第12話 魔王、憂さ晴らしをする

 教会を飛び出したラルフは、多くの商店が軒を連ねる中央市場へと向かっていた。


 エリスに投げ渡された財布を胸に抱え、がむしゃらに路地を駆け抜ける。


 リムルは、ラルフと同じ時期に教会に引き取られ、兄妹同然に育った。家族の愛情を知らずに育ったラルフだったが、リムルの屈託のない笑顔が、いつしかラルフの生きる糧になっていた。


「死なせない……絶対に死なせるものか」


 リムルが黄疹病だと診断を受けた時、突きつけられた莫大な治療費は、貧乏教会にはとても払えるものではなかった。


 そんな中、ある人物から黄疹病に効く魔道具を譲り受けたことは、ラルフにとってはまさに福音だったが、それだけに無意味だと分かった時の絶望は凄まじかった。


 神なんて、いない。


 苦しむリムルの手を握りながら、ラルフは虚無感に沈んでいた。


 その時、突然示された希望。


『特効薬は、ある!』


 白ローブに身を包んだ、見るからに怪しい人物の言葉。

 素性の知れない人間の話をすんなり信じるほどラルフは子供ではなかったが、その言葉は不思議なほど力強く、頼もしく、心を打った。


 それこそ、神のような、王のような、絶対者からの言葉のように。


 ラルフは走った。走り続けた。

 その希望を、ただ信じて。



 中央市場の薬草屋についた時には、もうほとんど陽が沈んでいた。

 店はすでに閉まっていたが、ラルフは破れそうな心臓をおさえながら、必死に声を張り上げ、扉を叩いた。


 怒鳴りながら顔を出した店の主人は、ラルフの尋常でない様子に眉を顰める。


「どうしたってんだ?ガキがウチに何の用だ?」


「この、この紙に書いてある薬草を……売ってください……」


「ああ?……なんだこりゃ?なんだってこんな希少な薬草ばっかり」


 店の主人は訝しい顔を向ける。子供の悪戯かとも思ったが、それにしては薬草の選択が奇妙だった。


「女の人が……これで、灰疹病の薬が作れるって……」


「はぁ?灰疹病?……馬鹿か。あの病気は不治の病なんだよ」


 店の主人はため息を吐いた。

 どうやらこの少年は誰かに騙されているようだ、と思った。


「もし薬が出来たら、すげぇ数の人が助かる。だから昔っから研究されてるが、未だに何の成果もねぇんだ。仮にそんなもんを作れる奴がいるとすりゃ、それは聖女か悪魔か……ん?」


 主人の目が、ラルフの持つ財布に留まる。

 ……正確には、財布に刺繍された紋章に。


「まて、お前……!お前にこれを依頼した女の人って……!」


 店の主人は驚愕し、そして興奮したように笑みを浮かべる。


「おお……おお!そうか、そういうことか!灰疹病の薬……まさかとは思うが、あのお方なら……聖女様なら!」


「……聖女様?」


 主人は店の奥を振り返ると、棚の整理をしていた店員らしき少年を大声で呼んだ。


「おい、ペドロ!さっさとこっちこい!この店の大恩人が、俺らの薬草をご所望だ!特級品をかき集めろぃ!」


 それから、主人は再度ラルフの持った紙を覗き込む。


「うん?マリューシャの糞?……これはウチにはねぇな。こんな珍品は、リャドの店だな。よし、ペドロ!お前、一走り、リャドの店からこいつ貰ってこい!」


「ええ?!嫌ですよ、もうあっちの店も閉まってる時間ですよ?あのオッサン、やたらと時間にうるさいし……」


「うるせぇ!あいつがゴタゴタ言うようなら俺がこう言ってたと伝えろ!『てめぇや俺がまた真鍮の森にレア物を採集に行けるようになったのは、どなたのお陰だ!?そのお方が、てめぇの珍品をご所望なんだよ!』てなぁ!」


