第32話 魔王、前後不覚になる

「失礼、名乗っていなかったね。俺は……」


「「お嬢様!ご無事ですか!?」」


 青年の自己紹介は、暴風のように現れた二体の鬼……もとい、コウガとオリヴィスによって遮られる。


「なんじゃお主ら。そんなに慌てて」


「……お嬢様?」


 あのエリスが暴漢の気配に気づいていなかったことに、コウガは僅かに違和感を感じた。


「あの野郎か!縛り上げてボコボコにしたらぁ!」


 オリヴィスが指をバキバキ鳴らしながら、未だ材木に埋もれている男に大股で近づいていく。


 そしてコウガは、不測の事態をこれ以上引き起こすまいと……眼前のただならぬ気配を発する謎の青年に、体を向けた。


「これ以上お嬢様に近づくのは遠慮願いたい」


「おっと、不審者に思われてるのかな?さっき、そこのお姫様を助けてあげたんだけど」


「そのことについては感謝する。だが……」


 コウガはますます警戒の姿勢を鮮明にした。


 ……この男は、強い。


 青年の雰囲気から、コウガは彼我の実力差を咄嗟に見積もっていた。


 自分と互角か、それ以上。


 オリヴィスもいるとはいえ、もしこの青年が敵だったら、エリスを無傷で守れる保証は無い。


 さらにコウガの身体を強ばらせるのは……この青年の前に出ると同時に感じた、出どころの分からない複数の視線。

 限界近くまで抑えられてはいるが、その視線の纏う気配は、明らかに殺気の類だ。

 視線の主ひとりひとりが、かなりの手練れと思われた。


 ひりついた空気が周囲に流れる。


「そう、ピリピリしなくてもいいんだけどな。こんなところで意味もなく喧嘩なんかふっかけないよ」


 コウガの思考を読んだかのように、青年はひらひらと両手を振りながら言った。


「最近ここいらで噂の聖女様に、少しお近づきになりたかっただけさ。あんまり歓迎されないようだし、俺は戻るよ。安心して」


 そう言うと、青年はくるりと踵を返した。


「じゃあ、またどこかで」


 背中越しに手を振りながら、青年は人混みへと歩き去っていった。


 少しして、コウガに注がれていた視線が一斉に消える。


「何者だ……?」


 思わず、コウガは大きく息を吐いていた。




 そこへ、ひょこりとシェリルがやってきた。


「いやぁ、カッコいい男の人だったわねー。……でも、どこかで見たような気もするのよね。お嬢様の知り合い?」


「……いや、わからぬ。と、言うかじゃな」


 エリスの顔を覗き込んだシェリルが、眉を顰める。


「お嬢様?大丈夫?」


「さっきから視界がボヤけていてな。よく見えぬのじゃ……」


 それもそのはず。

 エリスの目から、涙がとめどなく流れていたのだ。


「これ、なんだか変よ……?」


 シェリルが屋台の主人に顔を向ける。


「目に沁みる成分は無いって話だけど……本当?なにか入ってない?」


「別に危ないものは入っちゃいねぇよ。……あ」


「なに!?やっぱりなにか入ってるの!?」


「い、いやいや、実は風味をつけるために少々酒が入ってるんだが……だけどよ、ほーんの少しだ!子どもでも全く問題ない量だぞ!?」




「ほわぁ」




「?!お嬢様?」


「なんだかふわふわしてきたのじゃー」


 とろんとした表情で空を見上げ、エリスはふらふらと歩き出した。


「ちょっと!?……顔が真っ赤じゃない!……もしかしてお嬢様……お酒、激弱??」




「おお?むこうにおにんぎょうがたいりょうにー」


「お嬢様!?お待ちください!」


 おぼつかない足取りにもかかわらず突如駆け出したエリスを、慌ててコウガたちが追いかける。



 ……その様子を遠巻きに観察しながら、同じく小走りを始める影二つ。


 もはや言うまでもないが、バゼルとスオウである。


「……ふむ。一悶着あったが、どうやら標的は最終作戦の場に向かい出したようだ」


