第13話 魔王、山を登る?
教会での一件から五日後。
今日もエリスは不機嫌そうに三階のテラスから庭……正確には正門のあたりを睨みつけていた。
「日に日に増えおる……」
エリスが辟易していたのは、正門前で祈りを捧げる人々だ。老若男女問わず、かわるがわるやってきては、熱心に手を合わせている。分厚い本を手に、何かを唱えている人もいる。
今日は朝からもう三十人はやってきたのではなかろうか。
「それはもう、お嬢様のお住まいの地ですから」
「聖地みたいな言い方をするな」
横に控えるコウガの言葉に食い気味で反論するが、実際人々が聖地巡礼のつもりでやってきていることを、エリスは嫌々ながらに理解していた。
大陸で最も大きな宗派である聖女神教は、ここファントフォーゼ領でも信者が大変多い。
聖女神教では女神ラクリアを主神として崇めているが、女神はその奇跡の力を、聖女を地上に遣わすことで顕現させる、と信じられている。
エリスが、神の雷に続き、不治の病の特効薬を生み出したという話は、民衆の中では完全に女神の奇跡認定されていた。
領内においてエリスは、聖女としての地位を確固たるものとしていたのだった。
……本人の意思とは全く裏腹に、だが。
「ええい、わらわは聖女などではないのじゃ!!」
「さすがお嬢様。謙遜するお姿もまた、聖女に相応しい」
「お主、バカじゃろ!?大体、お主は先日わらわの魔法を見たであろうが!こう、黒い腕が無数にぶわーっと!あんな黒魔法を使う者のどこが聖女じゃ!?」
「ああ、あの痴れ者どもをまとめて転移させた魔法ですね?実にスピーディーかつ、効果抜群の大魔法でした。感服です」
――くっ!?こやつ魔法の効果のみに着目しておった!バカでも一応戦士か!魔獣を召喚して連中を貪り食わせるくらいせねばビジュアル的に弱かったな……。
とりあえずコウガの頭を手近にあったステッキでどついてから、エリスはぶすっとした顔でテラスの椅子に身を投げる。
――とっとと魔力を取り戻さねば、どんどん面倒なことになってしまうのじゃ。しかし、もう少し魔力を回復させねば魔力向上の儀式すら行えぬという袋小路。やはり、さっさと見つけるしかないな……これを作った者を……。
エリスは、テーブルの上に置かれたネックレスを見遣った。
「コウガ。調査の方はどうなっておるのじゃ?」
「はい。ラルフ少年の言っていたウィスカーなる者ですが、聞き込みをしたところ、十日に一度ほど街の市場に買い出しに現れることがわかりました。どうやら、エルフではないかと思われます」
――エルフか。魔法の扱いに長けた種族。奴らなら確かにこれを作るくらいできるかもなのじゃ。
「詳細は分かりませんが、ヴァッテリオ山の上に住んでいる、という情報がありました」
「ラルフの言っていた通りじゃな」
「何故わざわざ山に住むのでしょう?しかもあそこは木の少ない岩山です。エルフなら森と相場が決まっていると思うのですが」
「ヴァッテリオ山は、この石が採れるからじゃろう」
「石……ですか?お嬢様のネックレスの、台座の?」
「この石は実は大層特殊なものじゃ。まぁ、魔法に疎いお主に言っても分からんだろうがな。……とにかく」
エリスはおもむろに椅子から立ち上がる。
「ウィスカーに会いに行くぞ」
「はっ。情報が正しければ、今から五日後に市場に現れるかと」
「待っていられぬ。ヴァッテリオ山に直接行くのじゃ」
「ヴァッテリオ山にですか……」
「なんじゃ?嫌なのか?」
「いえ、ちょっと気になる噂を耳にしたものですから」
「噂?」
「はい。なんでも、ヴァッテリオ山に、化け物が住み着いたと。元々、あまり立ち寄る者のいない山なので被害は特に無いのですが、複数の者が、遠目に巨大な影を見たそうです」
「ふん。街の噂など、わらわを聖女とかほざく程度のものじゃ。大方、岩の影でも見間違えたのであろう」
「だと良いのですが」
「仮に化け物が出たとて、わらわを襲った途端に消し炭じゃ。ほれ、とっとと行くぞ。支度せい」
ファントフォーゼ領は、山や森が多く、農耕や牧畜には向かないとして、大多数の貴族から価値の低い土地と認識されていた。