 ペドロが駆けていき、そしてリャドが小箱を傍に抱えて走ってくるまでに、そう時間はかからなかった。




 ラルフが再びエリスの元に辿り着いた時は、すっかり辺りは暗くなっていた。


「はぁっ、はあっ、か、買ってきました!……というか、全部タダで貰えました……」


「遅い。危うく死ぬところだったぞ。……コウガがな」


「ま、ま、待っていたぞ少年……心からな……」


 げっそりして横たわるコウガを見てラルフは最初ギョッとしたが、リムルと繋がった光る糸を見て大枠を察し、ペコリと頭を下げる。


「さて。そろそろ冗談でなく本当に危ういからな。とっとと調合するぞ」


 エリスは、シスターや子供たちが見守る中、ゴリゴリと薬草をすり合わせ……ることはせず、すべてラルフにやらせるのであった。


 魔王はしもべを働かせてなんぼなのである。


 少しして。


「で、出来ました!」


「よし、それを小娘に飲ませろ」


 ラルフは、薬をこぼさないよう、手の震えを必死で抑えながら、少しずつリムルに飲ませていった。


 変化はすぐに表れた。


 荒かったリムルの呼吸が、落ち着いてくる。

 全身の土気色が消え去って、もとの肌の色を取り戻した。


「成功じゃ。治ったぞ」


 苦しみから強張っていた表情が緩み、リムルが静かに目を開けた。


「すごい……あんなに辛かったのに……今はとてもいい気分……」


「リムル!」


「お兄ちゃん、ありがとう……」


「リムル、良かった、本当に良かった……!」


 ラルフが、そして見守っていた子供たちが、一斉にリムルに抱きついた。


「うわっ」


「こらこら、リムルはまだ弱ってるんだから、そんなに揺さぶるんじゃありません」


 シスターは子供たちを落ち着かせると、エリスの方に向き直る。


「なんとお礼を言ったら良いやら……。本当に、本当にありがとうございます」


 シスターはエリスに向かって、深々と頭を下げた。

 少しだけ、肩が震えていた。


「……ふん。礼など要らぬ。そこの小僧でも褒めてやれ」


「はい……。ラルフ、よく頑張ったわね」


 ラルフの頭を撫でるシスター。

 その様子を、白けた表情でエリスは見ていたのだったが……


 直後、シスターの口からエリスにとって聞き捨てならない言葉が飛び出した。


「貴方が諦めなかったから、女神様が、聖女様を遣わして下さったのだわ」


「んな!?聖女じゃと!?」


 エリスがベッドの縁からガタガタと立ち上がる。


「気付かずに大変失礼致しました、エリスお嬢様。いえ、聖女様。噂は本当だったのですね。大暴走を鎮め、真鍮の森を解放した神の雷……聖女として覚醒されたお嬢様が起こした奇跡だったと聞いております」


「いや!?それは、その……!!」


「今また、我らのために新たな奇跡を起こしてくださるなんて……女神に仕えるものとして、聖女様にお会いでき、そしてその御力を目の当たりにできたこと、大変光栄に思います」