「最終作戦って、さっきの材木に突っ込んだ男ではなかったのか!?今までで一番標的に肉薄してたし、それなりに感心していたのだが」


「愚かな。あれは祭りによく出るスリの類だ。あんな無思想の輩が我々の同志であるわけなかろう。……まぁ、腕は良さそうだから後でスカウトするつもりだが」


「人手不足過ぎるだろ我々の組織」


 スオウはまたも大きな溜息をつくのだった。




 エリスが向かった先は、街の中央広場だった。

 普段も屋台が軒を連ね、市民の憩いの場であるその空間には、今日はステージが設けられていた。


 ステージ上に人の姿はないが、背景にある木々や神殿を模した大道具の数々から、何かの劇がこれから上演されることがうかがわれる。


「おにんぎょうがたくさんじゃー」


 恐らく開演を待っているのであろう、大勢の子どもたちとその親の元へ、エリスがふらふらと歩み寄っていく。


「あ!せーじょさまだ!!」


「ほんとうだ!せーじょさまだよ、まま!」


 子どもたちがエリスに気づき、はしゃぎはじめた。

 一方で大人たちは、突然のエリスの登場に恐縮した様子である。


「お、お嬢様!こんにちは!……じゃないわ、ごきげんうるわしゅう、かしら?!」

「こ、こんなところにおいでになるなんて!」


 慌てる親たちを尻目に、子どもたちがエリスに群がってゆく。


「せーじょさまー」


「おおー、かわいいのじゃー、おにんぎょうじゃー」


 エリスはとろんとした目元のまま、集まった子どもたちを笑顔で愛でている。


「ああ、お嬢様が私の子どもを撫でてくださった!」

「なんてお優しい笑顔だ……こちらの心が洗われるような……」

「実際に近くでお会いするのは初めてだったが、本当に清らかな方なのだな……無垢というか」



「ねーねー、せーじょさま、いっしょに劇を観ようよ!」


「ほほぉ?なんじゃ、なにかやるのかー?」


「うん!せーじょものがたり、だよ!」


「せーじょものがたり?それはおもしろそうじゃのうー」



「お嬢様!ふぅ、ようやく追いついた……なんだってフラフラしてるのにあんなに人混み抜けるの上手いんだよ」


 オリヴィスが肩で息をしながら現れる。

 コウガも一緒だったが、こちらはなにやら感心した表情だ。


「聞いたことがあるな。伝説の武術の一つで、酔えば酔うほど動きにキレが増すという……そのようなものを会得しているとは、さすがお嬢様」


「いや……絶対違うだろ」


 オリヴィスが半眼でツッコミを入れている間に、シェリルやリィ、ウィスカーも追いついてくる。


「はぁ、疲れた……あら?ちょうど劇が始まるところね。確かクーポンで、特別席に行けたはずよ!」


「聖女物語、か。確か伝承があったね。かつて大陸を支配しようとした魔王を、この地に生まれた聖女が退治したという話」


「聖誕祭は元々それを記念して始まった祭事だしね。今はこの劇ぐらいしか名残が無いみたいだけど」


「劇、楽しみです!」


 キラキラした眼をするリィを見て、ウィンベル夫婦は顔を見合わせて笑う。


「じゃあ、特別席に移動しましょう!ほらほら、お嬢様!行きますよ!」


「ん、ぬおおー、めがまわるー」


 シェリルに先導され(引き摺られ)、エリスたち一行は最前列に程近い、特別席に陣取った。


 気づけば、あたりは暗くなってきていた。

 順番に、明かりが灯されていく。


 昨年までは松明だったであろう明かりは、ヴァッテリー搭載の魔道具が使われているようだ。

 昼間ほどとはいかないまでも、かなりの明るさだ。


 ステージ上に、ひとつ特別明るい光が灯る。

 満員近い会場中の視線が、その一点に集まった。


「レディースエーンジェントルメン!ボーイズエーンガールズ!!お待たせしました!これより、聖誕祭恒例、聖女物語を上演いたします!!」


