第46話 魔王、倒れる
暴風のような瘴気を纏ったエリスの拳は、完璧にカイエの横っ面を捉え、そして……
ベシッ
カイエのほおを軽く揺らして、止まった。
「え……?」
なんら痛くも痒くもない拳に、カイエが、キョトンとした顔をする。
そしてすぐに、エリスに起きている異変に気がついた。
エリスは大量の汗を流し、顔を歪めている。
「く、くそ……」
――わずかに足りな……かったか……
魔力枯渇。
大魔法と極大魔法を連発したエリスの魔力は、完全に失われ……その反動が、彼女を襲っていた。
世界が回り出し、どちらが空で、地面なのかも分からない。
その場で、どさりと、エリスは膝をついた。
「は、ははっ……」
カイエが引き攣った顔で、笑みを浮かべる。
「ははははははは!!そうだよ!なにかの間違いだったんだ!この僕が、こんな小娘に押されるなんて!」
直後、カイエの顔が怒りに歪んだ。
「ふざけた真似、しやがって!!」
ズギャッ、と鈍い音を立てて、カイエがエリスを殴り飛ばす。
受け身も取れず、エリスは二度ほど地を跳ね、土埃をあげて倒れ込んだ。
動けないエリスに、カイエがゆらりと近づいていく。
血に濡れた口元は、怒りに震えていた。
「まぐれだろうと、なんだろうと……痛かった、痛かったよ!!このクズが!」
腹を強烈に蹴り上げられ、エリスは肺の空気を全て吐き出しながら宙に浮いた。
「こんな腹が立つのは久しぶりだよ……!どうやって殺してやろうかな……?」
カイエはエリスの金髪を無造作に掴むと、そのまま手荒に引っぱった。
吊りあげられたエリスの顔が、苦痛に歪む。
「決めた……!少しずつ、風で皮を削いで……肉を削って……!この僕を怒らせたこと、最大まで後悔させてから殺してやる……!」
カイエが、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。
――……くく。しくじった……のう。
エリスは、魔力枯渇の影響と全身の激痛で、意識を保つのが精一杯だった。
――さっさと……わらわだけで転移しておれば……逃げ切れたじゃろうに……。ヤキが回ったかのう……。
カイエの手に集中する魔力を虚ろな目で眺めながら、エリスは自嘲気味に笑みを漏らした。
――魔王……エリスともあろうものが……こんなところで、終わりか……。ああ、まったく……つまらぬ、つまらぬ……。
カイエの手に現れた円形の風刃が、金切り声のような不快な音を立てて回転を始めた。
それを見て、エリスはゆっくりと……目を閉じた。
カイエの背後から影が差したのは、その時だった。
「ぐ!が!あ!あ!あああああああ!!」
猛獣の咆哮のようなその叫びに、カイエがとっさに振り返る。
その視界に飛び込んできたのは……全身から血を噴きながら、しかし、信じ難いほどの強烈な闘気と怒気を纏って剣を振り上げる、コウガの姿だった。
「何だって!?こいつ、まだ動けるのか!?」
驚愕の声を上げながら、カイエは急ぎコウガへと身体を向けた。
「があああああ!!」
再度の咆哮と共に、コウガがカイエに飛びかかった。
唸りをあげて、剣が振り下ろされる。
「バカだな!何度やっても無駄なんだよ!」
コウガの剣がカイエの身体に到達する直前で、【
超々高密度で渦巻く風が、その一撃を押し留めた。
「ははは!この、死に損ない!次こそ、全身バラバラにして……!?」
不意にカイエの笑みが凍りついた。
「なんだ……?なにを、してるんだよ……?」
ドラゴンのブレスすら封じる風の絶対防御が、ぎりぎりと軋みを上げ始めた。
「これは……また、キャンセル?……いや違う!まさかこいつ、力だけで?!」
コウガの両碗が、メキメキと音を立てて、膨張する。
それが内包する恐ろしいパワーに、カイエは思わず目を見張った。
「お嬢……様……から」
「なにっ!?」
「手を……離せ!!!!」
耳をつんざく破裂音と共に、
衝撃波が暴風となって、あたりの瓦礫を噴き上げた。
「ぐおぁああああ!?」
防御を突破され、カイエの肩口が深々と切り裂かれた。
思わずカイエはエリスを手放し、大きく飛び退く。
「な、なんだよ!なんなんだよオマエ!!」