一方で気候には大変恵まれ、年中暖かく穏やかな天気の日々が続く。
今日も今日とて、太陽光が燦々と降り注ぐ、ポカポカと気持ちの良い陽気であった。
……普通に暮らしている人にとっては。
「はぁ、はぁ」
大粒の汗を流し、コウガはヴァッテリオ山の三合目あたりを一生懸命に登っていた。
「なんじゃ、もうバテたのか?情けない奴じゃのう」
この山は草木がほとんど生えず、山肌が露出している岩山である。そのため遮蔽物に乏しく、時間帯によってはかなり陽が差して登山者の体力を奪う。
加えて、コウガは背中に大きな荷物を背負っていた。それは、通常屋内で使用される重厚な木の椅子であり、背もたれに太い紐をつけて、コウガの身体に結び付けてある。
その椅子にふんぞり返って座っているのは……もちろん、エリスであった。
魔王の足は、歩いたり部下を蹴り上げたり敵の顔を踏みつけたりする時のみに使われる、大変に繊細なものなのである。山登りに使うなどもってのほかなのだ。
「ふ、ふふふ、このコウガ、お嬢様を背負うことのできる喜びで満ち満ちております。バテるなどとんでもない」
「そうか。ならスピードを上げよ。陽が沈む前に用事を済ませて帰りたいのじゃ」
「す、少しだけ水を飲ませて頂いても……?」
「歩きながら飲めぃ。大丈夫じゃ、山は登れば登るほど気温が下がるらしいぞ。早く登れば涼しくなるのじゃ」
ひぃひぃ言いながら、コウガはなんとか山の中腹にまでたどり着いた。
「よし、この辺で一度わらわが探索魔法をかけるのじゃ」
ウィスカーの居場所を特定せんと、エリスがコウガの背で詠唱に入った。
少しして、エリスの両手に虹色の光が集まってくる。それを、エリスは空中へと放り投げた。
「このあたりの精霊に、探索の命を出した。しばらく待っていれば奴の居場所がわかるじゃろう」
「……ところで、お嬢様」
少し息を整えることができたコウガが、エリスに質問を投げかけた。
「ウィスカーなるものを探し出して、どうなさるのです?」
「知れたこと。魔道具を作らせるのじゃ」
「魔道具……ですか?」
「お主、まさか魔道具を知らんのではあるまいな」
魔道具とは、天然の鉱石などをベースに魔力を込めたアイテムである。
詠唱の代わりとなる『魔法式』を刻印することで、起動の言葉さえ分かれば魔法の心得の無い者でも魔法を使うことができるという、一見すると便利そうな代物だ。
種族全てが強力な魔法を操るエルフならいざ知らず、人間は約九割ほどが魔法が使えない。
そのため、魔道具は人間社会を大いに発展させうる道具として、各国で長らく研究が続けられてきた。
「知ってはいるのですが……あまり使っている者は見ないな、と」
「まぁ、実用的と言えるものはごく僅かじゃからな」
魔道具には、実用化にあたって致命的な欠点があった。
それは、ベースの鉱石に込められた魔力が、時間と共に放出されてしまうことであった。
その時間は鉱石によって異なるが、長くても二日保てば良い方で、それを過ぎるとただの鉱石に戻ってしまう。
「じゃが、ラルフの持っていた対黄疹病の魔道具……あれは驚いた。全くと言っていいほど魔力の漏れが無かったのじゃ」
――そして、このネックレスも、な。これはわざと『漏れるように』してあるから分かりにくかったが。
「なるほど……ウィスカーは魔道具作りの名人なのですね?」
「さぁ、どうじゃろうな」
曖昧な返事を送るエリス。
その直後だった。
背中越しに、コウガの様子の変化が伝わってきた。
「……お嬢様。少し、椅子を下ろさせて頂いても?」
「……仕方がないのぅ」
ピリピリした空気を背に感じながら、エリスは椅子から飛び降りる。
コウガはゆっくりと腰をかがめ、丁寧に椅子を背から下ろす。その視線は、前方を捉えたままだ。
くるりと振り向いたエリスの目に映ったものは……
「こやつが、例の化け物とやらか」
それは、人間の形をした、巨大ななにか。
その身の丈は人間の大人の倍ほど。
丸太のような腕は、馬でも握り潰せそうな圧倒的な膂力を感じさせる。
胸や腹から不自然に突き出した骨格は、さながら強靭な金属の鎧のように身体を包み、見る者を威圧する。
乱雑に伸びた髪の隙間からは、爛々と赤く光る瞳孔のない眼が覗いていた。