 ステージ上で煌びやかな衣装を纏った司会者の宣言に、観客が声援と拍手で応える。


 司会者が姿を消すのと同時に、ステージ上がスゥッと暗くなった。



「……時は今から四百年前。長く続く戦争で、人々は疲れ切っていた……」


 低い声の語りで、物語が始まる。


 一呼吸置いて、ステージ傍から、黒いローブに身を包んだ見るからに怪しい人物が登場した。


「あれは、悪魔崇拝者役ね。なかなか雰囲気出てるじゃない」


 シェリルが楽しそうに呟く。


「なんだか怖いです……」


「大丈夫よリィちゃん。本物じゃないわ」


 黒ローブの人物は、大袈裟なほど不気味な動きを繰り返している。


「くくく。時は満ちた。世には絶望が蔓延り、怨嗟の声が渦巻いている」


「……なんだか、子どもも観る劇にしては台詞回しがくどいわね」


「聞こえるよシェリル……」


 ウィスカーが苦笑を浮かべる。

 その横では、いまだふわふわした様子のエリスがちょこんと座っていた。


「今こそ!悲願である我らが主の復活を遂げる時!さあ、そのための生贄を見つけよう。そうだな……そこの娘!お前だ!お前が生贄だー!」


「……ほあ?」


「ええ?!エリスさまが生贄!?」


 リィがびっくりして声を上げる。

 ステージ上から、黒ローブの男がエリスを指差していたのだ。

 会場がどよめく。


「ふざけるな!お嬢様を生贄などと……貴様自身を生贄にしてくれるわ……!?……もがもが」


 勢いよく立ち上がったコウガの口が、シェリルの手で塞がれる。


「ちょっとコウガさん静かに。これは観客が参加できるタイプの劇みたいよ。面白いじゃない」


「観客が参加?しかし、あいつ剣を持っているぞ!」


「本物なわけないでしょう。刃が引っ込んだりするやつよ」




 ……騒めく会場で、身じろぎせずエリスの動きを注視する影二つ。


 しつこいようだが、バゼルとスオウである。


「くくく。誰も想像すらしていないであろうな。ステージ上の悪魔教祖役が、実は我らが同志であるなどとは」


 バゼルがニヤリと口元を歪める。


「もちろん剣も本物だ。ただの劇と見せかけておびき寄せ、生贄の儀式のフリをして本当に剣で刺す……これぞ、我らが最終作戦!名付けて『しまった!生贄役を本当に生贄にしちゃったよ!いっけにぇー』作戦だ!」


「バゼル、お前と言う奴は……いや、もはや何も言うまい」


 本日一番の巨大なため息を吐いたスオウだったが、エリスがふらふらとステージ上に向かったのを見て思わず席から身を乗り出す。


「なんだと?これだけ露骨に怪しいのに疑いもせず……標的はバカなのか?」


「スオウ、お前な……それは作戦を実行している同志に失礼というものだぞ」


 お前が言うか、と軽くバゼルを睨むスオウ。

 だが、確かにこのままいけば作戦成功かも知れない、との期待が胸をよぎる。


 ステージ下では標的の連れがなにやら揉めている様子だが、標的はもう上がってしまっている。まさに絶好のチャンスだ。


 再度スオウがステージ上を見ると、エリスの周りで悪魔教祖役の同志が剣を片手に踊り狂っていた。


「さあ!さあ!ついに時が来た!生贄を捧げ、我らが主を復活させるのだ!」


 男はぴたりとその動きを止めると、エリスの背後で不敵な笑みを浮かべる。


 そして大きく剣を振り上げ……エリスの首を目掛け、渾身の一撃を放った。


「ふははははーーー!我らが主、魔王様バンザーイ!!」




 会場の誰しもが、色々な意味で手に汗を握ったこの瞬間……


 舞台上の少女に生じた変化に、果たしてどれだけの人が気づいただろうか。



 エリスの周囲が、どんよりと揺らめいた。



「……魔王、じゃと?」








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