、じいさんの優しさに甘えてしまったらきっともう、できなくなる。
「そうか。残念じゃが、仕方ないの」
俺はスープのお礼を言うと、ベッドから起き上がった。
外に出ると、ちょうど日が傾いて来た頃だった。
じいさんが宿の前の道を指差す。
「この道を真っ直ぐ行くと隣り街のアプリナに着く。あんたを担いで来た娘さんが向かったのもおそらくその町じゃろう。オランゲルに比べると少し寂れているが、他所者だからといって邪険にする街でもない。色々と聞いてみるといい。うまくいけば、日が暮れる前に着けるじゃろう」
「何から何まで、ありがとうございます」
「なんの。気をつけてお行き」
俺はまた深く礼をすると、アプリナに向かう道を走り出した。
後ろは振り返らなかった。
もし振り返ったら、じいさんの寂しそうな背中が見える気がして、つい戻りたくなってしまいそうだった。
道はでこぼこしていて、走りづらかったが、構わず走り続けた。
あんな優しいじいさんや、俺を助けてくれた少女だっているんだ。この世界の人たちが特別悪人ばかりというわけじゃない。
だがあのじいさんは俺に起きたことについてこう言った。「珍しくない」と。
俺を殺したヤマトたちのことは到底許せない。いつかまた会ったら、然るべき報いを受けさせてやりたいと、思わなくもない。だが一方で、奴らがやったことを別におかしいことでもないと思う。
もし見ず知らずの他人が死ぬのを見過ごせば目の前の財宝の取り分を増やせるとして、それでも助けると答えられる人間が一体どれだけいるだろうか。
だからきっとヤマトたちだって、この世で一番の極悪人というわけじゃない。
悪いのは、ダンジョンというシステムだ。
ダンジョンがあるから人は財宝を求めて命懸けの冒険に飛び出し、そして自らの欲望のためにひとを蹴落とす。
だったら、俺が──
夕日で真っ赤に染まった道を、俺は走り続ける。
ヤマトたちは言った。どこかのダンジョンの奥深くに、ダンジョンを作った女神デスティネルがいる。そいつを殺せば、永遠の富と名声を手にいれるために探索者たちはダンジョンを踏破しているのだと。
永遠の富と名声。
そんなものはいらない。
ただ、女神デスティネルは俺が倒す。
噛ませ犬スキルには頼らない。仲間にだって頼らない。
この世界は間違ってる。
「俺がダンジョンをぶっ壊してやる」
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