「ええい、違うと言って……!」


「聖女様!」

「聖女様ありがとう!」

「せーじょさま!!」


「どわああああああ!?」


 シスターを一発どつこうと身を乗り出したエリスは、津波のように押し寄せた子供たちに抱きつかれ、瞬く間に団子状態になった。


 その様子を、げっそりやつれたコウガがウンウンと頷きつつ眺めていた。


「貧富の分け隔てなく、民に平等に奇跡をお与えなさる……さすがお嬢様。このコウガ、お嬢様にお仕えできること、誇りに思います!」


「……いいからさっさと助けるのじゃー!!」


 団子の中からは、エリスの叫び声と、そして子供たちの嬉しそうな笑い声が響いてくるのだった。




 それから少しして。


 エリスは、教会の扉の前で、シスターとラルフから見送りを受けていた。


「此度は、本当にありがとうございました」


 シスターは、もう何回目が分からないほどに頭を下げる。

 ラルフも、一緒に頭を下げていたが、ふと意を決したようにエリスに駆け寄った。


「あの!……この、石ですが……ウィスカーという人から貰いました。街の外れの、山の上に住んでいる人です」


 エリスは疲れ切った表情をしていたが、ラルフの言葉に少し眉を動かす。


「……そうか。分かった」


「あと、財布、お返しします。ありがとうございました」


「……ふん。それはくれてやる」


「え?!いいんですか?こんなに沢山……」


 ラルフは薬草を買おうと財布を開いた際、今まで手にしたこともない大判の金貨や銀貨がギッシリ詰まっているのを見ていた。

 侯爵令嬢の財布なのだから当然と言えば当然の中身なのだが、貧乏教会にとってはもの凄い金額である。


「勘違いするでないぞ?さっきの小娘がこの後に栄養不足で死んだら、わらわの寝覚めが悪いからじゃ」


 エリスはそう言ったきり、もう振り返ることなく、スタスタと歩き去っていった。

 コウガがシスターに一礼し、後に続く。


 二人の姿が見えなくなっても、シスターとラルフは、しばらくの間、頭を下げ続けていたのだった。



 この日を境に、『聖女の秘薬』と名付けられた薬がこの教会や薬草屋などの手によって広められ、一年ほどで領内から灰疹病は完全に駆逐される。

 この噂は一気に広まり、秘薬やその調合方法を求めて大勢の人間がこの街に押し寄せることになった。


 ちなみにエリスも知らないことであったが、エリスが書いた調合レシピには真鍮の森でしか取れない材料が含まれていた。

 それらの材料は灰疹病のみならず、その他の難病にも効果があることがわかり、そのため、税収が乏しく、干からびた土地、と揶揄されることもあったファントフォーゼ領は、自国はおろか他国からも少しずつ注目を集める土地となっていくのだが、それはまた少し先のお話。





「……さて、もうよかろう」


 教会から一本路地を抜け、少し開けた場所に出たところで、エリスが歩みを止めた。

 半歩後ろを歩くコウガが、腰の剣に手をかける。


「それで殺気を消しているつもりなら甘過ぎじゃぞ。とっとと出てこい」


 エリスの声が、星の光しか届かない空間に響く。


 逡巡があったのか、少しだけ間を置いて、それらは姿を現した。


 前後の路地から五人ずつ。

 計十人の、黒装束の者たち。


「貴様ら、このお方がどなたか分かった上での狼藉か?」


 コウガの問いかけに、黒装束は誰も答えない。

 暗に肯定したと取ったコウガは、ゆっくりと剣を抜く。


「誰に頼まれた……かは聞くまでもないな」


「お嬢様?黒幕をご存知なのですか?」


「ふん。今はよい。それより……」


 コウガを押しのけ、エリスがゆらりと前に出る。

 自分を狙う者たちにわざわざ身を晒す危険な行為。


 だが、直後。

 黒装束の者たちに、動揺が走る。


 目の前の華奢な少女……護衛さえ上手く仕留めれば問題なく終わる仕事だと思っていた、そのターゲットが……この世のものとは思えぬほど、凄惨な笑みを浮かべたからだ。


「わらわは今、とても機嫌が悪い……」


 エリスの体から、重厚な魔力が迸る。


「少し、憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ?」


 その言葉に、大いなる危険を予感した黒装束たちは、各自が物々しく獲物を抜き戦闘態勢に入った。


 しかし、時すでに遅し。


 彼らは気付くべきだった。


 僅かに差し込む光で生じていたエリスの影が、いつの間にか、自分たちを含めた辺り一帯を呑み込むまでに拡がっていたことに。


「……これは……!?うわあっ!」


「ひ、ひいい!?」


「た、助けてくれぇ!!」


 影から出現したのは、無数の黒い腕。


 それらが、彼ら全員を悲鳴と共に闇に引き摺り込むと、まるで何事も無かったかのように、再びあたりに静寂が戻った。




 ……大陸を股に掛けて活動する暗殺ギルドの一つ『骸』が壊滅したというニュースは、特に業界関係者には驚きをもって迎えられた。

 しかし、灰疹病の特効薬が見つかったようだという大ニュースを前に、それはすぐに皆の記憶から忘れ去られていったのだった。

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