「オーガか?いや、それより遥かに強そうじゃな。わらわが知らんモンスターなど、そうはおらんのじゃが……面白い」
魔王とはすなわち最強のモンスター博士であると思っているエリスとしては、目の前の正体不明の化け物が大変興味深かった。
「しかし、残念じゃがあまり観察をしている時間はないのじゃ。コウガ、突破するぞ」
「はっ。……おい化け物。お嬢様の進路を妨害した罪は大陸全土より重く、そしてお嬢様と二人きりの時間を邪魔したことは万死に値する。絶対許さん。覚悟しろ!」
エリスの『うわぁ……』という視線を背中全面で受け止めつつ、コウガは地面を蹴った。
新調した鉄の剣を、鞘の中で滑らせる。
リィンという澄んだ音と共に、高速で抜き放たれた剣先が化け物の太腿を捉えた。
だが、コウガの腕に手応えは伝わらない。
その巨体からは想像もつかないような超スピードで化け物は飛び上がり、剣撃を回避していた。
直後、上空から化け物の拳が飛来する。まるで腕が伸びたかのように錯覚する一撃は、踏み込んだ姿勢のまま一瞬硬直したコウガを襲った。
コウガは、剣の腹で拳の軌道をズラすと同時に後方へ飛び、威力を殺す。
それでも牛に突撃されたような衝撃に数回後転させられるが、なんとか体勢を整えると再び地面を蹴って飛びかかる。
化け物の着地時を狙って放たれた突きは、化け物の腹部を直撃した。
「……これは!?」
コウガの一撃は、腹を護るようにせり出していた不可思議な形の骨格によって止められていた。
まるで金属を叩いたかのような手応えに、コウガは顔を顰める。
直後、まるで抱きすくめるかのように視界の外側から飛んできた両手攻撃を、コウガは辛うじて回避する。
まさに一進一退、並の人間では近づくことすらできない激しい攻防が展開される。
――強いな。
エリスはまず、コウガに感心していた。
コウガの動きは、以前マンティコアを仕留めた時より更に良くなっている。
エリスが意図せず分け与えた魔力が、コウガの成長と覚醒を未だに促し続けているようだった。
あくまでモンスターの評価基準ではあるが、今のコウガはA級中位、いや上位レベルはあるだろう。
A級とは、騎士一個師団で挑んで良くて相打ち、というレベルだ。一介の騎士としては実に破格の強さである。
――しかしのぅ……。
それだけに、エリスはコウガが前の時間軸のように暗黒騎士に最終覚醒できないことが残念でならなかった。
四天王筆頭であったコウガ……ガイウスは、S級モンスターを片手で捻り潰したこともある、規格外の戦士だった。
戦闘面では、エリスはガイウスにまさに全幅の信頼を寄せていたのである。
自分のハードルが上がりまくっていることに気がつかないコウガは、良い一撃が決まると『どうですかお嬢様!』という顔でエリスを見るのだったが、それをエリスはため息で返すのだった。
――まぁ、このバカみたいな忠誠心は、前はなかったものじゃがな……。
無論、暗黒騎士ガイウスに忠誠心が皆無だったわけではない。魔王エリスに対しては礼儀を尽くし、その命令は良く聞き良くこなした。
だが、跪き魔王エリスを見上げるその視線は、エリスを通して他の誰かを想っている、そんな虚なものだった。
それを、エリスはほんの少しだけ、不満に思ったことがある。
「……いや、忠誠心などほどほどで良いのじゃ。強力な使える手駒、それが今のわらわに必要なものじゃ」
自分に言い聞かせるようにそう独り言つと、次にエリスはコウガと戦っている化け物に視線を移した。
――こやつも強いな。今のコウガと互角となると、A級か。こんな人里近いところにA級がいたとは信じられんが……。
スピードで上回るコウガが何度も剣撃を叩き込むが、桁外れの防御力の前に決定打にならない。
戦いは膠着状態となり、時間だけが過ぎていく。
――仕方がない、加勢するか。魔力は帰りの転移魔法にとっておきたかったのじゃが。
だが、エリスが参戦しようと一歩踏み出す直前に、何者かの声が岩だらけの山道に響き渡った。
「やめるんだっ!」
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