そこでカイエは気がついた。
コウガが、自分を見ていない。
幽鬼のように、ただエリスのそばにたたずんでいる。
「こいつ……意識が無いのに……!?」
あまりのことに、カイエが強く唇を噛む。
「くそっ……!ただの人間のくせに……!!この、僕に……!許さない許さない許さない!!」
目を血走らせたカイエが、怒りに震える腕を振り上げる。
カイエの頭上に雷を帯びた空気の渦が生じ、猛烈な速度でそのエネルギーを増幅させてゆく。
「ははは!黒焦げになっちゃえ!」
倒れたままのエリスと、意識の無いコウガ。その二人に向けて、生み出した暴威を叩きつけようとして……
「……おいこらテメェ。こっち向け」
突如横合いから投げつけられた言葉に、カイエの集中は途切れた。
声の方向を振り返ったカイエの目に飛び込んできたのは……もう一人の、猛獣。
瞳を殺気で漲らせ、はち切れんばかりの闘気と魔力を身に纏った、オリヴィスだった。
「なに!?」
「うっ……らああああああ!!」
カイエの顔面目掛けて、オリヴィスの拳が放たれる。発動した
「なっ……!?オマエも……!?」
「……あのバカが意識トんでても出来たことを、シラフのあたしが出来なきゃ格好つかねぇだろ」
オリヴィスが拳を握り込む。
全身の魔力がその一点に集中し、岩をも溶かす超高熱となって外部に発現する。
「聖拳を……舐めんじゃねぇーーー!!」
山が噴火したかのような轟音が、大気を震わせた。
爆発的な熱波の奔流は、抗う風を抉り引き裂き霧散させる。
「うがはああああああ!!??」
脳が揺れる強烈な衝撃を受けて、カイエは大きく吹き飛ばされる。
「……ちっ、風で軌道を逸らしやがったか」
オリヴィスが舌打ちする。
しかしクリーンヒットは免れたものの決して小さくないダメージを負ったカイエは、ぐらりと膝をついて顔を歪める。
「……くそっ!くそくそくそくそ!どいつもこいつもふざけやがって!!空から嬲り殺してやる!!」
カイエが浮遊魔法を発動し、空へと身体を躍らせた。
「……おっと、そうはさせないよ」
突如、カイエの真下の地面から円形の光が溢れ出す。それはすぐに、幾何学的な美しさを備えた魔法陣を形作った。
「【
魔法陣から大量の土砂が間欠泉のように噴き上がり、跳躍を始めていたカイエの周囲、頭上を取り囲む。
「これは……!?」
カイエに触れた土砂は【
慌てたカイエが風の刃を周囲に展開するも、それもまた、削り取った分だけ魔法陣から土砂が供給されて、まるで効果がない。
「くそっ……あのエルフ、どこにこんな余力が!」
頭上を完全に抑えられ、それ以上飛ぶことができなくなったカイエが、ウィスカーを睨みつける。
先ほどまで彼を縛りつけていた風魔法は、カイエがエリスらの猛攻を受けたことですっかり掻き消えていたようだった。
身体を貫かれ深傷を負っているはずのウィスカーだったが、その魔法制御にはわずかなブレも見当たらない。
「ふふ。伊達に長く生きていないのでね。我慢比べなら、負けないよ?」
「くっそぉぉぉおおお!!!!」
カイエがウィスカーの魔法に捕らえられた様子を、エリスは閉じかかった目で力無く見つめていた。
――なにを……しておるのじゃ。とっとと……逃げぬか、ど阿呆ども……。
カイエにダメージを与え、かつ抑え込んでいる状況ではあったが、エリスは、カイエの実力がこんなものではないことを知っていた。
――このままでは……皆殺しになるのじゃ……。
しかし、エリスは体が動かない。
殴られた怪我は、なんとかなる。だが、魔力枯渇から来る意識レベルの低下だけは、どうにもならなかった。
視界が霞み、全身にまるで力が入らなかった。
――お……のれ……。
さらに薄れていく意識の中で、エリスは、足掻くように、何かを掴もうとするように、ただ指を動かした。
――やらせる……ものか……。
その時。
エリスの指が、とん、と何かに触れた。
……そしてすぐに、温かいものに包まれる。
「エリスさま、大丈夫ですか!?」
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